大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。

カテゴリ : 雑記

ドウモ( ・∀・)っ旦
このところ精神的にかなりきつい状況が続いてしまっていて、自身のストレス対策がうまくいかなくなっていたりします。
そもそも、以前から、薬の副作用により夕刻以降は活発に行動できなくなってしまうこともあり、早ければ午後7時くらいから眠りについていることも。
気力のある午前中に用事をある程度済ませればいいってことになるから、なるべくそのように心がけてはいるんだけれど、なかなかうまくいかないな、って感じです。

ストレス発散の悪循環
私の場合、強烈なストレスを感じている時は、意識せず過食に走る傾向があります。
おなかがいっぱいになっているにもかかわらず、まだ食べたい、という要求が強くなってしまい、大食いしてしまっているんですね。
あとになって、そうして喰いまくっていることに気がついても、後の祭りというやつで、おかげさまで、今年に入ってから体重がかなり増加していたりします。
もともと体重が0.1tもあるもんだから、かなりまずい状況です。いやはや。
さらにいうと、そうしてストレスが増大し、そうして食べることに走ってしまう状況になるその前に、そうしてストレスが蓄積されていることに自分自身がうまく気がつくことができればいいんだけれど、今のところその明確なツールみたいなのが自分には備わっていない。
そもそも、そうしてストレスが過剰に蓄積されている事に自分自身が自覚することがなかなかできず、その結果として、食べることばかり考えてしまうことに。
いや、まあ、食べることそのものは私は好きなんだけどね。んでも大食いに走ることは、やはり避けたい。
それに、そうして大食いに走る時は、決まって炭水化物を多く摂取する傾向になってしまうし。
同じ大食いでも、野菜の大食いだったら、まだましなんですけどね。

定期的なストレスチェックが重要
そうした悪循環を避ける為に、定期的なストレスチェックが必要だと考えてはいるんだけれど、そもそも、発達障害者である私は、新たな習慣を身につけることが非常に難しい。
スマホやタブレットといったデジタルツールを駆使し、リマインダなどを用いて管理できるように仕向けていきたいんdなけれど、んでも手頃なツールがまだ見あたらないんだわ。
ちなみに、「定期的なストレスチェック」ってのは、ある一定時間、それも1時間に1回程度の感覚で、
  • 今抱えているストレスを10段階評価で数値化する
  • コーピングリストからストレスを発散させるための行動を取る
  • コーピングを試す前と後でどれくらいストレスが軽減されたか数値化する
という感じで、方法としてはけっこう簡単ではあるんだわ。
でも、その簡単なことが、まだ習慣化できておらず、そのことから自己分析がうまくできていないな、って感じがしている、ってわけ。

自分自身のチェック項目
ちなみに、私の場合だけれど、私自身の体調や精神状態のチェックについては、WRAP(元気回復行動プラン)の技術を用いて行っている。
このチェックを行うためのチェックリストは、必要に応じて追加あるいは変更するようにしているんだけれど、その項目ってのがともかく多いんだわ。
大ざっぱに挙げると、
  • 疲労感を10段階評価
  • 体感ストレスを10段階評価
  • 思考速度
  • 現在の自身の行動特性の解析
って感じになるかなあ。実際には、もっと細かくチェック項目を設定しているんだけれど、ともあれ、こうしたチェックを定期的に確実に行っていく必要があると思っているんだ。
だけど、まだ自分でも納得できる方法でチェックできているとは言い難い。やらないよりかは、やったほうがまし、ではあるんだけれど、なんか納得できていないんだよなあ。

ここ最近、ともかくストレス対策を最優先課題として、日常生活とは違うことを行うよう心がけているんだけれど、んでも、うまくできているとは言い難い。
はてさて、どうすれば、自分が納得できる方法でストレス対策ができるようなるもんかねえ。

ドウモ( ・∀・)っ旦
抗ADHD薬「コンサータ」って薬を常用している私。
この薬は、投薬して12時間以内に効果が切れてしまう、ちと特殊な性質を持っている薬でして、この薬との付き合い方は非常に大変なんです。
と、いうのも、その12時間以内という制限時間のうちは精力的に活動できるんだけれど、効果が切れたら、反動で疲れがどっと出てしまい、鬱状態になってしまう。
しかも、12時間以内という時間設定が非常に曖昧で、私の体感で、10時間くらい経過すると、倦怠感がどっと出てきます。
なので、夕方以降は、気力が沸かず、やる気がでなくなってしまう、とまあ、こういうわけ。
このコンサータの効果時間中、いかに精力的に、生産的な行動を行うかを考えなければならないし、その日の予定に応じてコンサータを服用する時間をあえてずらす必要も出てきてしまいます。

