ドウモ( ・∀・)っ旦
先週より、ひどく体調を崩してしまいまして、昨晩よりようやくある程度動けるようになってきました。
まだ体力は戻っていないから、身体をしっかりと動かすことは出来ないんだけれど、んでも思考力に関してはだいぶん良くなってる。
このあたりの事情については、いずれまたブログで書いてみるとして(そもそも、このところブログ全然書いてないもんね)。
今回は、その、体調を崩している時に考えていたことをちらっと整理してみよう、と、まあ、こういうわけ。
そもそも詩が好きな理由って?
さて。
私は、徳島現代詩協会の会員として、今でも一応活動はしているわけだけれど…とはいえ、詩そのものがこのところ全然書けていないわけなんだけどさ。
その、私が詩が好きな一番の理由の中には、ひとつの作品がともかく短いこと、ってのも含まれているんだわ。
一般的な詩でも、だいたい原稿用紙1枚程度のものが大半。でも、そこに書かれている言葉から想像できる世界が大好き!
しかも、ひとくちに詩といっても、様々な表現法がある。中には、一冊の詩集の中に書かれているその詩のすべてが全く違う表現法を用いられている、なんてものもあったりする。
また、アンソロジーの中には、1冊の詩集の中に、数多くの詩人や詩作家がそれぞれ違う作品を掲載していて、そのいずれもが趣のあるものばかりだったり。
しかも、そうした作品は、いずれも、読むのに数分もかからない程度。たった数分で、ひとつの世界を堪能できるなんてのは、文芸の分野においても、あまり類を見ないんだよ。
また、短歌や俳句のような、いわゆる言葉遊びの要素もあまり含まれていないのも魅力ではあるんだけれど、この表現については、短歌や俳句の愛好家に誤解を与えそうだなあ。
サイト「小説家になろう」を見始めました
さてさて。
そんな私だけれど、最近になって、「小説家になろう」というサイトを通じて、小説を読むようになってる。
そもそものきっかけは、ここ数年アニメ化されている小説が、もともとは「小説家になろう」という投稿サイトを発表の場にしていたってのを知っていたからなんだけれど、それまで私はそのサイトを見ること自体なかったんだ。
それが、気まぐれで、アニメ「異世界食堂」の元となっている小説「異世界食堂」を、このサイトを通じて読んでみたんだが…まだ全部読んではいないんだけれど、これがともかく面白い!
出版されている内容、そしてアニメ化されている内容と、微妙に設定は違うんだけれど、それぞれが独立したひとつの短編として読み進めることができ、飽きがこないんだわ。
なので、数十話を一気に読んでしまったり(´・ω・`)
んでも、こうして、娯楽作品ではあるけれど久しぶりに小説を読むことができたってのは、私にとっては嬉しかったりする。
サイト「小説家になろう」を読んで正直思ったこと
その他、連載されている小説を色々と見ていったんだけれど、ひとつ思ったことがあるんだわ。
私は、今まで、小説といえば、本を購入して、一気に読み進める、という方法を取っていて、それが当たり前だと考えていたんだわ。
ところが。
「小説家になろう」に投稿されている小説の中には、1話あたり原稿用紙数枚程度のものがあって、それを短い期間で連投している、という方式で執筆しているものもある。
つまり、投稿する原稿の量を短くし、代わりに投稿サイクルを同じく短くするという投稿方式を採用している人がおり、むしろそうした投稿方式の小説も、他の投稿方式の小説と同じように人気があるってことなんだ。
一方、投稿されている小説そのものについては、文章表現について違和感を覚えるものも少なくはないんだ。心理描写や風景描写がほとんどなく、ただ単に物事だけが進んでいくだけって感じで。
それが悪い、といってるわけじゃない。むしろ読みやすさとしてはそういう方法もありだし、そもそも私の記憶特性として、そうした物事の流れでのみ記憶力が発揮される、なんてのもあるもんだから、「読み飛ばす」という読書法を行うにはちょうどいいかな、と思っていたりもするんだわ。
そして、もうひとつ思ったこと。
それは、そうした、他の方々の執筆方法そのものを参考にすれば、私でも何かできるのかも知れない、ってことなんだわ。
一気に執筆するのでなく、できたときにアップして…
