発達障害と一口にいっても、いろんなタイプがあるわけで、どのような障害を、その発達障害者が持っているかは、もちろん人それぞれ。
それをある程度まとめ、「広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害)」「多動性・多発性症候群」「学習障害」の3つに分類されており、それらの分類の症状や程度の大小があったり、また、それぞれの症状が一人に出ていたりします。
私の場合、この3つの分類のうち、「広汎性発達障害」と「多動性・多発性症候群」の2つを併発していると診断を受けています。この3つに分類されているその症状を併発している例は珍しいらしく、さらに、私はその中でも、かなり特殊な思考特性を持っているようですね。そうした指摘を、専門の様々な方から指摘を受けています。
先日指摘されたのが、私が、一般の人達よりも頭がいい、ということ。これは様々な知能テストの結果だけでなく、思考特性についても、他者よりも秀でた点がある、とのことでして。
一方、その頭の良さが、かえって誤解や偏見を生む要因になっている、とのことでした。
そう言われると、思い当たる点もいくつか。私自身は、自分が頭がいいと思った事はないですし、勉強もたいしてできない、と、思ってはいたんだけれど…
ところが。
なぜ、私が勉強ができないのか、最近になって、その原因がわかりました。
それも、勉強だけでなく、私自身に関する様々な行動や行為、思考に対して、特定のクセがあるんですね。
そしてそれが、今回のタイトルに繋がります。

納得さえできれば、行動できる
特にアスペルガー者は、こだわりが強い傾向があり、それは私も例外ではありません。
たとえば、筆記具についても、いわゆる高級筆記具を使用しているのですが、なぜそうした筆記具を多用しているかというと、これは、手の感覚が過敏であること、視覚についても過敏があり、何らかのストレスを感じると、書くことそのものがストレスになってしまうため、それを避ける為に、筆記具を選んでいった結果、現在の筆記具を使用することになっています。
この文章を入力しているキーボードについても、私は複数キーボードを所有しているのですが、そのキーボードを選ぶ基準も非常に細かいですね。
この根本的な原因は、発達障害の症状のひとつである「感覚過敏」が理由なのですが、その、感覚過敏によるストレスを、可能な限り軽減するために行っている、自己防衛策なのです。
そのため、そうした道具について、「なぜその道具を使うのか」「なぜその道具でなければならないのか」という理由付けが、しっかり出来ています
つまり。
明確な理由がなければ、私や、その特性を持つ発達障害者は、うまく動くことができない
わけです。
これは、ひところでいうならば、「こだわりが強い」ということになるのですが、このこだわりの強さが、私、あるいは私と同じ思考特性を持つ発達障害者の足かせになっています。
一般的な方々の場合、「よくわからないけれど、とりあえずやってみよう」とまあ、こんな感じで、アバウトに行動する事ができます。
ですが、私の場合だと、「なぜそれを行う必要があるのか」「その仕組みはどうなっているのか」など、事細かなことを知ろうとしてしまい、少しでも疑問になっている点があった場合、その行動を行う際にストレスとなってしまい、うまく動くことができなくなるわけです
これは、仕事の上でも、同じような事が発生します。
たとえば、仕事の場合、会社で大きなプロジェクトが立ち上がったとすると、そのプロジェクトの中の、特定の一部のみが仕事として与えられ、全体的にどのようになっているのか、それを知る必要なく、与えられた仕事のみこなしさえすればいい、となります。
ところが、私の場合になると、まずプロジェクト全体のことを捉え、その上で、私がプロジェクトの中でどの担当になっているのか、他のプロジェクトの進行度合いがどうだとかいうことを考えてしまうわけです。
言い方を変えると。どうした全体を見通せるような立ち位置で仕事を行う場合だと、うまく立ち回ることができる、なんてことが言えます(ログ・ホライズンのシロエが行っている、フルコントロールエンカウントを行えると考えるといいかな)。
これが、様々なテストを受けた結果、私が、リーダー向けあるいは単独で動く仕事に特化した能力を持っている、とされている、私の思考特性です。

こだわりが強い、というのは、要するに、その物事に対する情報を大量に取り扱うことができ、かつ、その情報を整理することができる、とい言い換えることができます。
もちろん、その仕事を行う為に必要な知識や経験があってのことではあります。
が、こうした、(対人関係の構築はともかくとして)現場を取り仕切るだけの才能を持つ人というのはそう多くないそうで、かつ、発達障害者のには、そうした能力に特化した人もいる、ということが言えるんじゃないかな、と思ったりします。

そして、上記のことを、言い方を変えましょう。
少しでも納得できないことがあれば、それがストレスとなり、うまく動くことができない。そして、それが失敗や挫折につながり、自信を失うことになっていきます。
なぜそれを行うのか、その行動を行う当事者が、しっかり納得できれば、他者には見られない行動力を発揮することができるわけですが、そうして、納得できるよう、色々と計画を立てたりするのに、かなり時間がかかります。
今私が行っていることは、この、計画の部分で、様々な物事について、明確な理由付け、つまり価値観を設定する作業を続けています。このことは、いずれの機会にお話しすることにします。

とりあえず、できていればそれでいいじゃないか、とは考えません。なぜそれでなければならないのか、そうでなければならない、と考えるのが、これは広汎性発達障害(自閉症、アスペルガー症候群など)の、思考特性の一つです。この特性を元に、私は、私自身の思考特性を理解してもらうためのキーワードとして「融通の利かない生体コンピュータ」と表現しています。コンピュータプログラムと同じく、少しでも異物(バグ)があれば、それが原因でうまく動くことができなくなるわけです。

ちなみに、この、「私の、こだわりが強いという特性は、どういうことか」という考えについては、つい昨日気がついたことでして、このこだわりの強さを活かした行動緑の増加を現在計画していたりもします。
そのためには、時間も予算も必要だったり。年内で準備終わるかなあ。

そういや、以前、とある福祉担当者に、「やるべきことと、それに伴う資料さえ用意すれば、自分一人で全部やってしまう」と、私についてそう評価しています。そして、「人に聞こうとしない」とも。
「聞こうとしない」のは、これは自閉症の特性のようですね。声をかけるタイミングが解らない、でも、その福祉担当から、「質問してもいいんだよ」と教えてくれたものだから、「ああ、聞いていいんだ」ということが、そのときになって解り、後にある程度の事は質問するようになったりしました。

こうして私の過去と、発達障害に関する様々な資料を照らし合わせて見ると、自分自身の特性だけでなく、その特性を理解した上で、では何をどうすればいいのか考える事ができるようになります。
こうして考える事ができること、それも、様々な資料を組み合わせて自分なりに組み立てていくように仕向けるよう工夫をすることができ、かつ実績を出している発達障害者は、珍しいみたいです。なので、私の経験が、他の、発達障害で悩む方々にも活かすことができるよう、情報をどんどん出していこうと考えていますよ。

何をどのように考えているのか、それを言語化するのは難しいですね。でも私にはそれができるようでして、なるべくうまく伝えられるよう工夫してみます。