且⊂(゚∀゚*)ウマー
先月、作業に使用していたメインPCのBIOSが立ち上がらなくなってしまい、これまでメインPCで行ってきたすべての作業ができなくなってしまいました。
データ収集用のノートPCでは性能が低く作業にならず、また2台あるAndroidタブレットPCはそれぞれ癖があったりして、色々難儀しているんです。
とはいえ、3年ほど前から、ブログの更新も、動画の制作もおもいっきり滞っているんですけどね。
ってなわけで、今回は、そのAndroidタブレットPCから、スマホ版ブログ編集画面にて、雑記がてら色々と書いてみます。
発達障害に関して…
デイケアに通いながら、自身の発達障害に対応するための知識については、ある一定量学習できていると思えるまでになっています。
発達障害者支援センターからは、私が行っていることが高度すぎて支援のしようがないとか。
そもそも、私には知的障害がないばかりか、知能指数は平均以上あるとのことで、その知能の高さがかえって支援しづらい(基本的に自分で物事を考え対処してしまうため支援を行う隙があまりない)とのこと。
その上で、発達障害と診断される前から愛読している時間管理の書籍を中核に、「マインドフルネス」「コーピング」「WRAP」「認知行動療法」などを取り入れ、かつ、発達障害以外の書籍から自身を理解するためのヒントを数多く得たりと、発達障害に伴う学習については、かなりできているのではないかな。
ただし、あくまでも自分で活用できる範囲で学習しているものだから、それを他の方に伝える場合、それなりの専門的な学習が必要でもあるし、もっとも、私はそこまでやる必要がないかな、って感じです。
ここで非常に痛感しているのは、発達障害者は、発達障害以外の知識が非常に重要だということ。確かに発達障害の専門書籍は多々ありますけれど、しかしながらその書籍だけで発達障害には間違いなく対応できないと思っています。
それに、発達障害の専門書を色々と読みましたけれど、一番重要なポイントについては、どの書籍も語られていないのではないか、という印象です。
つまり、そもそも「障害者」とは何か、ということ。
この、「障害者」という言葉の意味を理解できない限り、発達障害者は自身の障害について充分に理解できないのではないかと思うんですね。
まあ、このあたりは、いずれブログなり動画なりで話をしてみようか、とは考えていますけれど。
それにしても、自身の、発達障害の特性を調べれば調べるほど、一般的な思考回路ではないというのを痛感しております。特に対人関係に関する事柄についてはそうですね。
また、様々なテスト結果から、発達障害者の中でもかなり変わった特性を持っていることも解りましたし、さらに、医師からは「静葉の人生は茨の道」だと診断当初に指摘されていることをかなり痛感していたりもします。
んでも、発達障害だからという泣き言は私は一切言ってないと思う。むしろこれまでの私の人生の理由付けができたし、その診断がなければここまで学習しなかったはず。
一方、発達障害者である私の特性を説明しても、それが「言い訳」に聞こえるようでして、「データ」で解釈する私と、「感情論」で話をしようとする方々との溝は埋まらないような感じです。…私、若い頃に、「感情論で物事を判断すると必ず間違った結果を生む」って習いましたし、それが私の価値観にも繋がっているけれど、どうも一般的な考え方ではないっぽいんだよなあ。
まあ、そんな感じで、発達障害と診断されて以降、自分自身についてはかなり理解できはしましたけれど、でも、人付き合いに関しては、いまだによく解らない。
他の方々の発言や行動を見て、「なぜそのような短絡的な考え方ができるのだろう、バカじゃね~の?!」と思えてならない事も多々。
最近、「正義がゆがめられている」という書籍を入手し、少しずつ読み進めていますけれど、その書籍に、まさしくそのような方々のことが書かれていたりして、なんだかなあ、という感じです。
ま、雑多な内容になりましたが、とりあえず元気にやってはいるというご報告まで。
せっかく独自ドメインも取得していることだし、ブログもどんどん更新していかなきゃいけないですね、はい。
