大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。

カテゴリ : 雑記

ドウモ( ・∀・)っ旦
このところ、全然動画をアップしていない私ではありますが、これではいかんと思い、急遽、動画を作成することに。
以前から、今までの動画の作り方とは全く違う考え方で作ってみようと思っていて、その試験的な位置づけになるんだけれど…

レモンシロップを作ろう
さて、それで実際に作った動画は、こちら。

https://youtu.be/IgTqlA2IOmw

動画の製作裏話
ってことで、この動画を作るにあたって、色々と裏話みたいなものを。
この動画は、前述の通り、これまでとは違う考え方で作ることにしてみた。
と、いうのも、今までは、棒読みちゃんを使って解説音声を入れることはあっても、今回のように、トーク形式で作ったことは無かったんだわ。
なぜトーク形式での解説動画を作らなかったかというと、会話を行わせるというシナリオの作り方に、自信がなかったから。
でも、他の投降者の、ゆっくり解説の動画を視聴していると、単独で淡々と語らせるよりも、トーク形式のほうが、解りやすいとは思っていたんだわ。
なので、今回は、その、トーク形式で、行き当たりばったりで原稿を作成して、それを読み上げさせるようにした、というわけ。
また、字幕を入れたほうが、動画としても解りやすいとは思ったんだけれど、今回は、動画の製作時間の短縮を図るため、その手間をあえて省略した。字幕を入れていない動画も、色々あるもんだから。

動画の製作ソフト
さて。
今回の動画の製作にあたって、まず動画の撮影は、ウェブカメラで行った。
撮影の為のカメラがあればいいんだけれど、予算の都合で購入することができないし、それに、とりあえず身近にあるものを利用すればいいやと思って。
で、動画の編集は、いつも通りPowerDirectorを使用。ここに、棒読みちゃんを使用し出力した音声データを貼り付けていく、という方法を取ってる。
ちなみに、ゆっくりボイスを使用した動画の製作を円滑に行えるツールがあるのは承知しているんだけれど、たとえ手間がかかっても、慣れた環境の元で動画の編集をしたいと思っているもんだから、今後も、この手の動画は、同じ方法で製作していくことになると思う。

次回の動画は…
肝心の動画の完成度については、まあお察しって感じかなあ。
んでも、トーク形式の動画を作ることが、とりあえずはできたということは、私の自信に繋がってる。
このトーク形式の動画製作なら、いろんな解説動画を作る事もできるだろうし、動画の作り方についても幅ができるんじゃないかな、と思ってるわけ。
実際、読み上げる原稿だけ先に用意しておいて、あとはその読み上げる原稿に相応しい画像を貼り付けていくだけで、それで動画ができるわけだから、わざわざ映像を撮影する必要性もなくなってくるんだし、動画のネタも、小出しにできるんじゃないかな、と思ってたりする。
で、次回の動画については、実はこのブログを執筆しているタイミングで、すでに編集作業をしていたりします(゚∀゚)
はてさて、どのような動画になるかな?




どうも(*・ω・)ノ
発達障害と診断されて以降、発達障害を中核とした様々な医学的あるいは精神医学的な学習を行っている私ではありますが、その学習範囲ってのは、とんでもなく広くなっていたりします。
study_daigakusei_man
特に精神医学系統からのアプローチを、自分が活用できる範囲で手広く行おうとしているんだけれど、これがいろいろとやっかいでして。
と、いうのも、自分自身の(脳の)特性を知ったうえで、どのようにすればうまくいくのか、ってのを検討しているんだけれど、その方法というのも三者三様。
それも、私の場合、自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)とADHDの2つの特性を併発しているもんだから、この両方の学習を進める必要があるんだわ。
しかもこのふたつの障害は、その特性が相反するものが含まれていて、時には自閉症の傾向が、時にはADHDの特性が強く出る、という感じになってる。
question_head_boy
何がどのように相反するか、ってのは、またいずれの話にするとして。
自分自身の特性について、これからも勉強を進めていくつもりだけれど、その勉強を進めていると、自分で自分が面倒くさいと思ったりもする。まあ、しょうがないんだけどね。

発達障害は「障害」じゃない?

