大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。

タグ: アスペルガー症候群

まいど(*・ω・)ノ
発達障害に関する学習を行うことで、私自身が抱えている障害の理解、そして、私自身そのものへの理解を深めていっているわけですが、一方で、その勉強を進めつつ、その症状が出ているときに、実際に私自身は、どんな感覚になっているのかを言語化できるようにもなっていっています。
その言語化というのは、もちろん、私自身がそう感じるというもので、一般的に言われていることとは違っているとは思いますけれど、変な話、当事者が当事者自身の研究をしているってのは、あまり例がないんじゃないかなあ

話が長い?
さて、今回は、発達障害の中でも、これはアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の傾向の話になるやと思いますが…
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私がよく言われるのが、「話が長い」とか言われてしまうこと。
私は、相手に、私の意思を明確に、かつ確実に、誤解なく伝えられるよう心掛けているのですが、どうもそれが、相手にとっては、話が長いとか、くどいとか言われる原因になっているようです。
もちろん、これは、受け取り手の問題でもあるのやもしれません。
ですが、私は、ちゃんと私の意思を伝えることができているかどうか、かなり気にしているんですね。
この、話が長い云々は、いずれの機会に記事にするとして。

悦子と標準語で話しています
そしてもうひとつ。私は、普段から、標準語で話をしています
私は、生まれも育ちも徳島。県外に出で生活したことは、今まで一度もありません。
親とは、阿波弁で話すこともありますが、ですが悦子に対しても、いまだに、標準語です。たまにかんたんな広島弁が混ざります。「たいぎ~(めんどうくさい)」とか。
ちなみに、そうした悦子の広島弁を初めて聞いたときは、
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何のことか、さっぱりわかりませんでした。今では、「たいぎー」「たわん」とかは、悦子に説明してもらってわかりますし、そのためなのか、映画「この世界の片隅に」で使われている広島弁も、ほぼすべてわかりました。漫画原作も入手しましたよ。
映画については、気が向いたときにレビュー記事を書いてみることにします。迫力もなければ、わざとらしさもない(若干ファンタジーが入っていますが)、戦争中の、ごく普通の生活を描いた作品は、おそらく今まで無かったのではないかと思います。

私が標準語で話すようになったわけ

私がなぜ標準語で話すようになっているのか、ですが、これは、記憶を失う前の、実社会での経験も関係あるようです。
私の当時の仕事、そして記憶を失って以降に行っていた仕事もそうですが、不特定多数の方々と話をする機会が非常に多くありました。
ですので、阿波弁で話すと、阿波弁がわからない方々との意思疎通に問題があると考えたわけです
私の意思を正確に伝えるためにも、阿波弁を使うより、常に標準語を使うほうがいいと考え、独学ではありますが、普段は標準語を使うように練習をしていきました。
もちろん独学ですので、一般的な標準語とは、ややイントネーションに違いがあるでしょうが、その結果、徳島県人の方々に、「どこの生まれですか」と聞かれるようになることも多々。ずっと徳島で暮らしていると答えると、驚かれます。

話が長くはなってるけれど…
ってことで、標準語で話をしているのは、相手に配慮するためでもあり、そして私の意思を正確に誤解なく伝えたいため、と考えたから、なのですが…

こちらの書籍を読んでみると、アスペルガー者は、生まれ育った家族以外の方々とは、標準語で話す傾向があるそうです。それがたとえ良き伴侶であったとしても
実際、上記のように、婚約者である悦子との会話であっても、私は標準語を話しています。
ですので、悦子には、「標準語ではなく阿波弁で話してほしい」と、よく言われてはいるものの、今でも悦子と阿波弁で話しかけようとしても、なぜか、葛藤というか、抵抗というか、そんな感覚があります。
悦子は、「しーちゃんが阿波弁でしゃべってくれんけん、いまだに阿波弁が私にうつらん」とかぼやいておりました。
もっとも、私の母の阿波弁が少しうつっているようですが。悦子は、私の母と、仲良くしてくれています。

