大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。

タグ: 発達障害

どうも(*・ω・)ノ
発達障害者は、総じてストレス耐性が低い傾向があるそうで、そのため、そのストレス対策に関する学習を行い、自分なりに取り入れていっていたりします。
私の場合、
  • マインドフルネス
  • マインドフルネス瞑想
  • コーピング
  • 認知行動療法
  • WRAP
  • 時間管理(タイム・クェスト)
  • ets.....
と、いったものを取り入れている、んですけれど、そうした学習をすることで、精神的には、かなりマシになってはいます。
もっとも、いわゆる「ストレスフリー」なんてのは現実的ではないですし、そもそも、ストレス対策の基本は、ストレスといかにうまく付き合っていくか、っていうことなので、そのとき抱えているストレスを軽減するかってのが大きな課題です。

自閉症スペクトラム障害
さてさて。
数年ほど前になりますけれど、発達障害の3つの分類のうち、広汎性発達障害「アスペルガー症候群」と「自閉症」の、2つの症状が、まずアメリカ精神学会にて「自閉症スペクトラム障害」として統合され、WHO及び厚生労働省も、後に診断基準を統合、現在では、「自閉症」「アスペルガー症候群」の、2つの診断名は使用されなくなっています
そもそも、自閉症とアスペルガー症候群のこの2つの症状について、その大きな違いというのが、生まれてから意味のある言葉を話すまでにかかる期間くらい、らしい。それ以外は、その症例は共通している部分が非常に多いことから、この2つの障害を別個のものとして診断しづらい、とまあ、このようなことのようです。
ただし、現在でも、「アスペルガー症候群」を銘打った書籍が出版されているのは、この自閉症スペクトラム障害という名称がまだ周知されていないことや、アスペルガー症候群という名称のほうが知名度が高いことも挙げられるのではないかと考えています。

アスペルガー症候群という名の病気はなくなりましたけど…
その上で。
アスペルガー症候群、あるいは、アスペルガーという名称が一人歩きをしてしまっていて、いろいろと誤解をされている方も多く見受けられます。
特に、コミュニケーションがうまく取れなかった方に対して「こいつはアスペだ」と決め付けたりする行為が見受けられますが…
その上で、YouTubeに、精神医学の情報を流されている精神科医の樺沢紫苑氏の、次の動画を視聴していただければと思います。

アスペルガー症候群という名の病気はなくなりましたけど…【精神科医・樺沢紫苑】

https://youtu.be/R0mmvN1MTHU

発達障害の間違った情報に左右されるな!
さて、動画内で、アスペルガー症候群を疑って診断を受けに来た方で、実際にアスペルガー症候群だった方は一人もいなかった、と医師は伝えています。その原因として考えられるものについても。
実のところ、アスペルガー症候群を含め、発達障害に関する間違った情報が非常に多く流れておりまして、それはネット上だけでなく、一般書籍についても同じことが言えます
ネット上には、様々な情報が流れているのですが、その情報の正確さについては、情報を収集する側としては、さほど考えられてはいないのではないでしょうか。
そして、発達障害の当事者も、そうした間違った情報を過信している場合もあったりするので、さらにやっかいです。
私自身、このようにブログや、場合によっては動画で発達障害の情報を提供していますが、その場合も、間違った情報を伝えないよう、可能な限り情報を精査するよう心がけてはいます。もっとも、私自身、ただの当事者ですし、専門的な学習を行っているわけではないので、当たり障りのないこと以外は伝えないようにしている、というのもありますが。
では、どのような情報を信頼すればいいのか、という話になりますよね。
間違いのない、正しい情報源としては、発達障害の当事者(あるいはその保護者)の場合ですと、主治医の話が確実です。
また、次に挙げるサイトの情報は、間違いがありません(ただし掲載されいている情報が最新のものとは限りません)。

ネット上での個人診断は危険?では診断してもらうには?
さてさて。
自閉症スペクトラム障害及びADHDについては、ネット上で、簡易診断を行うことができるようなものがいくつも存在します。
ですが、自閉症スペクトラム障害も、ADHDも、実際に障害に当てはまるかどうかについては、医師が診断します。ですので、テストの結果だけで、自分は発達障害だと考えるのは早すぎます。
その上で、その簡易テストの結果により、実際に発達障害なのかどうか診察してもらうそのきっかけにすることは有効だと私は考えています。
ただし、発達障害の診断ができる病院は非常に限られており、かつ、ネット上に掲載されいている、発達障害を診断できる病院のリストは、実際にはあまりあてにならなかったりします。
と、いうのも、子供の診断しかしていない場合があったり、また、発達障害と診断されている方の診察はできても診断そのものは行っていない場合もあったりするためです。
さらに、発達障害の知名度が向上したことにより、診察を希望される方が増えたことにより、実際に診察を受けるまで、場合によっては1年待ち、なんて話も聞き及んでいます。
発達障害者支援法という法律により、各都道府県に、最低でも1箇所、発達障害者支援センターを設けるようになっており、徳島県の場合は2箇所設置されています。
上記サイトに、各都道府県にある支援センターの検索ができますので、そちらを経由して、発達障害か否かを診断していただける病院を教えていただくのも手です。