前頭葉をコントロールする
その、コンサータという薬もそうですが、それ以外にも向精神薬も処方されもいることや、また、発達障害を理解するために、脳というものそのものを中心に、精神状態や思考能力を理解するようになっています。
そもそも、脳も、人間の臓器のひとつで、この脳で、人間は物事を考えています。
その考えるという作業を行っているのが前頭葉という部分でして、この前頭葉をいかにうまく操作するかが、今の私のテーマ。
発達障害者に限らず、脳の中でも特にその中身を意識して変えることができるのが前頭葉だそうでして。
つまり、考え方を変えるイコール前頭葉の改変、というわけ。
なので、考え方を変えていくことで、発達障害その他の対策をとっていこう、というわけです。
かなり大げさな書き方ではありますが、私が今勉強あるいは独自研究しているのが、こうしたことなんですね。

「自然の法則」というキーワードの元で様々な要素を統合する
そして、その考え方を変えていくことで大切になっていくのが、様々な知識。
もっとも、専門的な知識を学ぶことは避け、あくまでも自分自身が活用できる範囲でのみの学習となるんですけれど、以前も、「自然の法則」というキーワードのもとで、それぞれ違う分野の物事を統合して考えることができるようになった、って記事を書いた、んだっけか確か。
そうして統合して考えられるようになっているのが、
  • 7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー)
  • T.Q~タイムクエスト(ハイラム・W・スミス)
  • A4メモ術(赤羽雄二)
  • 認知行動療法
  • WRAP(元気回復行動プラン)
  • ストレスコーピング
  • マインドフルネス
などなど、といったもの。
これらは、それぞれ「自己啓発」「時間管理」「ロジカル心キング(論理思考)」「脳医学」「精神学」など、という感じで、ふつうに考えると分野が違うものばかりではある。
だけれど、前頭葉にアプローチする、という点においては、これはら共通している、ってわけ。
そもそもは、T.Qという書籍を私の座右の書としていて、これは私が使用しているフランクリン・プランナーのマニュアルでもあるんだけれど、この書籍は、時間管理は「自然の法則」に従う必要がある、と説いている。しかも、人の考え方や捉え方も自然の法則に従うことを強く説いている。
そして7つの習慣も、そもそも7つの習慣は、今までも様々な形状の書籍が出版されているけれど。その中で「特別版」にて記載されている著者のインタビューにも、「自然の法則」という言葉が記載されていたことから、この「T.Q」と「7つの習慣」を、自然の法則というキーワードのもとに、同一のものとして考えるようにできた。
もっとも、7つの習慣は、他者とのかかわり合いについても色々と触れられているんだけれど、こちらはまだ自分自身では理解ができていない。私の発達障害の特性も影響があると思う。
そしてこれら自然の法則というキーワードを元に、そもそも人体も自然の法則に従って動いていること、脳も人間の臓器の一つであること、そして、その脳も、自然の法則に従って利用すればうまく活用することができる、という感じで、考え方を切り替えていったんだ。
そうすることで、少なくとも私はだけれど、そうした学習の効率が大幅に向上したってわけ。
もっとも、こうした考え方をしているよ、ってだけで、他の人が同じように考えられるかどうかはまた別の話ではあるんだけどね。

私の学習における欠点
ただ、私の場合、そもそも物事の覚え方がふつうとは違うと指摘されている。
書籍を読むことで理解を進めようとするのがそもそも苦手らしく、映像などで学習するほうがいい、ということなんだそうだ。
実際に書籍の内容についても、一連の流れ(ストーリー)として覚えていってるような感じで、細かな部分までフォローできていないってのは実感してる。
お世話になったサビ管によると、「何かを覚える行程が、階段で言うと段をとばして一気に登っていっているようで、抜けているところが非常に多い」のだそうだ。いやもう指摘されたまんまですね。
また、要点をまとめることも苦手で、書籍の内容をノートにまとめていったり、またアンダーラインを引いたりすることもできない。
なので、そうした書籍は、何度も反復して読むことで記憶に定着させる、という方法を取るようになってしまい、また、そうして覚えたことを実際に実践できるかどうかについても怪しいと思っていたりする。
さらに、落ち着いてゆっくりと時間をかけて理解をすることもかなり苦手だと思う。
んでもまあ、色々な、全く違う事柄について、その共通点を見いだして、その共通点を元に理解していく、って方法なども用いて、物事を置き換えて理解するようにはしているんだけどね。