何故悦子に阿波弁で話しかけられない?
私は間違いなく悦子がハイパー大好き(・∀・)
でも、それでも、いまでも悦子に標準語で話をしている。他人行儀だとかそんな感じで悦子にも言われたことがあるのですが、それでも、いまだに、ほぼ標準語のままです。
なぜ、私が、そのように、いまだに標準語で話しかけているのか、なのですが…
それを私自身が、認知行動療法のひとつを用いて、私のことを推測してみると、結局のところ、悦子に誤解されないようにしたいから、という感じでした。
私の親とであれば、阿波弁で会話をしても、私の意思を理解してもらうことができる。これは、「親と阿波弁で話す」という習慣ができているから、ですね。
ですが、悦子とは、阿波弁で会話するという習慣そのものがもともとありません。それを、阿波弁で会話するよう修正しようとしても、【変化に弱い】という発達障害者特有の思考により、強烈な抵抗を持っている、と考えられます。

標準語を話すきっかけは、コミュニケーション能力が要因?
アスペルガー者(自閉症スペクトラム)は、対人関係、つまりコミュニケーションに関する障害を抱えています
私自身、発達障害と診断され、その勉強を進めるうえで、過去の、そうした対人関係に関するトラブルを振り返っていきました。そして、私の、コミュニケーションに関する考え方が、健常者のそれと大きく違うことがわかりました。
もっとも、それでも、私は、健常者のコミュニケーションの考え方のほうがおかしいと思ってもいます。このあたりのことは、いずれまた違う記事で書くとして。
ともあれ、そうして、対人関係のトラブルを数多く経験しているからこそ、相手に、正確に、明確に意思を伝えたいと自然に考えるようになったことから、標準語を話すようになっていったと推測しています
ですが、そうして標準語を話すようにしたことで、同じ徳島県人からは不自然に思われるようになったと考えられます。徳島県人にとっては、阿波弁を話すのが当たり前。標準語のほうが、かえって珍しいのですから。

今後悦子と阿波弁で会話できるの?
とまあ、このように、普段から標準語を話し続けている私ですけれど…
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ここでひとつ気になるのが、悦子に対して、今後も標準語で話しかけるのか、ってこと。
何度も阿波弁で話をしようとしてみたことがありはするものの、ちゃんと言葉が出てこなかった。
それに、私が標準語を話しているとはいえ、会話による意思疎通はできているわけだし、阿波弁で悦子に話しかけるという必要性もないんじゃないの、とか、普段から、阿波弁を話そうとしても、なんかわざとらしいという感じがするとか、そんな感覚になるんです。
私の、そうした、アスペルガー症候群の特性については、悦子は理解している、と言ってくれていることもあるため、悦子に阿波弁で話しかける努力をしないでいい、の、ですが…
普段から阿波弁で話すことのない私には、難しいことなのやも知れません。

一人称が「私」である理由
ちなみに、これは余談ですけれど…
普段から、私の一人称は「私」です。それ以外の言葉は使ってはいません。
なぜ私が「私」と表現しているか、とある方から質問を受けたことがあるのですが、どうもこれは、何かの漫画の影響のようです。
どの漫画なのかは解らないのですが、社会人になったら、一人称は私にしなさい、という感じの台詞があるのを、その質問を受けたときに思い出しまして、おそらく、それを見てから、「私」と表現しだしたのではないかと。
ですが、何らかのきっかけで、ふと「俺」と表現することがあります。年に数回あるくらいのことではあるもの、ふいに「俺」という言葉を口にします。
なぜ、「俺」という言葉が出るのかは、いまだによく解っていません。
そもそも、私の事を「俺」と表現することを、私は嫌っているようにも感じています。嫌っている一番の理由は、普段、使わない言葉だからだと思うのですが。
なぜいきなり「俺」という言葉が私の口から出るのか…ただし、見ず知らずの方々の前で「俺」という言葉が出たことはありません。
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悦子と話をしているときにだけ、ふいに「俺」という言葉が出ています
と、いうことは。
私が「俺」と言ってるのを聞いたことがあるのは、おそらく悦子だけなんじゃないかな?