診断を受けるメリットは?
その、発達障害の診断を受けるメリットについてですが…
これは、あくまでも私の体験談を踏まえた話をすることをまずお断りしておきます
発達障害の診断を受ける際、その診断を行うために、数多くのテストを受けることになります。実際にどのようなテストを受けるのかについては、正確なテスト結果を出すためにも事前に調べないほうがいいでしょう
そして、そのテスト結果によって、実際に発達障害なのか否かが判定されるのですが、ただ単に発達障害なのかどうかだけが判るわけではありません。
自分自身の考え方の癖などが、そのテストから浮かび上がってくることから、自分自身が、実際にはどのような特性を持っているのかを知るきっかけにもなると思えるからです。
そして、テストを受けた結果、実際に発達障害だったのならば、その発達障害にうまく対応するための知識や工夫を学ぶようになったり、場合によっては投薬治療が開始されることにもなるでしょう。
また、発達障害ではないという診断が出たならば、それはひとつの安心材料になるはずです。
中には、テスト結果に納得がいかず、自分は発達障害に違いない、と考える方もいらっしゃるようですが、それはさておき。
また、精神科あるいは心療内科は、精神的な何かを抱えている方が訪れる場所というイメージがありますが、それだけでなく、精神疾患を未然に防ぐため、あるいは精神状態からくる身体の異常を発見するなどの役割もあります。ですので、気軽に通っても問題ないと考えていただいていいようですよ。
アメリカでは、健康な方ほど精神科に通っているような、そんな話をちらっと聞いていますし、敷居の高いようなところでもなかったりします。
要するに、病気を未然に防ぐために病院を利用することもあるのですし、そうした意味でも、精神科及び心療内科の利用は有効だ、ということができるんですね。
要するに、病院は、病気を治すだけでなく、自身の身体や精神に関する不安材料を消す場所でもあるんです。

「発達障害」と言いたがる人たち (SB新書)
香山 リカ
SBクリエイティブ
2018-06-06

まだ出たばかりの書籍で、内容について確認はしておりませんが、今回の話題で、こうした書籍は参考になるのではないかと思われますよ。私も念のため入手する予定です。


ドウモ( ・∀・)っ旦
抗ADHD薬「コンサータ」って薬を常用している私。
この薬は、投薬して12時間以内に効果が切れてしまう、ちと特殊な性質を持っている薬でして、この薬との付き合い方は非常に大変なんです。
と、いうのも、その12時間以内という制限時間のうちは精力的に活動できるんだけれど、効果が切れたら、反動で疲れがどっと出てしまい、鬱状態になってしまう。
しかも、12時間以内という時間設定が非常に曖昧で、私の体感で、10時間くらい経過すると、倦怠感がどっと出てきます。
なので、夕方以降は、気力が沸かず、やる気がでなくなってしまう、とまあ、こういうわけ。
このコンサータの効果時間中、いかに精力的に、生産的な行動を行うかを考えなければならないし、その日の予定に応じてコンサータを服用する時間をあえてずらす必要も出てきてしまいます。

前頭葉をコントロールする
その、コンサータという薬もそうですが、それ以外にも向精神薬も処方されもいることや、また、発達障害を理解するために、脳というものそのものを中心に、精神状態や思考能力を理解するようになっています。
そもそも、脳も、人間の臓器のひとつで、この脳で、人間は物事を考えています。
その考えるという作業を行っているのが前頭葉という部分でして、この前頭葉をいかにうまく操作するかが、今の私のテーマ。
発達障害者に限らず、脳の中でも特にその中身を意識して変えることができるのが前頭葉だそうでして。
つまり、考え方を変えるイコール前頭葉の改変、というわけ。
なので、考え方を変えていくことで、発達障害その他の対策をとっていこう、というわけです。
かなり大げさな書き方ではありますが、私が今勉強あるいは独自研究しているのが、こうしたことなんですね。