先月、作業に使用していたメインPCのBIOSが立ち上がらなくなってしまい、これまでメインPCで行ってきたすべての作業ができなくなってしまいました。
データ収集用のノートPCでは性能が低く作業にならず、また2台あるAndroidタブレットPCはそれぞれ癖があったりして、色々難儀しているんです。
とはいえ、3年ほど前から、ブログの更新も、動画の制作もおもいっきり滞っているんですけどね。
ってなわけで、今回は、そのAndroidタブレットPCから、スマホ版ブログ編集画面にて、雑記がてら色々と書いてみます。
発達障害に関して…
デイケアに通いながら、自身の発達障害に対応するための知識については、ある一定量学習できていると思えるまでになっています。
発達障害者支援センターからは、私が行っていることが高度すぎて支援のしようがないとか。
そもそも、私には知的障害がないばかりか、知能指数は平均以上あるとのことで、その知能の高さがかえって支援しづらい(基本的に自分で物事を考え対処してしまうため支援を行う隙があまりない)とのこと。
その上で、発達障害と診断される前から愛読している時間管理の書籍を中核に、「マインドフルネス」「コーピング」「WRAP」「認知行動療法」などを取り入れ、かつ、発達障害以外の書籍から自身を理解するためのヒントを数多く得たりと、発達障害に伴う学習については、かなりできているのではないかな。
ただし、あくまでも自分で活用できる範囲で学習しているものだから、それを他の方に伝える場合、それなりの専門的な学習が必要でもあるし、もっとも、私はそこまでやる必要がないかな、って感じです。
ここで非常に痛感しているのは、発達障害者は、発達障害以外の知識が非常に重要だということ。確かに発達障害の専門書籍は多々ありますけれど、しかしながらその書籍だけで発達障害には間違いなく対応できないと思っています。
それに、発達障害の専門書を色々と読みましたけれど、一番重要なポイントについては、どの書籍も語られていないのではないか、という印象です。
つまり、そもそも「障害者」とは何か、ということ。
この、「障害者」という言葉の意味を理解できない限り、発達障害者は自身の障害について充分に理解できないのではないかと思うんですね。
まあ、このあたりは、いずれブログなり動画なりで話をしてみようか、とは考えていますけれど。
それにしても、自身の、発達障害の特性を調べれば調べるほど、一般的な思考回路ではないというのを痛感しております。特に対人関係に関する事柄についてはそうですね。
また、様々なテスト結果から、発達障害者の中でもかなり変わった特性を持っていることも解りましたし、さらに、医師からは「静葉の人生は茨の道」だと診断当初に指摘されていることをかなり痛感していたりもします。
んでも、発達障害だからという泣き言は私は一切言ってないと思う。むしろこれまでの私の人生の理由付けができたし、その診断がなければここまで学習しなかったはず。
一方、発達障害者である私の特性を説明しても、それが「言い訳」に聞こえるようでして、「データ」で解釈する私と、「感情論」で話をしようとする方々との溝は埋まらないような感じです。…私、若い頃に、「感情論で物事を判断すると必ず間違った結果を生む」って習いましたし、それが私の価値観にも繋がっているけれど、どうも一般的な考え方ではないっぽいんだよなあ。
まあ、そんな感じで、発達障害と診断されて以降、自分自身についてはかなり理解できはしましたけれど、でも、人付き合いに関しては、いまだによく解らない。
他の方々の発言や行動を見て、「なぜそのような短絡的な考え方ができるのだろう、バカじゃね~の?!」と思えてならない事も多々。
最近、「正義がゆがめられている」という書籍を入手し、少しずつ読み進めていますけれど、その書籍に、まさしくそのような方々のことが書かれていたりして、なんだかなあ、という感じです。
ま、雑多な内容になりましたが、とりあえず元気にやってはいるというご報告まで。
せっかく独自ドメインも取得していることだし、ブログもどんどん更新していかなきゃいけないですね、はい。
コメント