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当ブログの、こちらの記事もご参照あれ♪
茉莉綉球(ジャスミンティー) 福建省福州産



まいど(*・ω・)ノ
悦子と出会う前と、出会って以降とで、私、かなり変わりました(☆゚∀゚)
精神的にもそうなんですけれど、生活についても、かなり変わりましたね。
その、悦子と出会う前はというとですね…たとえば…

作業服だけあれば問題なっしんぐ
そもそも体格も大きいものだし、一般的なお店に行っても、私の体にあう服ってのは、なかなか手に入りません。ユニクロにも一度行ったことはあるんですけどね、んでも服が小さくて入らなかったんですわ。
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でも、作業着なら、大きなサイズのものもあるし、何より、一年中同じ服でOK!
なので、作業着を、色違いの上着3枚、ズボン2枚で、これを一年中着ていました。
だって、綿の作業着なんだし、着こなしなんて気にする必要ないもんね。
夏場に関しては、同じく色違いの半袖のトレーニングウェアばかり着ていました。
私の過去の動画を見ていただくと、そうして作業着ばかり着ていたのがお分かりになると思うのですが…ともあれ、このように、同じものの色違いばかりを着ていたわけです。
要するに、約20年、同じ服で過ごしていたんです。
それに、何日も同じ服を着ているときもありますね。夏場はともかく、冬場は、同じ服を3日着続けているのは当たり前で、「ずっと同じ服着てる」と指摘されることもあります。…そういや今日着てる服も3日目だなあ。

悦子がキレた!
そして悦子と出会って以降も、私は、作業着ばかりを主に着ておりました。
悦子と出会ってすぐに、阿波踊りがあり、一緒に行ったのですが、そうしたデートにも、しっかりと作業着を着てお出かけしています。
そうして、どこに行くにも作業着を着ていた私に、悦子がキレた。「もっとおしゃれに気を使いんさい!」って。作業着を着た人とデートするのは、なんかやだって感じで。
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そして、しまむらに連れて行かれまして、…しまむらには、大きなサイズ専用のコーナーがありまして、価格も手ごろ。で、「これとこれ!」って感じで悦子が服を選び、それらを買いました。
そして髪も、それまで、2~3か月に一度、だいぶん伸びたな、って思ったときに散髪していたのですが、もっと短くしろってことで、散髪に行かされたり、あるいは悦子がバリカンで髪を切ったりしています。

確かに服は増えました
そんなこんなで、普段着が一気に増えましてですね…
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それから私は、普段は作業着は一切着なくなりまして、悦子が選んだ服を着るようになってます。
言い方を変えると。
そうして悦子が選んだ服だけを着るようになってます(・∀・)
むしろ、私から服を買いに行くことは、まったくないですね。昨年も、秋ごろに、冬用に新たにズボンを2枚購入したくらいで、それも悦子にしまむらに連れていかれてのこと。
自分ひとりだと、たまに下着を購入するくらい。それも年に2度あるかどうかって感じです。

服には無頓着?
とまあ、このように、おしゃれにはまったく無頓着な私ではあるのですが、ではなぜ、そうして服に無頓着なのかというとですね、結局のところ、「考えていない」から、だったりするんですね
よく、発達障害者、特にアスペルガー者(自閉症スペクトラム)は、こだわりが非常に強いとされています。これは私自身もある一定の自覚はできるようになってはいるのですが…
では、その私が、なぜ悦子と出会う前に作業着ばかりを着ていたかというと、結局のところ、作業着以外の選択肢をまったく考えていなかったから、なんですわ。
そして、悦子に連れられて買った服ばかり着て、自分では買いにいかない理由も、同じく、服を買う必要性をまったく考えていないからに他なりません。
要するに、そもそも、そうした衣服に関して、私は興味を持つことができないんですね。

こだわりが強い、んじゃないんです
繰り返しになりますが、発達障害者、特に自閉症やアスペルガー症候群、広汎性発達障害者は、特定の物事についてのこだわりが強いと言われます。
私の場合ですと、筆記具についての知識もそうですし、最近では思考術関係の知識もそうです。パソコンに関しても、私がパソコンを使うために必要な知識は一通り持っています。
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ですが、こだわりが強い…という表現は、私は違うと思っています。
むしろ、自分が興味を示したもの以外の事柄について、認識することができない、という感じですね。
作業着ばかり着ていたのも、そもそも「作業着でなければ」という価値観が自分の中に形成されていたから。それ以外の衣服について興味を示すことがなかったんです。
そして現在でも、悦子が選んだ服以外は、基本的に着ていません。これも言い方を変えると、悦子が選んだ服以外に興味を示していないから、と言えます。
また、私が昨年購入したズボンに関しては、これは私が選んだのですが、ですがこれも、今まで私が着ていた作業着と同じような感覚で選んでいますし、このところ、この2枚のズボンばかりローテーションではいています。
つまり。
そうしたもの以外の選択肢を認知することができていない、という感じの表現が正しいかと。
これは、発達障害者が「変化に弱い」と言われるところにも話がつながります。また、掃除が苦手な理由にもつながる話だったりします。