「自然の法則」というキーワードの元で様々な要素を統合する
そして、その考え方を変えていくことで大切になっていくのが、様々な知識。
もっとも、専門的な知識を学ぶことは避け、あくまでも自分自身が活用できる範囲でのみの学習となるんですけれど、以前も、「自然の法則」というキーワードのもとで、それぞれ違う分野の物事を統合して考えることができるようになった、って記事を書いた、んだっけか確か。
そうして統合して考えられるようになっているのが、
  • 7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー)
  • T.Q~タイムクエスト(ハイラム・W・スミス)
  • A4メモ術(赤羽雄二)
  • 認知行動療法
  • WRAP(元気回復行動プラン)
  • ストレスコーピング
  • マインドフルネス
などなど、といったもの。
これらは、それぞれ「自己啓発」「時間管理」「ロジカル心キング(論理思考)」「脳医学」「精神学」など、という感じで、ふつうに考えると分野が違うものばかりではある。
だけれど、前頭葉にアプローチする、という点においては、これはら共通している、ってわけ。
そもそもは、T.Qという書籍を私の座右の書としていて、これは私が使用しているフランクリン・プランナーのマニュアルでもあるんだけれど、この書籍は、時間管理は「自然の法則」に従う必要がある、と説いている。しかも、人の考え方や捉え方も自然の法則に従うことを強く説いている。
そして7つの習慣も、そもそも7つの習慣は、今までも様々な形状の書籍が出版されているけれど。その中で「特別版」にて記載されている著者のインタビューにも、「自然の法則」という言葉が記載されていたことから、この「T.Q」と「7つの習慣」を、自然の法則というキーワードのもとに、同一のものとして考えるようにできた。
もっとも、7つの習慣は、他者とのかかわり合いについても色々と触れられているんだけれど、こちらはまだ自分自身では理解ができていない。私の発達障害の特性も影響があると思う。
そしてこれら自然の法則というキーワードを元に、そもそも人体も自然の法則に従って動いていること、脳も人間の臓器の一つであること、そして、その脳も、自然の法則に従って利用すればうまく活用することができる、という感じで、考え方を切り替えていったんだ。
そうすることで、少なくとも私はだけれど、そうした学習の効率が大幅に向上したってわけ。
もっとも、こうした考え方をしているよ、ってだけで、他の人が同じように考えられるかどうかはまた別の話ではあるんだけどね。

私の学習における欠点
ただ、私の場合、そもそも物事の覚え方がふつうとは違うと指摘されている。
書籍を読むことで理解を進めようとするのがそもそも苦手らしく、映像などで学習するほうがいい、ということなんだそうだ。
実際に書籍の内容についても、一連の流れ(ストーリー)として覚えていってるような感じで、細かな部分までフォローできていないってのは実感してる。
お世話になったサビ管によると、「何かを覚える行程が、階段で言うと段をとばして一気に登っていっているようで、抜けているところが非常に多い」のだそうだ。いやもう指摘されたまんまですね。
また、要点をまとめることも苦手で、書籍の内容をノートにまとめていったり、またアンダーラインを引いたりすることもできない。
なので、そうした書籍は、何度も反復して読むことで記憶に定着させる、という方法を取るようになってしまい、また、そうして覚えたことを実際に実践できるかどうかについても怪しいと思っていたりする。
さらに、落ち着いてゆっくりと時間をかけて理解をすることもかなり苦手だと思う。
んでもまあ、色々な、全く違う事柄について、その共通点を見いだして、その共通点を元に理解していく、って方法なども用いて、物事を置き換えて理解するようにはしているんだけどね。

今重点的にやっていること
さて。
今私が重点的に行っている勉強ってのは、その発達障害、自閉症スペクトラム障害とADHDの2つを持っていて、しかもその症状はかなり深刻らしいんだけれど、ともあれ、その症状をうまく活かせないかな、ってところ。
ADHDに間しては、投薬で症状をある程度緩和することはできてはいる。でも完璧ではないし、薬にはもちろん副作用もある。薬が効いている時と切れているときとでは、脳の状態が全く違うんだ。
さらに自閉症スペクトラム障害に間しても、実際に障害と認定されているように、人並みの生活ができるような状態ではないそうだ。
んでもまあ、何もできないわけじゃなし、ある一定の工夫と、考え方を変えていくことで、ある程度ましになるとは思っている。
幸いにも、発達障害に対応するための研究もかなり進んでいるし、そうした情報も取り入れつつ、では私ならどうすればうまくいくのか、なんてのを色々と勉強し工夫してる。
ただ、その対策というのが、非常に項目が細かい。とあるテスト結果から、工夫するべき要素が圧倒的に多いことが解っている。それこそ、他者の介助が必要な項目ばかりだ、とのこと。
この点は、「身体障害」「知的障害」「精神障害」「発達障害」その他、障害と名の付く症状の共通点を見いだして考えるようにできるようになった、んだけれど、このあたりの話は、いずれまた別の機会があればブログなどで話してみようと思ってたりします、はい。


赤羽雄二さんが考案した、この書籍で紹介されているA4メモ術は、心理学系統で言うところの「自動思考」を鍛える為のものではあるけれど、それ以外にも色々と面白い効果があるよ。