今重点的にやっていること
さて。
今私が重点的に行っている勉強ってのは、その発達障害、自閉症スペクトラム障害とADHDの2つを持っていて、しかもその症状はかなり深刻らしいんだけれど、ともあれ、その症状をうまく活かせないかな、ってところ。
ADHDに間しては、投薬で症状をある程度緩和することはできてはいる。でも完璧ではないし、薬にはもちろん副作用もある。薬が効いている時と切れているときとでは、脳の状態が全く違うんだ。
さらに自閉症スペクトラム障害に間しても、実際に障害と認定されているように、人並みの生活ができるような状態ではないそうだ。
んでもまあ、何もできないわけじゃなし、ある一定の工夫と、考え方を変えていくことで、ある程度ましになるとは思っている。
幸いにも、発達障害に対応するための研究もかなり進んでいるし、そうした情報も取り入れつつ、では私ならどうすればうまくいくのか、なんてのを色々と勉強し工夫してる。
ただ、その対策というのが、非常に項目が細かい。とあるテスト結果から、工夫するべき要素が圧倒的に多いことが解っている。それこそ、他者の介助が必要な項目ばかりだ、とのこと。
この点は、「身体障害」「知的障害」「精神障害」「発達障害」その他、障害と名の付く症状の共通点を見いだして考えるようにできるようになった、んだけれど、このあたりの話は、いずれまた別の機会があればブログなどで話してみようと思ってたりします、はい。


赤羽雄二さんが考案した、この書籍で紹介されているA4メモ術は、心理学系統で言うところの「自動思考」を鍛える為のものではあるけれど、それ以外にも色々と面白い効果があるよ。

ドウモ( ・∀・)っ旦
発達障害関係の資料を読み進めるごとに、「ああ、やっぱり私は健常者ではないんだな」とかいう感じで絶望感に襲われてしまっております。
発達障害は、脳の先天性の障害なので、病気のように「回復する」という概念がなく、むしろ障害がある状態が、自分にとっては正常なものだから、その正常な状態が「改善する」なんてことは医学的にはあり得ない。
そこで、精神学的なアプローチ、つまり考え方を変える(実際には、脳の中の前頭葉の状態を変更してやる、ということになるかな?)ことで少しはマシになるよう仕向けているんだけれど、それでも、健常者と同じ状態になることはあり得ないってわけ。
なので、いわゆる人並みの生活を送る事は、もともとできないんだなあ、なんて思っていたりもします。
それでも、何も出来ないわけじゃないんだけどね。

悦子が見る夢は…
ところで。
私の婚約者である悦子とは、遠距離恋愛中ではあるものの、インターネットなどの通信網が整備されているおかげで、毎日頻繁に連絡を取ることができている。
もっとも、私からは積極的には連絡をしていないところが、このあたりが自閉症スペクトラム障害の特性なのかな、などと思ってしまうんだけれど…。
そんな他愛のない話の中で、悦子は、時折、見た夢の内容を話すことがある。それも、私と仲違いしていたり、私が不倫していたり、私が悦子にとって嫌なことをやっていたりと、ともかく、私が、悦子が嫌がることをしている内容の夢が多いらしく、むしろいい内容の夢を見た、なんて話は、聴いた事がない。
もっとも、夢は夢だし、現実的なものではないんだけれどね。
まあ、中には、私との関係を続ける上で重要なのかも知れない不思議な夢を見た事もあったそうで、実際にその夢の内容に従って行動してみると、悦子が驚いたこがあったりする。このあたりの話も、機会があればいずれブログで紹介するとして。
その、夢の中で私が登場するだけでなく、すでに亡くなっている両親が登場したりと、ともかく、悦子にとって身近な人物が夢に出てくる、ということなのだそうだ。

