大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。

タグ: 阿波弁

ドウモ( ・∀・)っ旦
発達障害と診断されて、ようやく3年が過ぎようとしている私ではあります。
診断されてしばらくは、「発達障害?何それおいしい?」って感じで、特に何も考えなかったんだけれど、数多くの医療関係者や福祉関係者さん達と関わっていくことで、それがいかに厳しい状況なのかを自覚していった次第。
今でも、発達障害に関する資料を読み解いていくと、絶望感しか出てこない、ってのが正直な感想ではあるんだけれど、それでも、自分自身のことだし、それに、私以外にも発達障害で悩んでいる方も多くいらっしゃるのだから、そうした方々への助力にもなれれば、なんて思っていたりもします。
特に私の場合、自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)及びADHD、さらに思考特性も変わっているとのこと。さらにIQが平均値以上だとのことなんだけれど、このIQの高さが、かえって生きづらくなっているそうだ。
そんなこと言われてもなあ。

基本的に標準語を話してます
さてさて。
私の普段の話し言葉は、生まれも育ちも徳島であるにも関わらず標準語です。
これは、私が記憶を失った23歳の頃に、「これから色々な人と話す機会が多くなるのだから、阿波弁だと、徳島県人以外には通じない、なら、いろんな人とふつうに会話できるようになるためにも標準語を話そう」と決め、独学で話し言葉を練習していった、って経緯があるからだったりします。
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当時は、車で移動中はラジオを聴いていたり、また、実際に標準語でしゃべる練習を単独で行っていたりしました。
発音に間してはまだ微妙なところはあるみたいだけれど、んでも、徳島県人に、「あなたいったいどこの生まれですか」と聞かれることも多々あり、私が徳島生まれの徳島育ちだと伝えると、かなりびっくりされていたりもします。
一方、うちの家族とは、阿波弁で話すことのほうが多い。つまり、私の阿波弁は、私の家族以外には使うことがない、ということになるんです。

悦子と話すのも標準語!
そして、婚約者の悦子に対しても同じく。
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彼女と出会った当初から、現在でも、私は悦子には標準語で話しかけていて、よく悦子は、「阿波弁が私にうつらない」とかぼやいていたりもします。
もっとも、私の母親の阿波弁が少しうつっているようですが。たまに「いけるいける(大丈夫、おいしいの意味)」が飛び出していたり。
また、私自身も、まれに悦子の広島弁が意識せず出てくることがありますが、私がそうして無意識に使う広島弁は、ごくわずかです。
だいたい、広島弁、よくわからん(´・ω・`)
「たいぎー」とか「たわん」とか、いまでも言われても意味を思い出すまでタイムラグがあったりします、はい。

阿波弁はむしろは話せない?
そんな悦子との会話だけれど、悦子は、私に、よく阿波弁を使うよう伝えてくるんだけれど、実はこれがかなり難しい。
と、いうのも、確かに私の家族とは、自然に阿波弁で喋ることはあります(もっとも、そもそも家族と会う機会そのものが少ないのだけど)。
だけど、そう言われて、いざ阿波弁を話そうとしても、標準語を阿波弁に変換する作業みたいなのを頭の中でやってしまって、うまく話すことができないんですね。なんか、阿波弁で話すのが抵抗があるというかなんというか。
思考力が低下している時には、ふと阿波弁で話をしていることはあるものの、普段は、阿波弁を話すのに、強烈な抵抗があったりするわけです。

アスペルガー者は標準語で喋る特徴が?!
ってことで、ここで1冊の本を紹介。
僕がこの病気を乗りこえてきてわかったこと ~コミックエッセイ アスペルガー症候群との上手なつきあい方入門
西脇 俊二
宝島社
2015-03-20

この書籍では、アスペルガー症候群を抱えている方の思考傾向や、実際にアスペルガー者の方に、どのような工夫や訓練があるかなどが優しく解説されているのですが。
この書籍にも、しっかりと、「生まれ育った家族以外には標準語で話す」ことが書かれていたりします。
この書籍に書かれている部分を見て、「いや私成人してから自分で標準語を話す訓練したんだけれど」なんて思ったんだけれど、特に自閉症系統の障害を抱えている人は、標準語を話す傾向があるんだとか。
それも、恋人、あるいは結婚したあとも、そうして標準語を話す傾向があるようでして。
おもいっきり私のことやんけ(´・ω・`)
悦子とは、いまだに、標準語で話をしていますし、付き合いだした当初は他人行儀だとかなんとか、そんなこと言われたような記憶もあるんだけれど、ともかく、現在でも、相変わらず、悦子に対しても、ほぼ標準語(たまに広島弁)で話すようになっております、はい。