認識すれば、なんとかなるけどね

このように、おしゃれに無頓着なのは、私にそうした思考特性があるからなのですが、もちろん、何かのきっかけで意識すれば、自分から行動することはできます。
たとえば、悦子と出会う前は、髪が長くなってきたと認識することができれば、私は散髪に行っておりました。その散髪に行くペースは、2~3か月に1回くらいです。前髪が目に入りそうになった、ってのが目安でしたが、ともあれ、そうして髪を切らなければならないと意識するのが難しいわけです。
同じように、おしゃれ以外のものでも、「なぜそのようにしなければならないのか」を、論理的に、真剣に考えることで、ようやく自覚することができます。
その、自覚するための「気づき」ができない。また、それを指摘されても、なかなか受け入れることができないんですね。
現在では、悦子に言われたら、素直に聞くようにしていますが、言い方を変えると、そうして自覚することそのものを悦子に任せている、といったところでしょうか。
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もう悦子なしでは生きていけない、お願い捨てないで(´;ω;`)




あ。
悦子との関係は、良好でございますよ♪
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先日、ニコ生で、二人で生放送をしていた様子を、タイムシフト視聴していた悦子が、「なんかほのぼのしてる」とか表現してました。
そう言われて私も改めてその様子を見てみると、なんか不思議な感じではありますね。そのあたりの動画、集めて編集してみようかしら。



この書籍、発達障害のことを正確に記しているだけでなく、どのような誤解があるのかも書かれており、非常に参考になりますよ。


プーアル茶【熟小沱茶】100g
非常にお手軽な、プーアル茶の熟茶ですよ♪
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どうも(*・ω・)ノ
なんだかんだで毎日何かしらやらかしている私ではありますが、それもこれも、脳の異常によるもの。
その異常のせいで、健常者と比較してかなり面倒な生活を送っておりますが、工夫することによって、何とかなっていることもあるんです。

自転車かスクーターに乗って移動してます
さてさて、私が住んでいる地域は、公共交通手段があまり整備されていません。
バス停まで遠いわ、そのバスも1時間に1本バスが来るかどうかって感じで、都心部に比べて、移動が不便だったりします。タクシーしょっちゅう呼べるほどお金もありませんし。
ですので、徳島で住むには、こうした公共交通手段があまり整備されていないことから、生活には移動手段が必須。なので、一般家庭でも、車を数段保有していることも珍しくありません。
言い換えると、それだけ徳島で暮らすためには、自家用車などが必要、ということなんですね。
かくいう私は、自転車とスクーターを併用しています。

自転車はなぜか2台あります
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自転車は、クロスバイクを使用。クロスバイクっていっても、手ごろなお値段のものなんですけどね。
1台目は、交通事故に逢って廃車(´・ω・`)
2台目は、その交通事故で廃車になったクロスバイクと同等のものを入手。さらに荷台や前かごをつけて、荷物の運搬を容易にできるようにしてました。
が。なんと盗難に逢いまして、やむを得ず、通販で、送料込み1万円ちょいくらいのクロスバイクを購入し、使用し続けておりました。
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↑こういうのです。
そして盗難に逢ってから1年後くらいだったかな。警察から連絡がありまして、その盗難にあっていた自転車が見つかった、とのこと。
なので、現在、私の自転車は2台。気分に合わせて使い分けていたり、また、悦子とのサイクリングデートにも使っていたりします。
手ごろな値段のクロスバイクですが、楽しいですよ♪ 最近は、月500円くらいで自転車用の任意保険があるようですし、私も早めに入っておかなければ。