さてさて。
この、発達障害についてだけれど、この、発達障害の、「障害」という言葉について、イメージが悪いので使うべきではない、また別の言葉を使うべきなんじゃないか、って話がちらほら聞こえてきているんだ
だって、その、発達障害と診断された当の本人からすると、他人から見て障害があると言われても、自分にとっては、その障害があることが当たり前だし、そもそも脳の異常による障害であることから、一目でわかるような特徴みたいなのはほとんどない。
そのほかいろんな理由から、発達障害を、障害ではなく個性としてみてほしい、という感じで考えているみたい。
私も、発達障害と診断されるまで、私が発達障害者である、なんてわからなかったし、それに、私ではなく周囲の人たちのほうがおかしいとも考えていたからね(これは、私が、論理的思考に特化しているからで、かつ、冷静さを欠いて感情的になった上で物事を判断すると、必ず間違った結果になると若いころ勉強したから、ってのもある)。
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もっとも、発達障害についての理解を深めるにつれ、私と健常者とでは、ここまで差があるのかと、今でも愕然としてたり、悩んでたりはするんだけれど。誰が好き好んで発達障害者になりたいと思うか、って感じで、今でも自分自身に対していろいろと憤りを覚えてたりもするよ。
その上で、私なりの考えについて、あえてブログで書いてみよう、とまあ、こういうわけ。
もちろん、これは私自身の考え方だし、その考え方を押し付けるつもりはないんだけれど、それを踏まえ、他の発達障害者に対して、かなりきつい言い方をさせてもらおうとも思ってる
ただ、その意見を伝えるために、いろいろと話をしていかなければならないので、シリーズ化して話をしていくことにします。

そもそも、「障害者」って何?
さて。
発達障害ってのは、「障害」として区分けされていることはご存知のとおりだけれど、そもそも「障害」って何なのかについて、考えたことがある人って、どれだけいるのだろうかと思う。
ひとくちに「障害」、この場合は「障害者」と表記するほうがいいと思うけれど、ともあれちとこのあたりをまず整理してみたい。
desinger_free_sozai
障害者の定義については、Wikipediaの、「障害者」の記事に、次のように書かれている。
障害者(しょうがいしゃ、英: disability, handicapped)は、何らかの原因によって日常生活または社会生活に影響の出るような制限を受けている人物のこと。 児童福祉法の規定の関係上、18歳未満の場合は障害児という場合がある。
この記事からわかるように、健常者と比べて、「何らかの原因によって日常生活または社会生活に影響の出るような制限を受けている」ことが、障害者の定義となっているね。
この、「何らかの原因」って部分に対しては、基本的に疾病や疾患はあまり含まれていないわけだけれど(重度疾患についても障害として認定されているものもいろいろとあるけれど、そのあたりの細かいことは今回の話には蛇足となるので割愛)、ともあれ、健常者と比較して、生活にいろいろと不便があるのは、これは「障害者」に共通していることだと言える。
また、Wikipediaの、「障害者」の記事には、WHOの定義の日本語訳が書かれている。こちらのほうが、ちと言葉は難しいけど、具体的で理解しやすいかも。
障害とは、身体の損傷、活動の制約、参加の制限が含まれる包括的な用語である。損傷は身体における機能もしくは構造に対するものを指し、活動の制約は個人が仕事や行動を行う際に直面する困難を指し、参加の制限は個人が生活する中で体験する問題である。したがって、障害は複雑な現象であり、ある個人の肉体が持つ特徴と、その人が生きる社会の特徴とがもたらす相互作用の反映である。
さて、ここで私が一番に伝えたいのが、上記用語における「身体の欠損」という部分についてなんだわ。

