発達障害と診断されて以降、専門書籍と、様々な専門家とのカウンセリング、そして私自身の実体験をそれぞれ比較し、それをどうにかうまく言語化できるよう考察を続けています。
このブログ上でもそうですが、動画でも、フリートークという形で色々とお話していくよう計画をしており、ぼちぼち本格的に動画シリーズをすすめることができるか、な? なんて思っておりますよ。
さて、今回は、発達障害者が悩む「感覚過敏」について、私なりに言語化してみます。

なお。
私なりに、健常者の皆さんにも理解していただきやすくするための表現を行うよう心がけようとしていますが、その言葉の使い方により、かえって誤解を生む表現も含まれるはずです。ですので、私の言葉を曲解せず、そのままストレートに受け取っていただくよう、あらかじめお願いします。

私の、筆記の際の感覚過敏あれこれ
一口に、感覚過敏といっても、いろいろな種類があるわけでして。
 たとえば、私が、いわゆる高級筆記具を使用しているのは、そもそも書くことに対する様々なこだわりがあるからなのですが、それも、感覚過敏と関係があると、最近になって専門の方から指摘を受けました。
以前、私がボールペンが苦手な理由についての記事を書いておりますので、そちらも参考にしていただくとして…
まず、ペンを握った時の感覚に違和感を覚えてしまうこと。握った時の感覚が、筆記具によって、それぞれ微妙に違います。軸の太さもそうですが、グリップ感、素材から感じる温度、重量感など…
もちろん、その日の体調や精神状態によっても左右されることではあるのですが、そうした日々の自分自身のコンディションに左右されず、安心して使う事ができる筆記具は、ボールペンでは2本、万年筆では、現在では1本のみとなっています。万年筆を使う際にも、小村さんから、私には独特の癖があると指摘を受けていますが、それはまた別の話。
また、書く時の感覚についてもそうです。ペンを走らせる際、そのペン先の形状や、ボールペンであればボール径やインクの粘度などにより、感覚が違ってきます。
紙質も影響がありますね。特にペン先の細いもの、あるいはボール径の小さいものであれば、紙の凹凸が指先にダイレクトに伝わりやすく、その感覚に違和感を感じます。
さらに。書いたあとにもあります。
鉛筆での筆記は、書いたあとの線が、光に反射して光って見えますし、また、線の色も薄く感じてしまい、自分で書いた文字であるにも関わらず、気持ち悪いと感じてしまうんですね。
ボールペンの線も、過去の、質の悪いインクの場合では特にそうですが、書いたあとの線の色により、違和感があります。
こうした違和感は、精神的なストレスとなって跳ね返ってしまい、それが過剰になると、吐き気を感じることもあるくらいです。
私が今、安定して筆記を続けることができるようになっているのは、ひとえに、数多くの、様々な筆記具を、これは生前の小村さんが協力していただけていたからこそですが店頭で触れる機会があったためでもあります。私が、買ってもいない筆記具についての知識を持っているのも、これも理由です。
筆記の事だけでも、上記のように書いてはいますが、これは筆記の際に感じている感覚についての、ほんの一部に過ぎません。さらに細かな要素がありますが、それをすべて書くと、きりがなくなりますので、ここで置いておきます。

生活シーンでの感覚過敏は…
そして私生活でも、感覚過敏はあります。
たとえば、現在、とあるリハビリ施設を利用させていただいているのですが、利用者は私だけではありません。他にも多くの方々が利用されています。
となると、他の方々が発する、様々な音が私の耳に入ってくるわけですが、そうした音が、ほぼすべて、私のストレスになっています。
と、いうのも、他の利用者の話し声が、私を呼んでいるように錯覚したり、物音についても、気になってしまうんですね。
ですので、あえて、スマホにイヤホンを差して、大音量で音楽を聴き、周囲の音を遮断しています。
それだけではありません。利用者が私のそばを通り過ぎる際に発生する、わずかな風であっても、それがストレスとして感じてしまいます。そうなると、それまで行っていた、様々な作業が、一度に吹っ飛んでしまいます。仕方ありませんけどね。
これは施設利用に限ったことではありません。周囲に、私の事を知っている人がいて、その人が発する様々な言葉が、それがたとえ独り言であったとしても、私に向けられた言葉ではないかと認識してしまい、それが原因となって、それまで行っていたことが、すべて頭の中から吹っ飛んでしまいます。
トレーニングジムで機器を利用する際もそうですね。その機材を利用する際、同じ高さ、同じ姿勢を心がけているのですが、握る位置など、微妙な違いが気になってしまい、実際に運動を始めるまで、かなり時間をかけて準備しなければなりません。身体の、そうした微妙な感覚も、どうしても意識をしていまします。
思い返せば、ボウリング競技もそうでした。他の方々は、スタンス(はじめの、直立した状態。要するに、かまえの姿勢)から、プッシュアウェイ(投球フォームの初動)に移るまで、スムーズに動いておりましたが、私の場合、スタンスで多く時間を費やしてしまいます。微妙な身体の感覚により、姿勢を微調整するのに時間がかかるんですね。試合が全体的に遅れが出る一番の原因が、そうした、私の、鈍い動作によるものでした。もっとも、今では、ボウリング競技は、腰の疾患により不可能ですけどね。
この、運動に関する動作の遅さについては、精神科医から、「発達障害者は、どんくさい」とかいう表現をしています。このあたりのことも、いずれ記事あるいは動画として、お伝えするつもりです。