中古でスクーターも入手
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そしてスクーターも、こちらは中古で3万円で譲ってもらいまして、それを現在ではおもに使用しています。何しろ、通っている場所までかなりの距離がありまして、自転車で行くにも無理があるもんだから。
このスクーターで、今まで、広島まで二度ほど行ったこともあったのですが…
実は購入してから、何度も故障したりトラブルに逢ったりしてですね、修理代だけで10万円は使ってます(´・ω・`)
タイヤの交換は、これは必要なことだから当然だとしても、マフラーに穴が開いてだめになって丸ごと交換したり、スピードメーターが動かなくなってその部品も交換しなきゃならなくなったとか、あげくのはてに、ベルトがちぎれて走行不能になったとか。
よくこんな状態で、2回も広島まで往復して無事だったもんです、はい。
特にベルトについては、引きちぎれてずたぼろになっておりまして、バイク屋さんがいうには、「場合によっては転倒して大事故になっていたかも」とか言われたり…こわいこわい。
んでもまあ、こうしたトラブルに逢ったことから、最重要パーツはすべて交換していますので、これで安心して乗れるってもんです、はい。…修理代トータルしたら新車買えてるやんけ。まあいいけどね。スクーターで移動するために節約できる時間を買ったわけだから。

自転車にもスクーターにも鍵は必須!
で、この自転車にもスクーターにも、当然鍵はついています。
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鍵は、カラビナにつけて、家の鍵と一緒にし、計3つの鍵をまとめているわけですが…
出かけるときになって、鍵を探すことなんてのは、日常茶飯事!!
自宅に帰って鍵を置いて、次の瞬間、鍵をどこに置いたのかわからなくなってあちらこちらを探すことなんて当たり前。
それどころか、どこを探しても見つからない、まさか…と思って外を見ると、スクーターにしっかり鍵が刺さったままになっとる。これが一度や二度じゃなく、しょっちゅうだから困ったもんです。

それって誰にでもあることだよね?と思うでしょ。でもね…

こんなことは、私にとっては日常的なわけですが…
鍵をどこに置いたのか忘れたなんて、誰にでも経験あるよと、おそらく誰もが思うんじゃないでしょうか
確かに、こうして、鍵をどこに置いたかとかいう、うっかりミスってのは、誰にでもあります。
ですが、発達障害の3つの特性のうち、ADHDが強く出ている人は、この頻度が非常に高いんです
こうして鍵がどこに置いたか忘れたのが、年に数度くらいある程度なら、これは誰にでもあることです。
でも、ADHDの特性が強い人は、それがほぼ毎日なんです(´・ω・`)
これは、脳の機能のうち、海馬という、短期記憶をつかさどる部位が成長していないため、あるいは、脳に何らかのノイズが発生するためなどと言われておりますが、ともあれ、健常者と比較して、この海馬がうまく機能していないため、短期記憶が苦手となり、結果、生活に支障が出る、とまあ、こういうわけ
要するに、こうして、すぐものを忘れてしまうのは、それは脳に異常があるためで、その人自身が悪いわけじゃないんです。
このあたりの話は、「障害者とは何か」を考えていただくとわかるかな。いずれ記事にしてみます。

鍵を紛失しないようにした私の工夫
では、どうすれば、可能な限り、鍵を探す手間を省くことができるようになるのか。
そもそも、私、発達障害の勉強をするまで、私がそうしてしょっちゅう鍵を探すことそのものを意識していませんでした。私にとって、そうして困ることそのものが、当たり前だったし、どうすればうまくいくかと考えることすらなかったんですね。
その上で、ADHDの特性を理解し、では、どのようにすれば、鍵を可能な限り紛失しないようにできるか。鍵を置いた場所を忘れないようにする努力ではなく、鍵の置き場所を気にしなくて済むように工夫することを考えたんです
私は、出かける際は、必ず、バッグを持ち出すようにしています。些細な用事であっても、です。
このバッグの中には、外出先で使用するであろうさまざまな道具が入っています。財布や携帯はもちろんのこと、身分証明書、医療関係の書類、血糖値を測定する機械、外出用の手帳、ノート、タブレットPCなどなど…
こうして、外出先で必要になると思われるものを全部持っていこうとするのは、これはアスペルガー者(自閉症スペクトラム)の特徴でもあるようなのですが、この話しについては、またの機会にするとして。
このバッグに、鍵を、カラビナでまとめて、バッグの金具に必ず取り付けるようにしました。