身体障害者は、ある意味見た目で判りやすい

まず、ここで、身体障害者に対しての上記説明を当てはめてみる。とはいえ、身体障害にも様々あって、目で見えるような状態の身体障害と、内臓疾患などの、見た目ではわからない身体障害の二通りある。
今回は、見た目でわかりやすい身体障害者を例に挙げさせてもらう。
なお、誤解のないように伝えておくけれど、身体障害者を例に出すのは、身体障害者を侮辱する等といった、社会的見地からする悪意は一切なく、あくまでも説明しやすい対象として選んでいるだけであることを理解していただきたく思う
さて。
身体の欠損として、見た目でわかりやすい例としてあげると、「手が欠損している」「足が不自由」というのは典型的な例だと思う。
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特に、車椅子を使用されている方に対しては、見た目で、「足が不自由なんだな」とすぐ判るはずだ。
この、足が不自由なことに対しては、どのように「活動の制約」があるのかはわかりやすい。要するに、「両足で歩くことが困難」なんだから。
ちなみに、足が不自由ということと、歩行が不可能というのは同じ意味じゃないよ。たとえば、洋式トイレに移動するくらいはなんとかなる、という方でも、車椅子の使用が必須であるのは、容易に想像できると思う。
ただ、残念なことに、上記のように、少しだけでも歩くことができれば、その場面だけを指差して、それなら車椅子なんていらないじゃないか、と言う人も、けっこういるんだわ。
この、上記のような、悪意の有無にかかわらず、その場面だけを見てそのように考える方は非常に多く、発達障害者も、そうした他者からの、「その場面しか見ていないだけで完璧にできていると考える」という行為には、非常にうんざりしているわけだけれど、それはさておき。
このように、身体障害者は、見た目で判断できる場合が多いだけでなく、その身体の欠損に対して、どのような不便があるかを、健常者は容易に想像ができるんだわ
もっとも、上記の表現は、正確ではない。健常者が容易に想像できる身体障害ってのは、たとえば、手足の欠損、視覚障害、聴覚障害の、この4つに限られているんじゃないかな。

足が不自由な方に共通していること

さてさて。
この、足が不自由な方に限定して、考えを掘り下げていくよ。
足が不自由な方といっても、どのように不自由なのかは人それぞれ
足がなんらかの理由で欠損している場合は、そもそも足がないのだから歩行できないというのは判るよね。
んでも、両足ともにそろっていても、脳や神経などの異状により、足が動かない場合と、わずかに力は入るものの、自分の身体を支えるだけの力が入らない場合、ほんのわずかであれば何とか歩ける場合などなど、いろいろある。
そんな方々が、移動をスムーズに行うためにはどうすればいいか。誰かにおぶってもらうこともあるだろうけれど、自力で移動する場合は、車椅子を利用することで、ある程度解決できる(杖を使用するなどの例もあるけれど、今回はその事例には触れません)
だけれど、あくまでも「ある程度」であって、二足歩行できる自分たちと同じように移動できるわけではないよね。
特に階段などの段差がある場合は、自力でその段差を乗り越えることはほぼ不可能となってしまう。なので、エレベーターなどが利用できない場合、誰かに手伝ってもらったり、あるいは手ではいずってでも、って感じにするしかない。
最近では、バリアフリーも、施設に関しては進んできてはいる。だけれど、一般道に関して言うと、たとえば交差点で横断歩道を渡ろうとした場合、横断歩道に一度降りて、歩道に移動するために、歩道にあるその段差を乗り越えなければならない。つまり、道路のバリアフリーに関しては、いまだに進んでいない、ということが言える。
それに、あくまでも座った状態での移動になるため、たとえばスーパーに行ったときは、高い位置にある商品を取ることが難しかったりもする。そのため、店員さんや、場合によっては近くのお客さんにとってもらうようお願いしなきゃいけない。
このように、普通に二足歩行ができる、(一応)私を含む健常者からすると、ごく当たり前のことが、足が不自由な方には難しい。そのため、車椅子などの道具を利用すること、そして誰かの手を借りることが必要となってくる。これは、健常者には、その必要がないことばかりだ
言い方をかえると、足の不自由な方は、足が不自由な分だけ、健常者よりも、実生活において、いろいろと不便がある、と言えるよね。