私が見る夢は…?
一方、私は、夢を見る機会そのものがあまりない。気がついたら翌朝、目覚ましが鳴っている、という場合が多いね。
んでも、たま~に夢を見ることはある。
それも、実際には無いアニメや特撮ヒーローの番組を見ていたり、あるいはその主人公になっていたり。
また、車を運転している夢の場合は、その車の運転もかなりむちゃくちゃだったり。
まあ、夢は夢なのだから、その内容がいい加減であることは当然なんだけれど、そんな折。
とまあ、上記のツィート内容のような夢をふと見たりして、ここでふと思ったんだわ。
私の身内が夢に出てきたことって、ほとんどない。
むしろ、現実の生活の内容が夢に出てくることもほとんどないし、それに、悦子も夢に出てきたことは今まで一度もないんだわ。そのうち出てくるかもだけれど。

私の親の場合
ちなみに、私の母親の場合だと、母が幼い頃住んでいた家で、母の両親と、そして何故かその家があった時代には生まれてもいない、飼っていた2匹の犬のうちの1匹が登場して、「あんた死んだんじゃなかったの?」とか言ってた、とかいう話を、悦子と一緒にいた時にしていた。
うちの親は、そうして家族や親族の夢を見ることがあるようなんだが…
まあ、私も、一度だけ、その飼っていた犬達のうちもう1匹が出てきたことがあったと記憶しているんだけれど。
DSCF0023
↑こいつ。んでも、本当にうちの犬だったかどうかは、なんか自信がなかったりするんだけれどね。

自閉症の見る夢は…?
そんなこんなで、その天皇陛下が登場する夢を見たそのあと、ふと思ったんだわ。
もしかして、自閉症の特性を持つ者は、そうして家族や親族の夢を見ることは稀なんじゃないのかな、って。
自閉症、自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群と、名称は色々あるんだけれど、そもそもその特性を持つ者は、興味を持つ対象が非常に限定されている。
私の場合は、特に人間に対して興味を持つことが出来ず、その結果、現在でも、人の顔と名前を覚えるのが非常に苦手。しかも、家族の誕生日すら覚えることができない。悦子の誕生日も、誕生日とは違う簡単な数字でのみ記憶していて、誕生日がいつかは、その数字から割り出さないといけないんだわ。つまり、何年何月何日、という覚え方をしていない、ってわけ。
そうした、他者に対する関心の無さってのが、夢の内容にも反映されているのではないか、と、ふと思ったんだわ。
もちろん、自閉症系統の特性も人それぞれ色々あるわけで、すべての自閉症の人がそうだ、なんてことは言ってはいないよ。それに、これは自分自身の経験を話しているだけだから。
その上で、様々な書籍や資料、自分自身の経験を照らし合わせると、見る夢にも影響が出ているんじゃないのかな、と、まあ、そんなことを思っただけの話です、はい。


私が発達障害と診断されて直近に購入した書籍のひとつ。
この本を読んで、私がいかに普通じゃないのかを自覚させられたって感じです。









ドウモ( ・∀・)っ旦
ニコ生で生放送をしていると、いろんな方から相談を受けたりする私。
相談を受ける時には、相手の立場に立った上で、その問題の原因や考え方、また違った視点からの状況の指摘を行うなどといった考え方の元で、ある一定のアドバイスは行ってたりします。
もちろん、解らないことは解らないと言うし、無責任な事も言わないようにしている。何しろ、場合によっては、相手の人生を狂わせてしまう可能性もあるから。
また、相談を受けた時には、過去の様々な事例を照らし合わせて問題の共通項を探っていたりして、頭の中がフル稼働してる状態になってたりもしてたりします。

不妊治療中の女性からの悩み
そうやって相談を受けている中で、印象に残っている相談もいろいろあるんだけれど、その中でも、不妊に悩んでいるという方が、それぞれ違う時期にお二人、私に不妊治療をしていると伝えてきたことがあったんだ。
そのお二人は、それぞれ「相談しにきた」のではなく、どちらかというと愚痴吐き程度だったと思う。
だけど、不妊に悩んでいる方も少なくはないし、そうした悩みってのも今までいろいろと聞いてきてはいるんだ。
なので、そうした情報を元に、考え方だけを伝えるようにはした。
もちろん、私に相談したところで、不妊治療が成功するはずもないし、不妊に関する様々な情報を伝えたとしても、そもそも専門医の元で治療(という表現でいいのだろうか)を行っているわけだから必要性も感じないからね。
ってことで、私がなにを伝えたかってのを、ちと書いてみます。