それでも完璧ではないけれど
このように、バッグに鍵を取り付けるようにしさえすれば、バッグを身に着けると、自動的に鍵も手にすることができます。
つまり、鍵を探すという行動を行うという手間から、私はこれである程度解放されたんです
でも、完璧ではないんですわこれが。
前述のように、スクーターに鍵をつけっぱなしにすることは、これは現在でも、週に一度は、必ずやらかします。…よく盗難にあわなかったなあ、ほんと。
それでも、以前とはくらべものにならないくらい、鍵を探す手間がなくなりました。言い方を変えると、鍵を探すという無駄な時間を、かなり減退させたわけですね。
ただ、現在ではそのようにできてはいるものの、発達障害者は、そもそも習慣づけが難しいとも言われているように、その習慣を行う明確な理由を強く意識しなければ、鍵をかばんに取り付けるという行為に繋がりません。実際、現在でも、頻度は減りましたが、かばんに鍵を取り付けなかったことで、鍵を探すことはあります。
ですが、それでも、以前に比べて、鍵を探す頻度は大幅に下がっています。
私の場合、「かばんに鍵を取り付ける明確な理由」を認識する必要があったからこそ、意識してかばんに鍵をつけるようになっていますけれど、その意識ができなかった場合は、スクーターにつけっぱなしだったり、家のどこかに鍵を置いてたりして、困ったことになってしまいます。

なお、なぜスクーターに鍵をつけっぱなしにしてしまうのかについては、その時の様子の言語化もできていますし、いずれ紹介します。




いい加減、発達障害関係の解説動画、製作再開しなきゃならんとか思いつつ、このところ勉強やら何かと忙しくて、ぜんぜん手がつかない常態なわけですが・・・。
今回は、「広汎性発達障害」と「自閉症スペクトラム」の、このふたつの言葉について、ちと、動画の原稿を作る案みたいな感じで書いてみます、はい。

まず、結論だけを書けば…

ってことで、この、「広汎性発達障害」と「自閉症スペクトラム」の、発達障害の症状についてのこのふたつの名称なんですけれど。
結論だけを先に言うと、このふたつは、「おなじもの」だという認識でいいと思います。 
もっとも、この表現は正確ではありません。が、一般的には、「おなじもの」だと考えていただいていいんじゃないかな、と。
では、なぜ、 「広汎性発達障害」と「自閉症スペクトラム」という、ふたつの用語が使われているのかというと、これが、なかなか面倒くさい話でして…

発達障害を診断するふたつの基準

まず、「広汎性発達障害」という名称についてですが、これは、WHO、つまり世界保健機構が定めている「国際疾病分類第10版」というのが関係しています。
これは、医学的に、さまざまな病気を分類している国際基準で、発達障害も、この基準のもとで分類されています。
この、分類では、発達障害の中でも、自閉症やアスペルガー症候群などなど、社会性やコミュニケーションをつかさどる脳の機能不全について、「広汎性発達障害」という、発達障害の3つの大きなカテゴリのうちのひとつを形成している、という感じです。
そしてもうひとつ、アメリカ精神医学会というところも、発達障害の分類を行っているわけですが、この分類については、WHOのそれとは少し違う考え方をしています。
と、いうのも、WHOの診断基準では、広汎性発達障害を、「自閉症」「アスペルガー症候群」「レット症候群」「小児期崩壊性障害」「特定不能の広汎性発達障害」という、主に5つの区分で分けているのですが、しかし「自閉症」と「アスペルガー症候群」についての線引きが非常に難しくあいまいであることや、また、それぞれの症状の強弱に個人差があり、厳密に細かく区分けしていくときりがなくなってしまいます。
ですので、細かく診断するよりも、大雑把にひとつにまとめたほうが分類しやすい、という考え方なのかどうかはわかりませんが、ともかく、「自閉症」や「アスペルガー症候群」という細かい分類を廃止し、「自閉症スペクトラム」という名称を使用、患者のそれぞれの症状にあわせて治療や改善を図る、という感じのようですね。
ちなみに、スペクトラムとは、連続体、って意味です。…もっとも、この表現だけだと、あまりよくわからないですよね。