ドウモ( ・∀・)っ旦
ブログ記事は、メインPCだけでなく、タブレットPCでも執筆してたりします。
タブレットPCは、8インチのAndroid端末。こちらにATOKもインストールしているから、日本語入力環境はほぼ同じ。そのタブレットPCにキーボードとマウスを接続して使用している、とまあ、こういうわけ。
もっとも、メインPCと全く同じ環境でブログを執筆できるわけではなく、微妙に不便さはあるんだけれど、それでも、ただ単に文章を書くだけだったら、特に不便はなかったりします。
最近では、このタブレットPCをどのように使うかについて、色々と悩んでいたりもしますけれど、まあそれはさておき。

生放送中で受けた相談
さて、ニコ生で生放送をしていると、いろんな方から相談を受けることがある。その相談内容も様々なんだけれど、そんな中、とある会社のお偉いさんから、とある相談を受けたんだ。
採用した従業員は、診断を受けたわけではないんだけれど、発達障害の可能性があり、うまく業務をこなすことができない。どのようにすればいいのだろうか。
この相談を受けたときは、実のところ、現在のように発達障害と、それに関連するであろう様々な情報を掴んでいる状態ではなかった。その上で、次の事を伝えている。
  • 発達障害の診断を受けるよう会社から促すのは、会社とその従業員との信頼関係を構築してからのほうがいい
  • その従業員が、どのようにすればうまく業務をこなせるようになるのか、一緒に考えること
  • 実際に発達障害と診断された場合は、様々な福祉サービスを利用することができるので、会社としても積極的に取り入れるよう
現在の私が同じ相談を受けたら、当時よりさらに知識を得ている私であっても、同じ回答をしている。ただ、もっと細かいところを伝えていたのかもしれないけれどね。
また、それでもうまくいかない場合は、最悪、その従業員を切り捨てることも考えなければならない、というところまで伝えてある。これは会社としての利益を守るためでもあるし、また、その従業員にとっても、残酷な表現ではあるけれど有効だからなんだわ。
その後、どのようになったのかについては、私は知らないし、知る必要もないと思う。でも、双方にとっていい方向に進んでいるんじゃないかなと思っていたりもします。

アスペルガー者への仕事の指示の方法
さてさて。
自閉症スペクトラム障害、つまり自閉症やアスペルガー症候群の人へ、何らかの仕事を行わせる場合、これは健常者よりも、伝え方を工夫しなければならない。
これは、仕事のみならず、私生活についても同じ事が言えるわけだけれど、ともあれ、健常者側が、アスペルガー者に対して指示を行う場合、次のことを心がけて欲しい。
  1. あいまいな表現を避ける
  2. 指示は細かく行う
  3. 業務は細分化させひとつの業務だけに集中させる
  4. その仕事は何のためにあるのか理解させる
とりあえずは、この4点だ。
もちろん、個人差もあるんだけれど、大ざっぱに、この4つを心がけてくれるといいと思う。

あいまいな表現を避ける
自閉症スペクトラム障害の特性を持つものは、あいまいな表現、あやふやな表現を理解しづらい傾向がある。もちろん私もだよ。
たとえば、「適当にやっておけばいいから」という表現。この「適当」というのが、どのような状態なのか、自分たちは理解しづらいんだわ。
それよりも、コンピュータプログラムのように、きっちりと事細かく指示を出したほうがいい。
また、「適当」という表現をできるだけ用いず、「誤差」という表現が使える場合であれば誤差がどれくらいまでという感じで伝えると解りやすい。
その他、「もう少ししたらできる」という表現の、「もう少し」という表現も、その「もう少し」が、どれくらいの時間なのか判断がつかないんだ。なので、「あと5分くらいかなあ」って感じに、おおまかな目安を伝えてくれると安心できるし理解もできる、とまあ、こういうわけ。

指示は細かく行う
次に、指示の出し方についてだけれど、これも工夫が必要になってくるんだ。
「この仕事やっといてね」という感じで、普段なら指示を出して特に問題はないと思いがち。
でも、ただ単に「この仕事やっといてね」だけだと、その作業を終了させた後どのようにすればいいのかが伝わっていないので、その仕事が終わったあと、その指示を受けた者は事実上手持ちぶさたになってしまう可能性があるし、その他、色々と戸惑うことにもつながりかねないんだ。
なので、「この仕事を、○時までに仕上げて、仕上がったら一緒に確認するから声をかけて。解らないことがあったら○○さんに聞いてみてね。何かあったら私に相談しにきてもいいからね。」とかいう感じで、できるだけ細かく指示を出してあげたほうがいいんだ。
これは私自身の体験談になるんだけれど、とあるIT関係の訓練を受けていたことがあったんだ。
その訓練の場で、私は、全部、独学でやってのけた。資料も潤沢にあるし、自力で覚えることができるから。
ところが、だ。
私の隣に指導員がいて、その指導員に色々と相談しながら学習を進めるべきだった、でも何も相談しないから指導員が手持ちぶさたになってしまっていた、というのを聞かされた。そのときになってはじめて、「この人に聞いてよかったんだ」ということを理解した。つまり、誰かに聞いてもいい、ということを私は知らなかったし、気がつかなかった、ということになる。
そもそも、そうして「質問していい」という事を知らされていなかったものだから、質問するという手段があること自体気がつかなかったってわけ。
ただ、この場合、私自身が独学で学習できるだけの理解力があったのも原因ではあるんだけれど、その上で、そうして、「○○してもいい」ということを伝えておかなければ、そうした選択肢を思いつくことすらない、ってわけ。