決して自分を責めないこと

その女性にそれぞれ一番強く伝えたのは、「なにがあっても決して自分を責めないこと」ということなんだ。
過去、女性は、子供が作れない事をさんざん責められてきた歴史がある、ってのはご存じの通り。跡取り問題とか、いろいろあるんだよね。その不妊の原因が男性側にあったとしても、それでも女性のせいにされてきたいきさつがある。
それに、女性だって、子供を望んでいるのに授からないというプレッシャーにさらされてきた。家族や親族などだけでなく、妊娠しない女性自ら、自分自身にそうして抑圧を与えていた、ってこともあるんだわ。
もちろん、妊娠したあとも、死産や流産などというのもあり得るし、さらに出産しても五体満足な子供が産まれてくるとは限らない(パーフェクトビーシンドロームってのがあるんで検索してみてちょ)。
でも、そうしたトラブル(?)ってのは、女性自ら望んでそうなったわけじゃないでしょ
そもそも、愛する人との子供を宿したい、元気な子供を産んで育てたい、って願望があるのに、それでも妊娠できない、でも、それって、女性がわざと妊娠しないようにし向けているわけじゃないでしょ。
ところが、そうして悩む女性は、そうなってしまったのは自分が悪いって思いこんでしまう傾向があるみたいなんだわ。
もちろん、過去の何らかの積み重ねによって妊娠しにくい状態になったとかいう経歴がある場合もあり得るだろうけれど、そのあたりはこの話には関係ない。
それより、「妊娠・出産を望んでいるけれど、それでもできない」ことについて、それを自分が悪いからだ、とかいうふうに考えるのは、それは筋が違うと思うんだ。

そんな時の、私の伝え方
ってことで、私が、そうした不妊についての相談や愚痴を聞いたときは、次のように話すようにしてある。

まず最初に、悪い事から話をするよ。
あなたが不妊で悩んだり苦しんだりしているのは、あなたが望んでそうなったわけじゃないでしょ。でも、そうした不妊に関するプレッシャーってのは、特に女性が受けやすいし、たとえ男性側に原因があっても、不妊治療は女性の側に多く負担がかかってしまう。
でも、そうした妊娠するしないってのは、それは運としか言いようがないんだ。
たとえ妊娠したとしても、死産や流産の可能性だってあるし、生まれてきても何らかの障害を持っている場合だってある。でもそれだって、あなたが望んでそうしたわけじゃない。
だからこそ、どんなことがあっても、決して自分を責めないようにしてほしい。そうなってしまっているのは、仕方がないことなんだ。
ただ、あなたが、見ず知らずの私に、そうして話をしたのは、それだけあなたが必死になって取り組んでいるってこと、それはなぜかというと、それだけ旦那さんのことを愛しているってことだよね。
なので、旦那さんとも、しっかりと話し合って欲しい。二人で決めてやってきたことについては、後悔するようなことは何一つないはずだよ。この話し合いの中には、もちろん、不妊治療を打ち切るって事も含まれる。
繰り返しになるけれど、ともかく、自分を責めないこと。それは、あなたのせいじゃないんだから。
その上で、うまくいくといいね。
結果どうなったかとかは、私に伝える必要はないよ。それよりも夫婦としての生活を優先してね。

と、こんな感じだよ。

後日談・嬉しい知らせが
ってことで、後日談。
そうやって相談して回答した内容については、その後どうなったかについては、私は気にしないようにしているし、聞き出さないようにしている。
気にならないのか、と言われると、確かに気にはなるけれど、それは好奇心の範疇になるし、そもそも見ず知らずの、どこの誰だか解らない方から受けた相談でもあるから、こちらから問い合わせを行うこともできない。そもそも、私が後にどうなったかなどを知るのは、それは単に好奇心を満たす以外の何者でもないし、その人の人生に介入することになってもしまうから、(相談を受けた相手すべてにおいてもそうだけど)その後どうなったかなんてのは、あまり気にしていないんだわ。
そんな中、まず最初に相談を受けた方は、後にうまく妊娠し、順調に育っていることを生放送中で伝えてくれて、でも「私に伝えてくれるのは嬉しいけれど、私に伝えることそのものはどうでもいいから、身体を大切にしてね」って伝えた。
後に、出産3ヶ月くらいして、無事に生まれ、順調に育っていることを教えてくれた。
そして二人目の方なんだけれど、その方も、妊娠したことを教えてくれたものだから、同じように、今後どうなるか解らないのだし、報告してこなくてもいいこと、身体に気を配るよう伝えていたんだ。
それからしばらくして、またとある日の夜、生放送でコメントしてくれたんだけれど、そのとき、「あれ?そういや、そろそろ予定日なんじゃ?」なんて思ってたら、「今日出産しました」というコメントが!
いやもうびっくりしましたよほんと、ってか、私が生放送しているからってわざわざそう伝えてきてくれたことにもびっくり。