風邪にたとえるとわかりやすいかも?
ってことで、このことをどのように説明すればわかりやすいかと考えていると、風邪に当てはめて考えるといいのかな? と思いまして。
ひとこくちに「風邪」と表現しても、いろいろありますよね。「発熱」「のどの痛み」「鼻水」「せき」「たん」などなど…
WHOの基準では、「風邪」という症状の中に、「発熱」「のどの痛み」「鼻水」「せき」「たん」などの症状を細かく分類し、それぞれの症状にあわせて治療を行っている、っていう風に考えていただくといいかと。
一方、そうした風邪の症状は、人によって違います。「発熱」といっても、微熱なのか高熱なのか違いますし、できが出ているかどうか、鼻水はでているかどうかなど、その症状のでかたには、人によって強弱があります。なので、そうした症状をいちいち区切って名称を使ってたらきりがないので、全部まとめて「風邪」という名称だけを使おう、ってのが、アメリカ精神医学会での考え方、って感じです。
もちろん、このたとえは、かなり乱暴なものでしょうけれど、ともかく、WHOとアメリカ精神医学会とでは、発達障害に対する区分の考え方が違う、という、ただそれだけのことなんですね。

実際の発達障害の判断基準は?

では、実際に、発達障害の診断は、どのようになっているのかというとですね、WHOとアメリカ精神医学会の、このふたつの判断基準を両方用いて診断している場合と、WHOの診断基準のみをもちいている場合の、二通りがあるようです。
要するに、アメリカ精神医学会の診断基準は、国際基準じゃないよ、ってことで、WHOの診断基準のみを用いて診断する医師もいる、らしい。そういう話を聞いたってだけの話ですよ。

では一般的な名称はどうなってるの?
厚生労働省では、基本的には、国際基準に習い、広汎性発達障害という名称を用いてはいます。
けれど、自閉症スペクトラムという名称も、厚生労働省の公式HPで解説されていたりもします。
また、WHOでの基準の中にも、自閉症スペクトラムという名称も登録されているらしく、そうした専門的な知識を持たない私からすると、何がどうなってるのかさっぱりわかりません。
ですが、そういうことも含め、「広汎性発達障害」と「自閉症スペクトラム」は、診断基準が違うってくらいで、結局のところ同じものだという認識でいいんじゃないかな、と思いますよ。

私は「アスペルガー症候群」と診断されているのですが、しかし同じアスペルガー症候群と診断された方々でも、その症状のでかたは、風邪のように違っているものです。要するに、症状の強弱があるんですね。
主治医も、「アスペルガー症候群という名称から、自閉症スペクトラムという名称に置き換えられつつある」、と言ってました。
んでも、なんというか…
「広汎性発達障害」という名称だろうと「自閉症スペクトラム」という名称だろうと、どっちの名称を使おうと、その障害を抱えている人の症状は同じ。なので、ただ名前が違うだけで、実のところ同じものだという認識でいいんじゃないかなあ
まあ、こんな感じで私はとらえている、ってだけの話なんですけどね。詳しいことは、それぞれ調べてみてほしいということでよろしくであります。



私と悦子が初めて出会った当初は、私が発達障害であることがまだ解っておらず、悦子は、私と付き合い続けることに戸惑いを持っていました。
そして私が発達障害者であると解ったとき、私は、自身が生まれながらの脳機能障害を負っていたこと、そして今まで受けてきた様々な抑圧がすべて発達障害を理由としていることが解り、約1年は、その葛藤に苦しめられていました。
現在でも、特にアスペルガー者としての私からして、定型発達者、つまり健常者の判断基準に「感情」が多大に影響を及ぼしていることに戸惑いがあり、なぜ素直に、論理的に物事を考える事ができないのかと、不思議に思っていたりもするわけですが…
それはともかく。
アスペルガー者の私と、定型発達者の悦子が、出会ってすでに2年と半年が経過しています。
もちろん、この期間にもいろんな事があったのですが、私は私なりに、そして悦子も悦子なりに、互いのことを理解しようと常に考えているからこそ、今もこうして一緒に過ごすことができています。
ですが、悦子からしても、アスペルガー者の私と良好な関係を築くのは、非常に難しいはずだと私は思うのですが…