身体障害者に共通して言えること

さて、上記のように、足に障害を抱えている人を例としてあげたわけだけれど、これは身体障害者すべてに対して、同じことが言える。
手が不自由な方は、何かを持つことが難しい。
中には、先天性の障害により両手がない方もいるんだけれど。
とある方に関しては、映画化もされているので、ご存知の人もいらっしゃるのかも知れないんじゃないかな。
典子は、今
紀伊國屋書店



この、両手がない状態に関しても、どのように不便なのかは、容易に想像できるんじゃないかな。
同様に、目が不自由な場合、耳が不自由な場合に関しても、だ。
もっとも。
容易に想像できはするけれど、実際の大変さについては、その当事者でなければわからない
んでも、そうして想像できるから、その大変さを少しでも手伝えるよう、その時に応じて配慮あるいは手伝いをすることはできるよね。そのときだけ、であったとしても、ね。

余談・白い杖を使用されている方の場合
上記は、あくまでも、第三者からみても判りやすい障害だった。
同じ身体障害者でも、中には心臓や腎臓などの内臓器官に異常があるために身体障害者として認定されている方もいらっしゃり、そうした方は見た目では判らない。
また、これは私も最近知って驚いたことだけれど、白い杖をついている方は視覚に障害があるわけだが、だからといって完全に盲目というわけではないそうだ。はっきりとものが見えているわけでないけれど、ある程度の障害物の見分けはできるらしい。
要するに、白い杖は、それだけ目が不自由であるとアピールするツールでもあるわけだが、一方で、白い杖を使用しているイコール完全に盲目ではない、でも盲目じゃないから白い杖を使用してはいけない、なんてことはなく、むしろ使用すべきなんだそうだ。

ここまでのまとめ
ってなわけで。
いろいろと書いてきたけれど、身体障害者の特徴として、私は次の共通項があると考える。完全にまとめきっているわけじゃないけど。
  • 健常者と同じことができない
  • 特定の動作に関して、健常者では当たり前でも身体障害者には難しいものが多い
  • 特定の動作に対して、道具あるいは人の手を借りる必要がある(あるいは、あきらめる)
  • そのため、実生活あるいは社会生活において様々な制限を受ける。
  • その制限のため、時間と手間が健常者に比べ余計にかかる。
そして、こうして、健常者から見て不自由な生活を送ることは、その障害を負っている方にとっては、それは当たり前のことなんだ
この、「障害者にとっては当たり前」というのが、非常に大きなポイントだと私は思ってる
そして、このことが、私が、すべての発達障害者に対して伝えたいことにつながるんだけれど、その話は、次回ということで。





本題とは関係ないけど、このコミック、いろいろと面白かったもんで紹介しますね~




どうも(*・ω・)ノ
なぜか始めたかぎ針編み。はじめてから、ずいぶん時間が経ったけれど、私としては、そこまで上達していないな~と思っていたりする。
そもそも、身につけるものとして、帽子やマフラーなんてのは作ったけれど、セーターに挑戦しようかな、と思ってみても、特に袖や首を通すところの、そのサイズ調整をどうすればいいのか、わからないもんだから、まだセーターを編み始めることそのものに抵抗があるんだわ
そりゃあ、まだまだ初心者なんだし、失敗して当たり前、ともかくやってみりゃええやん、って思うんだけれど、どうも、ね。
その代わり、身につけるものよりも、小物や鞄を作ることのほうが多い。と、いうのも、上記のような、サイズをいろいろと考える必要があまりないもんだから。