妊娠した、無事出産したってのは、それは実際のところ、ただの結果論に過ぎないし、私は単に受け答えをしただけなんだけれど、それでも、すごく嬉しかった。

私の子供が欲しいか?
さて、私はというと。
若い頃は、「子供の父親になってみたい、子供を育ててみたい」という理想はあった。
でも、後に考え方も変わっていき、悦子と出会った頃には、そうした意識は完全に無くなっていた。
悦子と出会った当初、悦子自身は、「しーちゃんの子供、産んであげられるよ」とか言って、実際悦子がそうし向けようとしたこともありはしたんだけれど、んでも今は、私も悦子も、二人の子供が欲しいという意識は無くなってる。
このあたりは、経済的な事情とは関係なく、純粋に私たちの年齢を考えてのことだし、そもそも悦子はすでに一人子供を育て終えているのだから、それで充分なんじゃないか、と思ってる。悦子の子供を養子に迎え入れる考え方はないよ。
私が母から継いだ中野の家計は、元禄時代から続く古いものではある。資産といっても、お墓と先祖の遺骨だけだし、血筋を残す云々という考え方もこれっぽっちもない。
悦子とは、一緒に暮らしたいという意識しか持っていないんだわ。
ただ、不妊や妊娠、子育てに関する考え方そのものは、以前からいろいろと学んでいたもんだから、その知識がほかの人に役だったのなら、それで私は充分かな。



ちと強烈なタイトルの本ではあるんだけれど、踏ん切りをつけたいときの為の役に立つかな、と思って。
うまくいくのが一番いんだけれどね、んでも、人間の体って、そう都合良くできてはいないもんだから。
それに、子供を産み育てることだけが幸せってわけじゃないからね。他人の幸せを素直に喜べるくらいの余裕は常に持っていて欲しいと思う。


ドウモ( ・∀・)っ旦
先週より、ひどく体調を崩してしまいまして、昨晩よりようやくある程度動けるようになってきました。
まだ体力は戻っていないから、身体をしっかりと動かすことは出来ないんだけれど、んでも思考力に関してはだいぶん良くなってる。
このあたりの事情については、いずれまたブログで書いてみるとして(そもそも、このところブログ全然書いてないもんね)。
今回は、その、体調を崩している時に考えていたことをちらっと整理してみよう、と、まあ、こういうわけ。

そもそも詩が好きな理由って?
さて。
私は、徳島現代詩協会の会員として、今でも一応活動はしているわけだけれど…とはいえ、詩そのものがこのところ全然書けていないわけなんだけどさ。
その、私が詩が好きな一番の理由の中には、ひとつの作品がともかく短いこと、ってのも含まれているんだわ。
一般的な詩でも、だいたい原稿用紙1枚程度のものが大半。でも、そこに書かれている言葉から想像できる世界が大好き!
しかも、ひとくちに詩といっても、様々な表現法がある。中には、一冊の詩集の中に書かれているその詩のすべてが全く違う表現法を用いられている、なんてものもあったりする。
また、アンソロジーの中には、1冊の詩集の中に、数多くの詩人や詩作家がそれぞれ違う作品を掲載していて、そのいずれもが趣のあるものばかりだったり。
しかも、そうした作品は、いずれも、読むのに数分もかからない程度。たった数分で、ひとつの世界を堪能できるなんてのは、文芸の分野においても、あまり類を見ないんだよ。
また、短歌や俳句のような、いわゆる言葉遊びの要素もあまり含まれていないのも魅力ではあるんだけれど、この表現については、短歌や俳句の愛好家に誤解を与えそうだなあ。