実のところ、以前も、小説を書こうとして挫折したことがある。
その最大の原因ってのは、続かないことであることは間違いないんだけれど、なぜ続かないかというと、「区切る」ことが苦手なんだわ。
なので、出来事ごとに短く「区切る」ことを心がけて執筆してみたら、なんとかなるんじゃないかなあ、なんて思っていたりもするわけ。
そもそも、どんな小説を書いてみたいかってのは、大昔から頭の中にあったし、そのアイデアについては、現在でも私が知る限りでは似たような設定みたいなのは確認できてない(まあ私が知らないだけなんだろけど)。
そんな感じで、まずその考えている小説の世界観じみたことを、それぞれショートストーリーとして書き上げてみればいいかな、なんて考えているわけ。
もっとも、そんなことやる暇があるなら、詩のひとつくらい書けよと言われそうだけど…。
それに、執筆しようとすると、あれも書きたいこれも書きたいとかいう感じで色々と詰め込みすぎてしまって挫折した、なんてのもあったから、必要以上の要素を排除する短編小説をいくつも書いて、それで腕を磨いていくのがいいと思うんだよね。
もっとも、実際に投稿したとして、どれだけ受け入れてもらえるかはわかんないけど。
それに、小説を投稿するのはいいとしよう。動画の投稿や、このブログの執筆も停滞しているのに、小説にまで手を出すのあんた?って言われかねないよなあ…。
ってことで…
まあ、こういう風に考えてみた、ということを、こうしてブログとしてまとめてみた、ただの、何の意味もない雑記として記事を書いたわけだけれど、んでも、今まで何度も挫折したことに再び挑戦してみるのも、別に悪い事じゃないとは思ってる。
だけど、それを実際に行うのは、まだ先だろうね。だって、やらなきゃいかんこと一杯抱えてるから。それらをまず片付けておいて、それからって感じだね。
ま、肩肘張らずに、焦らず急がず、できるときに少しずつやっていきましょ。
先週より、ひどく体調を崩してしまいまして、昨晩よりようやくある程度動けるようになってきました。
まだ体力は戻っていないから、身体をしっかりと動かすことは出来ないんだけれど、んでも思考力に関してはだいぶん良くなってる。
このあたりの事情については、いずれまたブログで書いてみるとして(そもそも、このところブログ全然書いてないもんね)。
今回は、その、体調を崩している時に考えていたことをちらっと整理してみよう、と、まあ、こういうわけ。
そもそも詩が好きな理由って?
さて。
私は、徳島現代詩協会の会員として、今でも一応活動はしているわけだけれど…とはいえ、詩そのものがこのところ全然書けていないわけなんだけどさ。
その、私が詩が好きな一番の理由の中には、ひとつの作品がともかく短いこと、ってのも含まれているんだわ。
一般的な詩でも、だいたい原稿用紙1枚程度のものが大半。でも、そこに書かれている言葉から想像できる世界が大好き!
しかも、ひとくちに詩といっても、様々な表現法がある。中には、一冊の詩集の中に書かれているその詩のすべてが全く違う表現法を用いられている、なんてものもあったりする。
また、アンソロジーの中には、1冊の詩集の中に、数多くの詩人や詩作家がそれぞれ違う作品を掲載していて、そのいずれもが趣のあるものばかりだったり。
しかも、そうした作品は、いずれも、読むのに数分もかからない程度。たった数分で、ひとつの世界を堪能できるなんてのは、文芸の分野においても、あまり類を見ないんだよ。
また、短歌や俳句のような、いわゆる言葉遊びの要素もあまり含まれていないのも魅力ではあるんだけれど、この表現については、短歌や俳句の愛好家に誤解を与えそうだなあ。
サイト「小説家になろう」を見始めました
さてさて。
そんな私だけれど、最近になって、「小説家になろう」というサイトを通じて、小説を読むようになってる。
そもそものきっかけは、ここ数年アニメ化されている小説が、もともとは「小説家になろう」という投稿サイトを発表の場にしていたってのを知っていたからなんだけれど、それまで私はそのサイトを見ること自体なかったんだ。
それが、気まぐれで、アニメ「異世界食堂」の元となっている小説「異世界食堂」を、このサイトを通じて読んでみたんだが…まだ全部読んではいないんだけれど、これがともかく面白い!