業務は細分化させひとつの業務だけに集中させる
この項目は、「そんなもの当たり前でしょ」なんて思われるかもしれないけれど、これがけこう難しいんだわ。
たとえば、「これ、○○まで持って行って」という指示を出したとする。その上で、「あ、ついでにこれも」と指示を出した瞬間、混乱してしまうんだわ
上記の例は、きわめて単純な仕事だし、ついでの仕事を頼むってのも、特に珍しくはないはずだ。でも、こうした単純なことを追加するだけでも、非常に混乱してしまうってわけ。
なので、ひとつの業務を行わせているあいだは、できるだけその業務にだけ集中させ、追加で業務を与えないようにし向けたほうがいい。
あるいは、細かくミーティングを行い、作業の進展具合を確認しながら、どのようにすればいいのかを伝えていく、というのも有効な手段でもある。
さらに、行わせたい業務は、できればポストイットメモで書いて、それを渡すようにしておく、なんて手もある。
その他、様々な細かな工夫が必要になってくるんだけれど、ともあれ、そうして、今行っている、あるいは行わせようとしていること以外のことは伝えないこと、もし伝えなければならない場合は、メモあるいはメールなどの、文章で指示を出すようにすれば理解しやすくなる。

その仕事は何のためにあるのか理解させる
自分が行っている仕事は、いったい何の為のものなのか。それを理解できているかどうかで、生産性は格段に向上するんじゃないかな。
特に、アスペルガー者は、今行っている仕事が何の為のものなのか、それを理解できなければ、うまく動くことができない場合もあるんだわ。
これは、「あいまいな指示を避ける」という話にも関連していることで、その「目的」が何なのか理解できていない場合、なぜこの仕事を行う必要があるのかが解らい、これはモチベーションの低下にもつながってしまうことでもあるんだ。
要するに、その仕事の意義や意味を理解させる必要がある、ってわけ。
「とりあえずこれやっとけばいい」という感じで仕事をする、という感覚にはなかなかならないんだわ。

さらに大切なこと
とまあ、このように、4つの項目をざっと挙げてみたけれど、もちろん他にも様々な要素がある。
そして、もっとも大切なこと。
よく、仕事においては、「ホウレンソウ」が大切だと言われているよね。この場合の「ホウレンソウ」とは、「報告」「連絡」「相談」の、この3つのことなんだけれど、実はこのホウレンソウ、けっこう勘違いしている人が多い
このホウレンソウ、「部下は上司に対してホウレンソウを行うよう」なんてニュアンスで捉えているんじゃないかな。
ところが。これ、大きな間違いなんだ。
そもそも、「ホウレンソウ」を提唱した人は、「部下が上司にホウレンソウをしやすいよう環境を整えよう」としている。つまり、そうして、「報告」「連絡」「相談」をしやすくできるよう、上司は部下に配慮する責務がある、というわけだ。
そもそも、上司は部下を育てる責務があるわけだけれど、部下が発達障害者であるならなおさら、うまく業務を進行できるようにするために、その部下にある一定の配慮ができるよう取りはからう必要がある。
こうした配慮は、部下が発達障害者だからとかそういう感じではなく、部下ひとりひとりに、それぞれ違う配慮が必要になってくる。そしてそれは、「7つの習慣」でいうところの「信頼貯金」につながっていくんだ。
また、その上司本人がそれがうまくてきなくとも、ジョブコーチという制度があるので、そちらを頼ってみるのもいいんじゃないかな。

ところで。
ここまで、アスペルガー者に対しての、業務に関する伝え方について書いてきたけれど、これら項目を見て、違和感を感じた人もいるんじゃないかな。
と、いうのも、これらは、別に発達障害者相手ではなくとも、当たり前のことばかりだから
ところが、健常者の場合、細かく指示を出さなくとも、いわゆる「察する」ことで業務を遂行することができる。でも、アスペルガー者は、自分で判断できる要素が少ない場合、何をどうすればいいのか戸惑ってしまうし、あるいは、これまでの経験から、実際に業務で望むこと以外のことをやってしまう可能性もある。
それを避けるためにも、指示は細かくしたほうがいい。
中には、「それくらい自分で考えてやれ」なんて言う人もいるんだけれど、個人的には、そういう伝え方しかできない人は、部下が健常者だろうと発達障害者だろうと、人に指示する立場についてはいけないと思っているんだけどね。それは人に何かを伝える方法としては、やってはいけないことだと思うんだ。それよりも、一緒に考えよう、という感じで親身になってやれる人は、それだけ信頼関係も厚くなるんじゃないかな。