サイト「小説家になろう」を見始めました
さてさて。
そんな私だけれど、最近になって、「小説家になろう」というサイトを通じて、小説を読むようになってる。
そもそものきっかけは、ここ数年アニメ化されている小説が、もともとは「小説家になろう」という投稿サイトを発表の場にしていたってのを知っていたからなんだけれど、それまで私はそのサイトを見ること自体なかったんだ。
それが、気まぐれで、アニメ「異世界食堂」の元となっている小説「異世界食堂」を、このサイトを通じて読んでみたんだが…まだ全部読んではいないんだけれど、これがともかく面白い!
出版されている内容、そしてアニメ化されている内容と、微妙に設定は違うんだけれど、それぞれが独立したひとつの短編として読み進めることができ、飽きがこないんだわ。
なので、数十話を一気に読んでしまったり(´・ω・`)
んでも、こうして、娯楽作品ではあるけれど久しぶりに小説を読むことができたってのは、私にとっては嬉しかったりする。

サイト「小説家になろう」を読んで正直思ったこと
その他、連載されている小説を色々と見ていったんだけれど、ひとつ思ったことがあるんだわ。
私は、今まで、小説といえば、本を購入して、一気に読み進める、という方法を取っていて、それが当たり前だと考えていたんだわ。
ところが。
「小説家になろう」に投稿されている小説の中には、1話あたり原稿用紙数枚程度のものがあって、それを短い期間で連投している、という方式で執筆しているものもある。
つまり、投稿する原稿の量を短くし、代わりに投稿サイクルを同じく短くするという投稿方式を採用している人がおり、むしろそうした投稿方式の小説も、他の投稿方式の小説と同じように人気があるってことなんだ。
一方、投稿されている小説そのものについては、文章表現について違和感を覚えるものも少なくはないんだ。心理描写や風景描写がほとんどなく、ただ単に物事だけが進んでいくだけって感じで。
それが悪い、といってるわけじゃない。むしろ読みやすさとしてはそういう方法もありだし、そもそも私の記憶特性として、そうした物事の流れでのみ記憶力が発揮される、なんてのもあるもんだから、「読み飛ばす」という読書法を行うにはちょうどいいかな、と思っていたりもするんだわ。
そして、もうひとつ思ったこと。
それは、そうした、他の方々の執筆方法そのものを参考にすれば、私でも何かできるのかも知れない、ってことなんだわ。

一気に執筆するのでなく、できたときにアップして…
実のところ、以前も、小説を書こうとして挫折したことがある。
その最大の原因ってのは、続かないことであることは間違いないんだけれど、なぜ続かないかというと、「区切る」ことが苦手なんだわ。
なので、出来事ごとに短く「区切る」ことを心がけて執筆してみたら、なんとかなるんじゃないかなあ、なんて思っていたりもするわけ。
そもそも、どんな小説を書いてみたいかってのは、大昔から頭の中にあったし、そのアイデアについては、現在でも私が知る限りでは似たような設定みたいなのは確認できてない(まあ私が知らないだけなんだろけど)。
そんな感じで、まずその考えている小説の世界観じみたことを、それぞれショートストーリーとして書き上げてみればいいかな、なんて考えているわけ。
もっとも、そんなことやる暇があるなら、詩のひとつくらい書けよと言われそうだけど…。
それに、執筆しようとすると、あれも書きたいこれも書きたいとかいう感じで色々と詰め込みすぎてしまって挫折した、なんてのもあったから、必要以上の要素を排除する短編小説をいくつも書いて、それで腕を磨いていくのがいいと思うんだよね。
もっとも、実際に投稿したとして、どれだけ受け入れてもらえるかはわかんないけど。
それに、小説を投稿するのはいいとしよう。動画の投稿や、このブログの執筆も停滞しているのに、小説にまで手を出すのあんた?って言われかねないよなあ…。

ってことで…
まあ、こういう風に考えてみた、ということを、こうしてブログとしてまとめてみた、ただの、何の意味もない雑記として記事を書いたわけだけれど、んでも、今まで何度も挫折したことに再び挑戦してみるのも、別に悪い事じゃないとは思ってる。
だけど、それを実際に行うのは、まだ先だろうね。だって、やらなきゃいかんこと一杯抱えてるから。それらをまず片付けておいて、それからって感じだね。
ま、肩肘張らずに、焦らず急がず、できるときに少しずつやっていきましょ。





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