毛糸で小物入れを作ってみた
ってなわけで。
先日、日曜市で、たまたま毛糸の投げ売りをしているお店があったもんだから、ある程度の毛糸を仕入れてみた。
ただ、仕入れた毛糸が、それぞれ色違いで、1玉あるいは2玉くらいしか量がなかったんだ。こうなると、小物くらいしか作れるものがない。
ってことで、
DSC_0313
こんな入れ物を作ってみたりする。
ちと写真写りのせいで、色合いがおかしいことになっているけれど、実際の色は、上の写真から、もっと色が暗くなっている感じだと思って欲しい。
また、糸は、同じ太さの違う色を2本取りしていて、1本の場合だと、かぎ針5号推薦なんだけれど、2本取りで、あえて5号針で編むようにしてある。こうすると、編み目が詰まって、しっかりするからね。
DSC_0315
また、側面は、このように、外側へ厚みのあるふちをつけるようにしてある。
このふちは、細編みをおなじ目に3度編み込むことで、内側にまず厚みがでるようになるんだけれど、それをひっくり返したら、こうなる。
このふちをつけることで、入れ物として、しっかり安定するようにしてある、とまあ、こういうわけ。
編み方としては、全部細編みで作っているようなもんだし、そんな難しいものじゃない。
DSC_0316
底は、こんな感じ。色合いは、この写真のほうが近いかも。
輪編み8目で開始し、増やし目を行う位置を段によって変えることで、こうして丸っこく仕上がるという方法があるから、常にこの方法で編むようにしてる。
最後の目ばかりで増やし目を行うと、こういう風にはならないんだわ。
また、個人的には、糸1本で編むよりも、2本取りのほうが、色合いがいろいろと出て、おもしろいと思うんだよね。
DSC_0317
小物入れの内側から、縁の様子を撮すと、こんな感じです。

実はもうひとつ作りました
もともと適当に作り始めた小物入れだけれど、この縁の作り方については、個人的には、かなり気に入ってる♪
表裏をひっくり返したことにより、見た目も良くなっているんじゃないかな、と自画自賛してたりします。
なので。
DSC_0320
色違いの、一回り違う大きさのものをもう一つ作ってみたりする(゚∀゚)
DSC_0321
こちらは内側の様子を撮影したものだけれど、同じように二本取りで編んでいる、わけだけれど、途中で同じ糸の色を二本取りで編んで、ラインを作っているのが解ると思う。
これが二本取りの、単色・同じ編み方で配色を変えることができる大きなメリットだと思ってたりします。
要するに、編み方を変えることで模様によるデザインを決めるのが一般的なんだけれど、それだと模様だけしか特徴がなくなってしまう。
それよりも、配色を変えてしまうことでデザイン性を向上させよう、と、まあ、こういわけ。
DSC_0323
こちらが側面の縁の様子。
同じように、縁の厚みをつけていることと、それと配色の違いについても、少しは解ってくれるんじゃないかな、と思ってたり。
DSC_0327
とまあ、こんな感じで、だいたい完成まで1時間ちょいくらいかかるけれど、小物入れ、完成でございます(`・ω・´)ゞ

編むための糸について
ってなわけで。
DSC_0333
こんな感じで小物入れが作れるわけだけれど。
こうした小物入れを作る場合、ふつうの毛糸でも、もちろん作ることができる。そもそも、今回作ったこの小物入れで使用している毛糸の素材、よくわからないんだわ(´・ω・`)
ただ、これまでも、同じく二本取りで小物や鞄を作ったことがあるんだけれど、その場合は、かぎ針5号推薦のモヘアあるいはそれに準じたふとさの、少し細目の糸を使うようにしてる。
その糸を2本取りして、また途中で糸を1本変更してストライプを入れたりすることで、かなり感じのいい小物を作ることができるってわけ。

2本取りの配色についての考え方
ちなみに。
2本取りで編む場合の、糸の色との組み合わせなんだけれど。
途中で糸を変更すると考える場合は、たとえば、
・緑+黄緑、ストライプは黄緑+クリーム色
・暗色同士の近い色、途中同じ糸の色一色
とかいう感じで組み合わせるとわかりやすいと思う。
ただ、場合によっては、せっかく2本取りで、二色で編んでいたのに、なぜか色が混ざってしまって1色にしか見えなくなってしまった、なんてこともあるんだわ。
実際にそうした事例のものがあるんで、それも近いうちにブログで紹介することにします。