ドウモ( ・∀・)っ旦
発達障害関係の資料を読み進めるごとに、「ああ、やっぱり私は健常者ではないんだな」とかいう感じで絶望感に襲われてしまっております。
発達障害は、脳の先天性の障害なので、病気のように「回復する」という概念がなく、むしろ障害がある状態が、自分にとっては正常なものだから、その正常な状態が「改善する」なんてことは医学的にはあり得ない。
そこで、精神学的なアプローチ、つまり考え方を変える(実際には、脳の中の前頭葉の状態を変更してやる、ということになるかな?)ことで少しはマシになるよう仕向けているんだけれど、それでも、健常者と同じ状態になることはあり得ないってわけ。
なので、いわゆる人並みの生活を送る事は、もともとできないんだなあ、なんて思っていたりもします。
それでも、何も出来ないわけじゃないんだけどね。

悦子が見る夢は…
ところで。
私の婚約者である悦子とは、遠距離恋愛中ではあるものの、インターネットなどの通信網が整備されているおかげで、毎日頻繁に連絡を取ることができている。
もっとも、私からは積極的には連絡をしていないところが、このあたりが自閉症スペクトラム障害の特性なのかな、などと思ってしまうんだけれど…。
そんな他愛のない話の中で、悦子は、時折、見た夢の内容を話すことがある。それも、私と仲違いしていたり、私が不倫していたり、私が悦子にとって嫌なことをやっていたりと、ともかく、私が、悦子が嫌がることをしている内容の夢が多いらしく、むしろいい内容の夢を見た、なんて話は、聴いた事がない。
もっとも、夢は夢だし、現実的なものではないんだけれどね。
まあ、中には、私との関係を続ける上で重要なのかも知れない不思議な夢を見た事もあったそうで、実際にその夢の内容に従って行動してみると、悦子が驚いたこがあったりする。このあたりの話も、機会があればいずれブログで紹介するとして。
その、夢の中で私が登場するだけでなく、すでに亡くなっている両親が登場したりと、ともかく、悦子にとって身近な人物が夢に出てくる、ということなのだそうだ。

私が見る夢は…?
一方、私は、夢を見る機会そのものがあまりない。気がついたら翌朝、目覚ましが鳴っている、という場合が多いね。
んでも、たま~に夢を見ることはある。
それも、実際には無いアニメや特撮ヒーローの番組を見ていたり、あるいはその主人公になっていたり。
また、車を運転している夢の場合は、その車の運転もかなりむちゃくちゃだったり。
まあ、夢は夢なのだから、その内容がいい加減であることは当然なんだけれど、そんな折。
とまあ、上記のツィート内容のような夢をふと見たりして、ここでふと思ったんだわ。
私の身内が夢に出てきたことって、ほとんどない。
むしろ、現実の生活の内容が夢に出てくることもほとんどないし、それに、悦子も夢に出てきたことは今まで一度もないんだわ。そのうち出てくるかもだけれど。

私の親の場合
ちなみに、私の母親の場合だと、母が幼い頃住んでいた家で、母の両親と、そして何故かその家があった時代には生まれてもいない、飼っていた2匹の犬のうちの1匹が登場して、「あんた死んだんじゃなかったの?」とか言ってた、とかいう話を、悦子と一緒にいた時にしていた。
うちの親は、そうして家族や親族の夢を見ることがあるようなんだが…
まあ、私も、一度だけ、その飼っていた犬達のうちもう1匹が出てきたことがあったと記憶しているんだけれど。
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↑こいつ。んでも、本当にうちの犬だったかどうかは、なんか自信がなかったりするんだけれどね。

自閉症の見る夢は…?
そんなこんなで、その天皇陛下が登場する夢を見たそのあと、ふと思ったんだわ。
もしかして、自閉症の特性を持つ者は、そうして家族や親族の夢を見ることは稀なんじゃないのかな、って。
自閉症、自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群と、名称は色々あるんだけれど、そもそもその特性を持つ者は、興味を持つ対象が非常に限定されている。
私の場合は、特に人間に対して興味を持つことが出来ず、その結果、現在でも、人の顔と名前を覚えるのが非常に苦手。しかも、家族の誕生日すら覚えることができない。悦子の誕生日も、誕生日とは違う簡単な数字でのみ記憶していて、誕生日がいつかは、その数字から割り出さないといけないんだわ。つまり、何年何月何日、という覚え方をしていない、ってわけ。
そうした、他者に対する関心の無さってのが、夢の内容にも反映されているのではないか、と、ふと思ったんだわ。
もちろん、自閉症系統の特性も人それぞれ色々あるわけで、すべての自閉症の人がそうだ、なんてことは言ってはいないよ。それに、これは自分自身の経験を話しているだけだから。
その上で、様々な書籍や資料、自分自身の経験を照らし合わせると、見る夢にも影響が出ているんじゃないのかな、と、まあ、そんなことを思っただけの話です、はい。