出版されている内容、そしてアニメ化されている内容と、微妙に設定は違うんだけれど、それぞれが独立したひとつの短編として読み進めることができ、飽きがこないんだわ。
なので、数十話を一気に読んでしまったり(´・ω・`)
んでも、こうして、娯楽作品ではあるけれど久しぶりに小説を読むことができたってのは、私にとっては嬉しかったりする。
サイト「小説家になろう」を読んで正直思ったこと
その他、連載されている小説を色々と見ていったんだけれど、ひとつ思ったことがあるんだわ。
私は、今まで、小説といえば、本を購入して、一気に読み進める、という方法を取っていて、それが当たり前だと考えていたんだわ。
ところが。
「小説家になろう」に投稿されている小説の中には、1話あたり原稿用紙数枚程度のものがあって、それを短い期間で連投している、という方式で執筆しているものもある。
つまり、投稿する原稿の量を短くし、代わりに投稿サイクルを同じく短くするという投稿方式を採用している人がおり、むしろそうした投稿方式の小説も、他の投稿方式の小説と同じように人気があるってことなんだ。
一方、投稿されている小説そのものについては、文章表現について違和感を覚えるものも少なくはないんだ。心理描写や風景描写がほとんどなく、ただ単に物事だけが進んでいくだけって感じで。
それが悪い、といってるわけじゃない。むしろ読みやすさとしてはそういう方法もありだし、そもそも私の記憶特性として、そうした物事の流れでのみ記憶力が発揮される、なんてのもあるもんだから、「読み飛ばす」という読書法を行うにはちょうどいいかな、と思っていたりもするんだわ。
そして、もうひとつ思ったこと。
それは、そうした、他の方々の執筆方法そのものを参考にすれば、私でも何かできるのかも知れない、ってことなんだわ。
一気に執筆するのでなく、できたときにアップして…
実のところ、以前も、小説を書こうとして挫折したことがある。
その最大の原因ってのは、続かないことであることは間違いないんだけれど、なぜ続かないかというと、「区切る」ことが苦手なんだわ。
なので、出来事ごとに短く「区切る」ことを心がけて執筆してみたら、なんとかなるんじゃないかなあ、なんて思っていたりもするわけ。
そもそも、どんな小説を書いてみたいかってのは、大昔から頭の中にあったし、そのアイデアについては、現在でも私が知る限りでは似たような設定みたいなのは確認できてない(まあ私が知らないだけなんだろけど)。
そんな感じで、まずその考えている小説の世界観じみたことを、それぞれショートストーリーとして書き上げてみればいいかな、なんて考えているわけ。
もっとも、そんなことやる暇があるなら、詩のひとつくらい書けよと言われそうだけど…。
それに、執筆しようとすると、あれも書きたいこれも書きたいとかいう感じで色々と詰め込みすぎてしまって挫折した、なんてのもあったから、必要以上の要素を排除する短編小説をいくつも書いて、それで腕を磨いていくのがいいと思うんだよね。
もっとも、実際に投稿したとして、どれだけ受け入れてもらえるかはわかんないけど。
それに、小説を投稿するのはいいとしよう。動画の投稿や、このブログの執筆も停滞しているのに、小説にまで手を出すのあんた?って言われかねないよなあ…。
ってことで…
まあ、こういう風に考えてみた、ということを、こうしてブログとしてまとめてみた、ただの、何の意味もない雑記として記事を書いたわけだけれど、んでも、今まで何度も挫折したことに再び挑戦してみるのも、別に悪い事じゃないとは思ってる。
だけど、それを実際に行うのは、まだ先だろうね。だって、やらなきゃいかんこと一杯抱えてるから。それらをまず片付けておいて、それからって感じだね。
ま、肩肘張らずに、焦らず急がず、できるときに少しずつやっていきましょ。
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