ドウモ( ・∀・)っ旦
さて、8月末の土曜日日曜日は、毎年恒例の24時間テレビ。
このテレビ番組のあり方に対しては色々言われているんだけれど、そのあたりのことを、ごく簡単にだけど書いてみる。
一応、この記事については、私の考えってのが大きく出ているから、あまり過信しないようにってのをあらかじめ書いておくね。
それと、参考として、24時間テレビの大雑把な歴史にも目を通しておいて欲しい。

もともとは障害者バラエティーじゃなかった
この24時間テレビだけれど、実は、もともとは障害者がどうのこうの、とかいう内容じゃなかったんだわ。
もともとは、海外の、飢餓で苦しむ子供達を救おう、いわゆる「SAVE THE CHILDREN」ってやつで、それこそ海外の、飢えや貧困問題に争点を絞った内容になっていたんだわ
この、飢餓については、最近ではあまり耳をしなくなっていると思う。
これは、その飢餓問題を抱えている国が、近代化することによりその問題がかなり解決しているようで、おそらくこれが、24時間テレビが、そうした貧しい子供達を紹介しなくなった理由なんじゃないかなと推測してる。
実際には、現在でも、飢餓で苦しんでいる人達はたくさんいるんだわ。このあたりは、日本ユニセフ協会HPで色々と紹介されているので、ご参考に…。
内戦による難民問題についても、日本では報道もほとんどされないようになったのも、これは日本のマスメディアのせいなんじゃないかな。売れる記事、注目される記事でなければ記者は書かない、なんてことも言われることもあるけれど…もちろん記者全員がそうだって話しじゃないので念のため。

視聴率という数値とスポンサーに踊らされた?
しかし毎年同じテーマにて繰り返し行っていくことにマンネリ化してきたのか、24時間テレビは、おかしな方向に走ってしまう。Wikipediaを参照すると、第15回放送から、てこ入れとして番組の方向性を一気に変えたそうだ。
まず、マラソンを始めた。そして、飢餓ではなく日本国内の障害者にスポットを当てるようになった
実際に現在でも、障害を抱えている子供達に頑張らせる様子を演出しているし、マラソンについても、24時間テレビの最大の話題のように取り扱っているよね。
つまりは、第1回目の放送理念とは、全くかけ離れた内容になってしまっているんだわ
そもそもそのように障害者に、あえて日常生活では経験しないことを頑張らせるのは、私はただの過剰な演出だと思う。健常者側からして、そうした障害者が頑張る姿を見せるのは、健常者が頑張る姿を見せるよりもインパクトがあるのだろうし、おそらくそれを狙っているのだろうと推測するに易しいんだ。

集められた募金の使用目的もおかしい?
そして、その募金の使用目的についても、大きく変化している。
上記のように、障害者バラエティ-と化しているその番組だけれど、少なくとも、そうして番組に登場した障害者の方々が利用できるようなサービスには、さほどその募金が活かされていないような印象があるんだわ。もちろん個人の印象だよ。
そもそも、その募金で購入したとする福祉車両(車椅子の運搬などに使用する特殊な構造の車)ってのは、私が知りうる限りでの範囲だけれど、いずれも老人の利用する施設でしか見たことがない。もっとも、これはどうでもいい話ではあるのかも知れないけれど。
では、実際にそうした番組に登場するような障害者に対して、どれだけの募金が使われたかなんてのは、あまり明確にされていないようにも思うんだよね。
この募金の使われ方については、その募金の運用について、公益法人を作ってそこで行われている。
だけれど、繰り返しだけれど、番組で取り上げられている障害者とは何の関係のない場所にも運用されていることが解ると思う。それが駄目だとか言ってるわけじゃないので念のため。
ただ、の番組が開始されて以降、その寄付金の使われ方が大きく変わっていて、それもそれまで海外に目を向けられていたのが国内に重点が置かれるようになっているってのは、これは注目しておいていいところではないかな

障害者を見世物にするのは…?
さてさて。
障害者が頑張っている様子を、いわゆる見世物にすることを「感動ポルノ」という表現を使うこともある。
実際、これまで、そうした障害者を見世物として興業する事例はたくさんあって、いわゆる見世物小屋ってのもそれに当たるんだわ。
ただし。ただしだよ。
そうした障害者が、自らを芸能として興業する例もあるんだ。
例えば、ミゼットプロレスってのがある。低身長症の人達で行われるプロレスのことで、日本でも実際に、通常のプロレスの試合のひとつに取り入れていたところもある。
これはあくまでもそうした人達が自主的に行っているものだし、それに、私はそういうのは、自身の身体的特徴を活かした興業だと思っている。それに障害を、健常者側から悲惨な目で見るような、あるいは見られるようなことがない、っていう点では、いいんじゃないかなと思うんだよね。もちろん、受け止め方は人それぞれだから、そういうことをするなとかいう意見もあるはずだ。
ただ、24時間テレビの場合は、そうした障害者を、規格ありきで、自主的にではない形で頑張らせる、って感じに受け止めてしまうんだわ。

個人的な感想
ってことで。
何度も言うように、これは個人的な感想として述べるんだけどさ。
24時間テレビで紹介されているような障害者の方々が、実際に24時間テレビから受けている恩恵ってのは、ほとんどないと思っている
その寄付金が障害者福祉だけに全額使われているのであれば、私はそうした感想を抱く事はなかったんだけれど、そもそも障害者福祉は国が行ってもいるんだし、足りない部分を補完する形で募金が使われているなら、まだいいとは思う。
でも実際には、社会福祉(老人向け含む)、環境福祉、災害支援の3つに分けて募金を使用しているそうだし、となるとテレビで登場している障害者ってのは、それはただのマスコット扱いと言えるんじゃなかろうか
それに、24時間テレビで登場した障害者の方々が、24時間テレビによって集められた募金の恩恵を受けているのかどうか、私は疑問を持っているんだわ
募金によって購入された福祉車両だって、老人福祉にではなく障害者福祉の為に使われているものが、全体のどれだけあるんだろう。もちろん、そうした車両の導入によって恩恵を受けている方々はたくさんいるのを承知した上で。
ただ、募金活動そのものをイベント化している功績は大きいとは思うよ