この感覚過敏がなぜ発生するか?
これでもかなり簡潔に書いたつもりではあるのですが、このように、触覚、視覚、そして聴覚に作用している様々な事柄について、健常者のそれよりも、かなり意識してしまう傾向があるのが、少しはお分かりいただけるでしょうか。
発達障害者は、こうした、様々な感覚が過敏となっており、それがストレスに繋がっていることが指摘されています。
ですが、なぜそのように感覚が過敏になってしまうのか、その理由については、今のところ、私が勉強してきた範囲では、具体的には述べられていないようです。
発達障害者は、脳機能が成熟していない、つまり脳機能発達障害である、と、私は表現しています。もちろん、この表現は、私独自の表現でして、専門的な表現ではないことをおことわりしておきます。
その上で。
この、脳の特定の部位が未成熟であることが、感覚過敏にも繋がっていると思われます。
最近、子供が、ピーマンなどの野菜を嫌うその理由について、以前まで、子供は味覚が発達していないからなのだろうかと考えていました。が、とある方から、実際には、子供のほうが、かえって味覚が過敏であるため、微妙に含まれる苦みなどを感じ、それが苦手な為嫌っている、という旨の説明を受けています。
つまり、子供の、そうした味覚の感覚過敏は、子供がまだ発達中だから、つまり未熟だからこその特徴である、といえるわけですね。
そして、発達障害も、どの感覚が過敏になるかには違いはありますが、脳の特定の部位が成長しないこと、つまり脳の一部が未成熟のままであることが原因です。
子供も、発達障害者も、脳が未成熟である、という点では共通している、というわけですね。
実際、担当精神科医から、私の抱えているADHD(多動性・多発性症候群)について、基本的に、そうした症状は、幼い子供には必ず見られる症状ではあるが、成長するにつれ、その症状は普通は消えていくものだと説明を受けています。
ちとこのあたりのことを事細かく説明していくと、今回の話の本質とずれてしまいますので、ここで置いておくとして…

感覚過敏の状態を言語化することができるか?
こうした、感覚過敏の時、実際にどのような状態に脳が感じているのか、それを言語化することは、かなり難しい作業です。そもそも、思考状態や身体の感覚を、言葉として表現することそのものが非常に難しい。言葉とは、それほどまでに不自由な制約があるものだったりします。
その一方、私が勉強してきたことと、そして私自身の実体験を元に、感覚過敏が、実際に、私の思考の上で、どのようになっているのかを、可能な限り皆さんに解りやすく説明するための言語化は、できつつあります。
このことは、発達障害者である私の思考特性を捉えるための、私自身に対する説明を行う為のものであり、発達障害に関する仮説ではないということを強く念押しした上で話を進めていきます
一般的に、「発達障害者は、脳のワーキングメモリ(一時記憶を司る脳の部位)が少なく、またシングルタスクである」と表現されています。
この、ワーキングメモリ及びシングルタスクという特性を、私自身の思考状態に当てはめて説明しようとした場合、ふたつの例えを用いて説明することが可能なのではないか、と考えています。
そのうちのひとつは、パソコンです。脳の情報処理の方法を、パソコンのパーツであるCPU、メインメモリ、そしてハードディスクの3つにわけて例えることで、記憶だけでなく、物事の考え方の特性などを説明することはできます。
ですが、この方法だと、パソコンにある程度知識を持つ方でなければ、その例えを用いても、理解はできません。
ですので、もっと一般的なもので例えることはできないかと常に考えていたのですが、今日になってようやく、皆さんもよく知っている、とあるものを用いて、ワーキングメモリも、そしてシングルタスクもすべて説明できるのではと考えています。
そもそも、ワーキングメモリの概念も、そしてシングルタスクの概念についても、インターネットでの様々な方の発言を確認していたところ、どうも実際の特性とかなりずれた認識をしている、つまり誤解が多くあるように感じています。
そうした誤解を可能な限り無くし、かつ、容易に説明を行える方法にようやく思い当たったのですが、その説明するための手順を考えるのに、まだまだ時間がかかりそうです。