ちなみに、こうした小物とか手芸品を、実際に販売してみようかと考え中。
ある程度作り貯めたものもあるし、デザイン性はともかく、丈夫さについては自信がある、ってのも、まあまあの数を作っているんだわ。
もっとも、実際に販売するかどうか、その時期については、まだ先かな。それに売れるかどうかもわからないからね。

どうも(*・ω・)ノ
発達障害の3つのカテゴリ、つまり「自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)」「ADHD」「学習障害」のうち、ADHDに関しては、こちらは、投薬により、ある程度、症状の改善が見込まれています。
実際に、私も、投薬により症状を緩和あるいは脳の状態を向上させるといった効果を実感してはいるんです。
ですが、このADHDを改善するための薬ってのは、個人差はあるものの、副作用があり、その副作用と、どのように付き合っていけばいいのか、いまだに戸惑っていたりします。
以前は、ストラテラという薬を服用していたんだけれど、この薬の副作用のせいなのか、体調を大幅に崩してしまい、病院へ緊急搬送されたいきさつがあったりして、現在では、コンサータという薬を服用しています。
ですが、このコンサータという薬、付き合い方が難しい薬でもあるんです
なお、今回のお話は、あくまでも私の体験に基づくものですので、実際にコンサータ等の薬を服用することに関しては、主治医と必ず相談してください。


処方できる医師は登録制
まず、この薬を処方できる医師や薬剤師は登録制になっていて、だれでも気軽に処方できる薬じゃないんです。
実際、この薬を処方することができる登録医はまだ多いとは言えず、転院しようとした歳、コンサータを転院先の医師が処方できるかどうか、ということを考慮しなければならなかったりします。

即効性はあるが持続時間が限定されている
コンサータは、即効性がある薬です。私の場合、服用してから30分前後で、その効果を感じることができます。
ですが、この薬は、ちと特殊な形状をしていて、その効果が維持できるのは12時間前後。私の体感だと、10時間くらいで効果は切れてしまいます。このあたりは後述します。
ストラテラは、約3ヶ月ほどで効果を感じることができるようになり、かつ服用を続けていく必要がありますが、しかし効果が出るようになると、24時間、その薬の恩恵を受けられます。
このことから、効果が実際にあらわれるまで時間がかかるものの、しかしADHDの症状が長く緩和されることから、私は、ストラテラのほうがいいとは思います。私の体質にあわなかったことは残念ですが。

効果が切れたときが問題
さて、上記にも書きましたが、この薬は、その薬の効果時間が限定されています
これは、薬が特殊な形状をしているからです。
詳しくは、コンサータに関する説明を見ていただくといいのですが。
要するに、ティーバッグから紅茶の成分が出てくるように、カプセルから、その薬がゆっくりと出てくるようになっていて、その薬の成分が出てくる間は、薬効がある。
でも、カプセルの中身が空っぽになってしまったら、薬の効果が切れてしまい、結果として、強い反動が出てしまうんです。
たとえば、無気力、体力の著しい減退、思考能力の不安定化などなど。薬を一切飲まなかった時期よりも、その症状が強く出てしまい、私の場合、効果が切れて以降、何時間も行動が一切できなくなってしまうことも多々。
このあたりを、私は、「薬が効いている間は、車のアクセルをおもいっきり踏み込んでいる状態、薬が切れたときはオーバーヒートしている状態」という感じに例えてはいるんですけどね。

おなかの調子によって薬効が期待できないことも
そしてもうひとつ。
上記にもあるように、カプセルがおなかにとどまっている間、カプセルから、ゆっくりと薬の成分が染み出してくる、という感じになっています。
そして、カプセルは、空っぽになっても溶けることはなく、そのままの形で排泄されます。
つまり。
下痢している時は、カプセルがすぐ排泄されてしまうため、効果を望むことが難しいんです(´・ω・`)