悦子に渡した1冊の本
その、発達障害、特にアスペルガーに関して、私も、自分自身を理解するために、数多くの書籍を手に入れています。
よく、ネット社会なのだから、ネットで調べればわかるだろう、と言われるのですが、私から言わせると、ネットで流れている情報は、その大多数が、全く役に立ちません。むしろ誤解や偏見による内容、また、発達障害の様々な症状を入り交じり紹介しているものなど様々でして、これでは発達障害に関する誤解がさらに広がるのも仕方が無いと私は思います。
ですので、ネットを頼らず、書籍及び医師の意見、さらに、発達障害とは関係のない思考術などの書籍をも査読し、様々な要素を組み合わせて、自身の障害について理解を進めています。
そのため、発達障害に関する書籍も、現在でも少しずつ増えており、おそらく今後も、かなりの予算をつぎ込むことになると予想しています。頭が痛いけれど、必要なのだから、仕方がありません。
さて。
私が発達障害者だと判明したばかりのころ、様々な書籍を取り寄せていく中で、悦子に、この本を読んで欲しいと渡した書籍が、こちらです。



この書籍についてですが…アスペルガー症候群当事者である私は、この本を一切読んでいません
内容を一切査読せず、悦子に、ぜひに読んで欲しいと渡しました。
この本は、現在でも適当なタイミングで読み返しているそうなのですが、この書籍に書かれている内容は、まさしく、私の行動パターンに一致しているそうです
先日も、私のとある行動に対し、実際にこの書籍に書かれている通りのことを行っている、それがアスペルガーが理由だということも書籍に書かれている、ということを言っておりました。
繰り返しますが、この書籍は、私は一切手を付けていません。なぜならば、この書籍は、悦子にだけ内容を理解してもらえればそれでいいだろう、と考えたから。そしてその考え方は正しかったと私は考えています。
もっとも、中に何が書かれているのか、興味はあるのですが…
ですが、私のパートナーである悦子に、アスペルガー症候群を抱える私のことを理解して欲しいというのが一番にあり、この本の内容は、悦子だけが理解していてくれればそれでいいと私は考えています。

アスペルガーの女性をパートナーに持つ男性向けの本
ってことで、紹介させていただいた本は、これは定型発達者、つまり健常者の女性が、アスペルガー症候群の男性と付き合うために知っておくべき事柄をを書いている本のようです。
言い方を変えると、女性が、アスペルガー者と付き合う為のガイドブックみたいなものなのでしょう。
一方、アスペルガー症候群を発症している男女の比率について、男性の発症比率が非常に多いらしいのですが、アスペルガー症候群を抱えている女性も当然いらっしゃいます。
ですので、アスペルガー症候群の女性をパートナーとして選ぶ男性向けの書籍もあります。



こうした書籍を読み解くことで、アスペルガー症候群の女性への理解を進める手がかりにしてみてはいかがでしょうか。
むしろ、こうした書籍が必要なほど、アスペルガー者と付き合うのは困難がある、ということが言えるのでしょう。

私は読んだけれど、あまり参考にならなかったかも知れない本
上記2冊の本は、男性女性いずれかがアスペルガー症候群であった場合、健常者側がアスペルガー症候群のパートナーとどう接すればいいのか、その手がかりとするための内容だとお考えください。
一方、アスペルガー症候群の私が、とりあえず読んでは見たけれど、あまり参考にしていないという本が、




この書籍。こちらも、アスペルガー症候群と診断された頃に入手したものなのですが…
実のところ、この書籍、とりあえず読みはしましたけれど、それよりも悦子から直接色々教わったことのほうが多かったりします。
いい機会だし、久しぶりに読み返してみようかしら。

余談ではありますが…
なお。
こうした本を読んだからといって、関係がうまくいく、なんて保証は、もちろん一切ありません。
私と悦子が、現在でも付き合い続けられるのは、私も悦子も、お互いができる範囲で相手を理解する努力を続けているからに他ならないと思うんですよね。
一緒にいるときも、離れているときも、いろんな事を話したりしています。大切なこと、他愛のないこと、思い出、経験などなど…
時には、相手を傷つけかねないような考えが浮かんだりもしますが、それも正直に打ち明けたりもしています。こんなことを思ってしまったんだけれど、どう思う、って感じで。
以前、悦子は、「ここまで心を開いていろんな事を話す事ができた人はいなかった」と言っていましたが、それは私も同じ事。
こうして、様々な話を真剣に伝え合うことは、これはアスペルガー関係なく、良好な夫婦関係を続けていくためにも大切なことなのではと思いますよ。



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