このブログ、独自ドメインを取得した上で運用しているくせに、このところ更新していないでやんの(´・ω・`)
もったいないことこの上ないんで、ちょっとした雑記がてら、ブログを書いてみることにします。
まあ、近況がてら、って感じで。

発達障害と診断されて以降、いろんな出来事があった。
発達障害という診断を受けたのはいいけれど、そもそもその当時は発達障害という障害そのものを知らず、精神障害の一種なんだしすぐに治ると思っていた。だけどそれがそうじゃないことが少しずつ解ってきて、また、いろんな福祉関係の方々に協力を求めたりしていかに状況を改善するか必死になってた。
この時期、いい歳をしていたにもかかわらず、ともかく泣いていたことが多かった。
また、言いがかりによる訴訟を起こされ、それに対応するために弁護士に協力をいただき、かつ、その訴訟相手が私の関係者に行った数多くの行為を私が知ることになり、その訴訟のために多大な時間と費用、そして人脈を費やした。
そんな中、婚約者とも別れることにもなった。
そうした一連の事態が、どうにか落ち着いたのが、今年の10月。ここまで、3年の歳月を費やしている。
この、たった3年で失ってしまったものは非常に大きかったけれど、それがあるからこそ今の自分がいる、という風に考えることができるようにようやくなってきた、わけだが。
そんな中、11月半ばから、立ちくらみやめまいがひどくなり、それも毎日発生しているものだからいろいろと調べてもらったところ、小脳及び中脳の萎縮が通常よりもかなり進んでいることが解った。
大脳については異常はないものの、運動神経を司る脳に異常があるとのことで、とりあえず経過観察になってはいる。
その状況を、MR画像を用いて説明を受けたときの感想は、ふたつ。
ひとつは、大脳、つまり思考を司る脳については問題がないため、少なくとも考えることそのものについては問題はないということ。
そして、もうひとつは、人間は間違いなく少しずつ死に向かって進んでいっているんだよなあ、ってことだった。

そもそも、私は、23歳のときに、思い出に当たる記憶のほぼすべてを失っている。現在では、当たり障りのない範囲でわずかに思い出すこともあるんだけれど、そのせいか、私自身、実年齢が45歳であるという実感が現在でも持てない。
もし、若い頃に結婚をし、子供も出来ていたならば、そうした子供の成長とともに自身の年齢についても実感が持てていたのかも知れない。だけれど、私の場合、その記憶を失った23歳のまま止まっているような気がする。
とはいえ、その当時の私と現在の私とを比較し、特に思考については、これだけ自分が成長している、ということを実感することはあるんだけれど、でも、結局のところ、私は私、という意味ではなにも変わっていないようにも思う。

発達障害と診断されたのが42歳。
その2年前の40歳のとき、私は、自分が幸せになることをあきらめた。
そのかわり、もし私の力で誰かが幸せになるきっかけを作ることができたのならば、それでいいと考えるようになった。
発達障害の診断を下した医師は、あなたが人並みの幸せを掴むことはあり得ない、あなたの人生は茨の道であると言った。
自身の障害に関する事柄を学習し、翌年、福祉担当者から、ここまで理解が早い人はいないとの評価を受けた。
だからこそ、私が幸せになることはない、というその医師の言葉も解るし、事実、私自身そうだとも思う。
でも、なにもできないわけじゃない。

とまあ、こんな感じの話を以前もこのブログかどっかで書いた気もするけれど、結局のところ、どうにかしていくしかないよね、って感じで考えていたりする。


ま、雑記がてら、こんなことをちらっと書いてみたりする。
ちょっとした気分転換だけどね。