効果時間と実生活の調整が難しい
さらに、薬の効果時間が限定されていることから、薬を飲むタイミングを、生活リズムにあわせて調整する必要もあります。
つまり、一日のスケジュールを先読みし、投薬タイミングを調整する必要があるんですね。

ストラテラのほうが楽かも?
このように、コンサータという薬は、その薬の投与に関し、色々と面倒なんです。
一方、同じADHDを改善するための薬として処方されるストラテラは、効果が現れるまで約3ヶ月ほどかかる、とのことですが、効果が現れると、24時間、その恩恵を受けられます。
そのため、薬を服用するタイミングを細かく考える必要がない。
また、医師が処方する際、コンサータのように、わざわざ処方するために医師が登録するという手間もありません。ですので、転院しても、確実にストラテラは処方していただけます。
ですがコンサータの場合、コンサータを処方できる医師が限られているのは、その処方を受ける私達からすると、転院する際の選択肢に制限を受ける、ということが言えます。
私は、体質の問題で、ストラテラに強い副作用を感じ、コンサータに切り替えたという経緯がありますが、しかしこの薬との付き合い方を考えると、ストラテラのほうが、生活に影響が出にくいという点でも楽なんじゃないかな、とは思います。

繰り返しになりますが…
とまあ、こんな感じで、私はコンサータという薬と付き合い続けるしかないわけですが…
何度も言うように、これはあくまでも私の体験であって、この記事を見ている方が薬の処方についての参考にしていただくために書いているわけではありません。
あくまでも、コンサータという薬と付き合うのは、何かと面倒だという個人的な感想を述べているに過ぎないんです。
このブログ記事を書いているときも、もちろんコンサータを服用し、その作用の恩恵を受けているのですが、ですがここ最近、薬の効果が切れる午後3時以降、ぐったりしてしまってそのまま翌日まで寝てしまうことも珍しくない。
ですので、大切な用事は、なるべく午前中に行おう心がけているわけですけれど、何かと面倒ではあります。


この書籍、私も参考にしておりますよ。考え方を整理する上でも、けっこう役に立ってます♪



頭の左側の偏頭痛にずっと悩まされてます
発達障害と診断されるずっと以前から、頭部左側の頭痛に悩まされています。
virus_zutsuu2
その頭痛については、頭痛外来にて精密検査を行っていただいたものの、異常は見られない、とのこと。ちなみに、最近でも脳のMR検査を受けていたり、また脳波の計測を2度行ってもいるものの、いずれも異常は見られず。
これは、発達障害と診断されても、さまざまな検査を受けても脳機能に異常を見出すことができないことを意味しているのですが、それは置いといて。

耳鳴りも左耳だけ
そして、耳鳴りにも悩まされており、こちらも左耳。
sick_chujien
この耳鳴りも、ずいぶん以前から悩まされていて、薬を飲み続けてはいるものの、ましにはなっても解消されてはいません。
もっとも、その耳鳴りに慣れていて、どれだけ大きく耳鳴りがしていても気にしないようにしてはいるんだけれど、一方で、左耳の聴覚が、やや聞こえづらくなっているらしい。普段は自覚していないんですけどね。
ちなみに、発達障害と耳鳴りの関係について、担当医に聞いてみたところ、可能性はあるが断定できない、とのこと。
また、耳鳴りの原因のひとつに、自律神経の異常が挙げられていて、こちらはストレスが起因としているそうなのですが、少なくとも耳鳴りに関しては、ストレス対策をとることでも対応していくべきだ、ということが言えます。