私が発達障害と診断されて直近に購入した書籍のひとつ。
この本を読んで、私がいかに普通じゃないのかを自覚させられたって感じです。









どうも(*・ω・)ノ
前回は、発達障害者の「障害者」としての考え方(1)身体障害の共通項というタイトルで、まず、身体障害者に共通する事項について書いてみたわけだけれど、これは、こののちに続く事柄を説明するために、まずその例を挙げることで理解しやすくしたかったからなんだわ。
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もっとも、私の説明って、いろいろと回りくどいとか言われることもあるけど、んでも、これは、特定のだれかではなく、不特定多数に対して理解して欲しいからだったりします。
もっとも、発達障害者としての傾向もあるみたいだけどね。発達障害の症状の一つとして、「多弁」ってのもあるから。
んで、前回は、身体障害者にのみ焦点をあてたわけだけれど、今回は、身体障害者以外について、その共通項を掘り下げてみます。

身体障害者以外の障害者とは?
さて、障害者といっても、障害にはさまざまなものがある。
ここで、日本の法律のひとつである、障害者基本法から、障害者とはどのような者を指すのか、その文章を抜粋してみると。
 (定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
 一 障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
 二 社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。
とまあ、このようになってる。この法律が施行されたのは昭和45年、以降現在でも改定されているけれど、文面に、たとえば「っ」ではなく「つ」が使われていたりするところは、おそらく今後改訂されるんじゃないかな、とまあ、それはともかく。
この法律では、日本の法律の上での障害者とはどういうものなのかを指し示しているわけだけれど。
その、法律上で、障害者についてあ、大きく4つに分けられていることがわかる。
その4つというのは、
  • 身体障害
  • 知的障害
  • 精神障害(発達障害を含む。)
  • その他の心身の機能の障害
と、このようになってる。
最後の、心身の機能の障害というものについては、これは、上記3つに当てはまらないものであっても、その症状によっては疾病ではなく障害として認定する、という意味だととらえていいと思う。その上で、今回のこの話題では、「その他の心身の機能の障害」については取り上げないのでご容赦を。

精神障害と発達障害は同じもの?
で、ここで注意しなければならないのは、法律では、「精神障害(発達障害を含む。)」という表記がなされていることについて
このように表記されていることから、日本は、法律上、精神障害と発達障害は同一のものだととらえているのかと思われてしまうかもだけれど、実際にはそうじゃない。
発達障害者のための法律として、発達障害者支援法という、専用の法律がちゃんとあるんだ。
このあたりの話は、このブログでも一応書いたことがある。
ではなぜ、わざわざ「精神障害(発達障害を含む。)」なんて感じで法律上で書かれているかというと、その最大の要因ってのは、これは私の勝手な想像なんだけれど、精神障害者に対して適用できる法律は、そのまま発達障害者にも適用できるため、できるだけ早く発達障害者への支援を行うために、大幅に法律を改訂しなくていいようにするため、なんじゃないかなと思ってる。
なので、法律の上で、精神障害に発達障害を含むとして、発達障害者が円滑に支援を受けられるようにしている、これは法改訂の手続き上での問題で、いずれかの時代に、全体的な法改訂がなされたときに、精神障害者と発達障害者を別個に記載することになるのかもしれない。
ただ、発達障害者は、二次障害として精神障害を併発する可能性が非常に高く、この私自身もそうだった。なので、さまざまな制度を円滑に受けられるようにするためにも、法律上の文言については、このまま運用されていくことになるのかもしれない。

知的障害とは何か
そして、私が伝えたいことにつなげるために、知的障害についても触れておかなければならない。
知的障害と発達障害には、ある一定の関連もある、という表現をすると誤解があるだろうね。
実際に知的障害と発達障害を併発している方もいらっしゃるんだけれど、実はこの知的障害という定義については、なんかいろいろとややこしいみたい。
こちらは、Wikipediaの「知的障害」の項目から抜粋してみると、
知的障害(ちてきしょうがい、英語: Intellectual Disability)とは、
 1.知的機能に制約があること
 2.適応行動に制約を伴う状態であること
 3.発達期に生じる障害であること
の3点で定義されるが、一般的には金銭管理・読み書き・計算など、日常生活や学校生活の上で頭脳を使う知的行動に支障があることを指す。
と、このように記されている。
この文章を見るだけで、ぴんときた人もいるかもしれないけれど、要するに知的障害と発達障害の定義ってのは、けっこう似ているところがあるんだわ
とはいえ、私自身は、知的障害については勉強を進めていないこともあり、詳しく述べるのは避けるね。