悦子に対してだけのしゃべり方がある?
ただ、前述のように、悦子と話をしているときだけは、ごくまれに、悦子が使っていた広島弁が出ることがあります。
もちろん、広島弁を使うことそのものは意識していないですし、それに、悦子とは、今でも阿波弁で話すことができない。
んでも、こうして、悦子と話をしているときだけ、たまに広島弁が出るってことは、悦子に対してだけの話し方を私が無意識のうちに行っているんじゃないかな、と思うわけ。

付き合いだした当初から色々あったし、それに私が発達障害だと解ったのは、悦子と出会って1年が過ぎたころ。
今でも、悦子がわざわざ私のところまで来てくれていたり、それにほぼ毎日、何らかの形で連絡を取り合っていたりして、いい付き合いをしてくれていると思う。
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悦子が私と別れると決めたらそれまでだと私は思っているんだけど、その上で、今でも私と付き合ってくれているんだから、すごいもんだよ。
もっとも、悦子の気苦労ってのは、計り知れないとも思う。
発達障害の夫を持つ妻の立場から、いろんな苦労話を聞いているし、(医学的にはそのような症例は無いとされているけれど)カサンドラ症候群になる可能性だってあり得る。
現在でも発達障害の勉強を続けているのは、可能な限り、付き合う上での悦子の負担を減らしたいからなんだけれど、うまくいっていないところも多いと正直思っていたりもするんだわ。
それに、私だって何もできないわけじゃない。悦子にできるだけ配慮するよう心がけているつもりだけれど、それでもうまくいっているとは言い難いと思う。
私と悦子、違うところだらけで、同じところがこれっぽっちもない。んでも、うまく付き合い続けられるのも悦子のおかげです、はい。

今後も、悦子に、阿波弁で話しかけることは、かなり難しいと思う。んでもまあ、悦子に対してだけの話し方がある、ってのに気がついたってのは、案外大きなポイントなのかもしれないね。



まいど(*・ω・)ノ
発達障害に関する学習を行うことで、私自身が抱えている障害の理解、そして、私自身そのものへの理解を深めていっているわけですが、一方で、その勉強を進めつつ、その症状が出ているときに、実際に私自身は、どんな感覚になっているのかを言語化できるようにもなっていっています。
その言語化というのは、もちろん、私自身がそう感じるというもので、一般的に言われていることとは違っているとは思いますけれど、変な話、当事者が当事者自身の研究をしているってのは、あまり例がないんじゃないかなあ

話が長い?
さて、今回は、発達障害の中でも、これはアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の傾向の話になるやと思いますが…
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私がよく言われるのが、「話が長い」とか言われてしまうこと。
私は、相手に、私の意思を明確に、かつ確実に、誤解なく伝えられるよう心掛けているのですが、どうもそれが、相手にとっては、話が長いとか、くどいとか言われる原因になっているようです。
もちろん、これは、受け取り手の問題でもあるのやもしれません。
ですが、私は、ちゃんと私の意思を伝えることができているかどうか、かなり気にしているんですね。
この、話が長い云々は、いずれの機会に記事にするとして。

悦子と標準語で話しています
そしてもうひとつ。私は、普段から、標準語で話をしています
私は、生まれも育ちも徳島。県外に出で生活したことは、今まで一度もありません。
親とは、阿波弁で話すこともありますが、ですが悦子に対しても、いまだに、標準語です。たまにかんたんな広島弁が混ざります。「たいぎ~(めんどうくさい)」とか。
ちなみに、そうした悦子の広島弁を初めて聞いたときは、
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何のことか、さっぱりわかりませんでした。今では、「たいぎー」「たわん」とかは、悦子に説明してもらってわかりますし、そのためなのか、映画「この世界の片隅に」で使われている広島弁も、ほぼすべてわかりました。漫画原作も入手しましたよ。
映画については、気が向いたときにレビュー記事を書いてみることにします。迫力もなければ、わざとらしさもない(若干ファンタジーが入っていますが)、戦争中の、ごく普通の生活を描いた作品は、おそらく今まで無かったのではないかと思います。

私が標準語で話すようになったわけ

私がなぜ標準語で話すようになっているのか、ですが、これは、記憶を失う前の、実社会での経験も関係あるようです。
私の当時の仕事、そして記憶を失って以降に行っていた仕事もそうですが、不特定多数の方々と話をする機会が非常に多くありました。
ですので、阿波弁で話すと、阿波弁がわからない方々との意思疎通に問題があると考えたわけです
私の意思を正確に伝えるためにも、阿波弁を使うより、常に標準語を使うほうがいいと考え、独学ではありますが、普段は標準語を使うように練習をしていきました。
もちろん独学ですので、一般的な標準語とは、ややイントネーションに違いがあるでしょうが、その結果、徳島県人の方々に、「どこの生まれですか」と聞かれるようになることも多々。ずっと徳島で暮らしていると答えると、驚かれます。

話が長くはなってるけれど…
ってことで、標準語で話をしているのは、相手に配慮するためでもあり、そして私の意思を正確に誤解なく伝えたいため、と考えたから、なのですが…