椎間板ヘルニアの影響も左足だけ

さて。
椎間板ヘルニアの症状が出たのは、今から、何年前だろ。発症してからもう6年は経過していると思うんだけれど、その症状が出ているときは、まともに歩けなかった。
kansetsutsuu_koshi
自転車には何とか乗れるものの、歩行がほぼ不可能で、スーパーのカートにつかまって歩くのがやっと、といった感じでした。
後に入院し、現在では歩行そのものにはあまり問題がない程度にまで改善してはいるものの、しかしその神経が圧迫されたことにより、左足にかるい麻痺が残っています。
どんな感じかというと、左足だけ長時間正座してしびれている状態が24時間続いている、と考えてもらうといいかな。要するに、左足に、うまく力が入らないってわけ。
んでも、そのしびれそのものも、歩くことそのものにはあまり影響がない程度にまで改善はしてはいます。
もっとも、何もないところでつまづいたり、こけたりしてしまうのは仕方のないことなんですけれど。それに、走ることもできなくなっていますね。先日、試しに軽く走ってみたら、
korobu_kodomo
見事にずっこけました。
担当医は、麻痺が回復することは無いだろう、と言っていたし、そのあたりはしょうがないです。

肩こりも左側に集中してます
そして、若いころから、ずっと肩こりにも悩まされていて(腰痛にも悩まされていましたが、それが椎間板ヘルニアになっていったのかしら)、これも左側が特にひどい!
katakori_man
もともと、たすき掛けにバッグを持ち歩いていて、常に左肩にかけていたからか、とも思っていたんだけれど、一時期、手提げかばんやヒップバッグを使用していた、にもかかわらず一切解消されず。
このブログ記事を書いている現在でも、首の左側や左肩に対して、強烈な違和感を感じているんですが、こちらは一切対策がとれていません。
もっとも、現在の主治医にそのあたりの話をしていないのだけれど。一度相談したほうがよさそうだなあ。

腎臓結石も左側に!
さらに、現在、結石ができているため、投薬治療を続けているんだけれど、その結石ができているのも、左の腎臓だったりします。
もっとも、これは偶然だと思う。と、いうのも、一番最初に尿路結石になったのは、右側だから。

自傷イメージもすべて左側に集中してる
そして、脳内イメージも、なぜか左半身に集中している。
shinpai_man
自殺衝動や自傷衝動というのは、これはずいぶん以前からあります。現在でも、そういうのは出てきます。
実際に実行しないのは、自殺や自傷行為をしても、問題が解決しないと考えているから。でも、気が付くと、左のほっぺたを爪でひっかいてみたり、舌を怪我しない程度に強く噛んでいたりもして、それが私の精神的ストレスの危険信号のひとつにもなっています。
その上で。
nebusoku_tetsuya_ake_man_smile
以前より、腕や足が、事故が何かでズタボロになっているイメージを思い浮かべることがあり、最近はとくにひどくなっています。
おそらく、これもそうした自傷衝動の一種だと考えてはいますけれど、そのイメージを払しょくするための具体先は今のところ無し。
ただ、そういうイメージが思い浮かんでいるときは、思考力も落ちていることが多く、そうなった場合は、だいたい、ふて寝してたりします。
そうして、腕や足がずたぼろになっているイメージを思い浮かべるその腕も足も、いずれもすべて左側!
右半身への自傷行為などのイメージというのは、振り返ってみると、今まで一切なかったです。

なぜ左半身ばかりに集中しているか
ってなわけで、何らかの身体の異常は、精神的なものも含め、なぜか左半身に集中しているわけですが、
question_head_boy
これがよくわからん。
自傷イメージについては、単に右利きだからなんだろうか、とも思ったんだけれど、なんか違うっぽい?
まあともかく、実際の身体の異常も、想像による身体の異常も、いずれも左半身に集中していることは間違いないわけですが。
ですが、だから何? とも思う。
この自分自身のそうした問題は、おそらく私個人に限定された問題だと思うんだけれど、んでも、どうしたもんだろ?



この書籍、ストレスに関する様々な研究結果などがまとめられていますが、発達障害者は特に読むべき本だと私は思いますよ。発達障害者は、ストレス耐性が低いですから。

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