精神障害、発達障害、知的障害の共通項
さて、と。
ここからは、精神障害と発達障害を分けて表記していくとして。そもそも発達障害の話をしているわけだし。
精神障害、発達障害、知的障害、この3つには、大きな共通点があるってのは、たぶんぴんとくるんじゃないかな。
つまり。
精神障害、発達障害、知的障害、この3つの障害は、いずれも、脳の機能に関する障害である、ということなんだわ
精神障害に関して言えば、こちらは先天性と後天性の、大きく二つに分けることもでき、かつ、回復する、あるいは「寛解」することはある。

寛解って?
寛解ってのは、聞きなれない言葉なので、ここで少し触れると。
寛解ってのは、完璧には治っていないけれど、完全に回復しているのに近い状態にまで回復している、って意味になる。
100%回復したことを全快、と表現するのに対して、たとえ1%でもまだ回復していない可能性がある場合に対して使われる言葉だ。
要するに、再発する可能性がある場合、この言葉が使われている、と思ってくれていいよ。

身体障害と、精神障害、発達障害、知的障害の共通項
そして、ここからが一番重要なこと。
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精神障害、発達障害、知的障害は、いずれも、脳の機能の障害である、ということは前述の通り。
そして、脳というのは、人間の体を構成する臓器のひとつでもあるんだ。
と、いうことは、だ。
身体障害と、精神障害、発達障害、知的障害は、それぞれ、人間が本来持ちえている機能が欠損しているという意味では共通している、と言える
そして。
前回の記事で、身体障害者の共通項として、次のことを挙げた。
健常者と同じことができない
特定の動作に関して、健常者では当たり前でも身体障害者には難しいものが多い
特定の動作に対して、道具あるいは人の手を借りる必要がある(あるいは、あきらめる)
そのため、実生活あるいは社会生活において様々な制限を受ける。
その制限のため、時間と手間が健常者に比べ余計にかかる。
その上で、今回の記事で一番言いたいことは、この、身体障害者の共通項ってのは、精神障害者、発達障害者、知的障害者にも同じことがいえる、ってことなんだ。
そもそも、この3つの障害は、状態はそれぞれ違えど、脳の機能不全によるもの。脳は臓器の一部であることから、この3つの障害は、脳の身体障害と言い換えることができる、といえる。

これからが本題、なんだけれど
普段、私たちは、常に何かを考えている。だけれど、その考えるという機能をつかさどる「脳」という臓器のことについては、さほど意識せず考えることができているよね。
実際にはそれだけじゃなく、なぜ人間は歩けるのか、手を動かすことができるのかとか、そんなことを常に考えながら動いている人なんて、ひとりもいないはずだ。
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車に例えて言い換えるならば。エンジンをかけてアクセルを踏めば車は動く。でも、アクセルを踏むと燃料がエンジンに送り込まれて空気と混合してプラグで点火されて云々…なんて考えながら車を運転している人なんて、一人もいないはずだ。
要するに、アクセルを踏めば車が動く、車が動くのは当たり前なんだけれど、それと同じように、自分たちが考えたり動いたりすることは、その人それぞれにとっては、もちろん当たり前のことではあるんだ。
そして、当たり前だからこそ、その当たり前なことに対して考えようとはしていない
だけれど、ひとくちに車といってもいろいろある。自家用車もあれば、特定の業務を行うための専用の車もあるし、それを運転あるいは操作する感覚も違っている。中には、初期不良あるいは故障している状態であっても、それでも動かしているものもあるだろう。
同じように、人間の体についても、それぞれ個体差はあれど、動くということそのものに変わりはない。んでもそれぞれ個体差があるわけだが…この、個体差という部分を取り上げて、発達障害者の中には、「障害」と言ってほしくない、という考え方を持っている人がいる、ってことになる、わけだけれど。

と、まあ、今回の記事は、とりあえずここまででおいておいて、次回は、この話題の締めくくりとして、私が伝えたかったことを書くつもりです。
その、伝えたいことってのは、場合によっては、誰かを苦しめかねない表現にもなると思う。それを理解しているうえで、あえて書いてみたかったもんだから。
と、いうことで、今回はここまで。



スマホの充電用に使用してます。まっすぐじゃなくL型になっていることで、断線しにくくなってるんじゃないかなと思って。
こういう小さな工夫みたいなものってのも、ものを大切にしにくい私のような者には有効だったりします、はい。

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