こちらの書籍を読んでみると、アスペルガー者は、生まれ育った家族以外の方々とは、標準語で話す傾向があるそうです。それがたとえ良き伴侶であったとしても
実際、上記のように、婚約者である悦子との会話であっても、私は標準語を話しています。
ですので、悦子には、「標準語ではなく阿波弁で話してほしい」と、よく言われてはいるものの、今でも悦子と阿波弁で話しかけようとしても、なぜか、葛藤というか、抵抗というか、そんな感覚があります。
悦子は、「しーちゃんが阿波弁でしゃべってくれんけん、いまだに阿波弁が私にうつらん」とかぼやいておりました。
もっとも、私の母の阿波弁が少しうつっているようですが。悦子は、私の母と、仲良くしてくれています。

何故悦子に阿波弁で話しかけられない?
私は間違いなく悦子がハイパー大好き(・∀・)
でも、それでも、いまでも悦子に標準語で話をしている。他人行儀だとかそんな感じで悦子にも言われたことがあるのですが、それでも、いまだに、ほぼ標準語のままです。
なぜ、私が、そのように、いまだに標準語で話しかけているのか、なのですが…
それを私自身が、認知行動療法のひとつを用いて、私のことを推測してみると、結局のところ、悦子に誤解されないようにしたいから、という感じでした。
私の親とであれば、阿波弁で会話をしても、私の意思を理解してもらうことができる。これは、「親と阿波弁で話す」という習慣ができているから、ですね。
ですが、悦子とは、阿波弁で会話するという習慣そのものがもともとありません。それを、阿波弁で会話するよう修正しようとしても、【変化に弱い】という発達障害者特有の思考により、強烈な抵抗を持っている、と考えられます。

標準語を話すきっかけは、コミュニケーション能力が要因?
アスペルガー者(自閉症スペクトラム)は、対人関係、つまりコミュニケーションに関する障害を抱えています
私自身、発達障害と診断され、その勉強を進めるうえで、過去の、そうした対人関係に関するトラブルを振り返っていきました。そして、私の、コミュニケーションに関する考え方が、健常者のそれと大きく違うことがわかりました。
もっとも、それでも、私は、健常者のコミュニケーションの考え方のほうがおかしいと思ってもいます。このあたりのことは、いずれまた違う記事で書くとして。
ともあれ、そうして、対人関係のトラブルを数多く経験しているからこそ、相手に、正確に、明確に意思を伝えたいと自然に考えるようになったことから、標準語を話すようになっていったと推測しています
ですが、そうして標準語を話すようにしたことで、同じ徳島県人からは不自然に思われるようになったと考えられます。徳島県人にとっては、阿波弁を話すのが当たり前。標準語のほうが、かえって珍しいのですから。

今後悦子と阿波弁で会話できるの?
とまあ、このように、普段から標準語を話し続けている私ですけれど…
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ここでひとつ気になるのが、悦子に対して、今後も標準語で話しかけるのか、ってこと。
何度も阿波弁で話をしようとしてみたことがありはするものの、ちゃんと言葉が出てこなかった。
それに、私が標準語を話しているとはいえ、会話による意思疎通はできているわけだし、阿波弁で悦子に話しかけるという必要性もないんじゃないの、とか、普段から、阿波弁を話そうとしても、なんかわざとらしいという感じがするとか、そんな感覚になるんです。
私の、そうした、アスペルガー症候群の特性については、悦子は理解している、と言ってくれていることもあるため、悦子に阿波弁で話しかける努力をしないでいい、の、ですが…
普段から阿波弁で話すことのない私には、難しいことなのやも知れません。

一人称が「私」である理由
ちなみに、これは余談ですけれど…
普段から、私の一人称は「私」です。それ以外の言葉は使ってはいません。
なぜ私が「私」と表現しているか、とある方から質問を受けたことがあるのですが、どうもこれは、何かの漫画の影響のようです。
どの漫画なのかは解らないのですが、社会人になったら、一人称は私にしなさい、という感じの台詞があるのを、その質問を受けたときに思い出しまして、おそらく、それを見てから、「私」と表現しだしたのではないかと。
ですが、何らかのきっかけで、ふと「俺」と表現することがあります。年に数回あるくらいのことではあるもの、ふいに「俺」という言葉を口にします。
なぜ、「俺」という言葉が出るのかは、いまだによく解っていません。
そもそも、私の事を「俺」と表現することを、私は嫌っているようにも感じています。嫌っている一番の理由は、普段、使わない言葉だからだと思うのですが。
なぜいきなり「俺」という言葉が私の口から出るのか…ただし、見ず知らずの方々の前で「俺」という言葉が出たことはありません。
communication_hanashiai
悦子と話をしているときにだけ、ふいに「俺」という言葉が出ています
と、いうことは。
私が「俺」と言ってるのを聞いたことがあるのは、おそらく悦子だけなんじゃないかな?


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