大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。



麺類は、飲み物です。

…あ、いや。だって、麺類って、基本的に、のどごしを楽しむものでしょ?

今回使用したうどんは、乾麺のうどん。1束だけ残っていましたので、ゆでて、めんつゆを薄めただしで食べたという、ただそれだけの動画だったりします。

それにしても、自分で言うのもなんですけれど、麺類に関しては、食べるのが早いですねえ…。
 



ダイソーで、パステルが販売されておりましたので、興味本位で購入。
購入してからかなり時間が経過していたのですが、せっかくなので使ってみようということで、ぱっと絵を描いてみたら、こうなりました。
ライオンの題材については、実際にはクレヨンで描いたことがあるのですが(ライオンの絵に、詩を書いて、イベントで展示しました。そのときに書いたものは、どこにいったのやら)、同じモチーフで書いてみたとまあ、こういうわけです。
ニコ生で生放送中に書いているものだから、パステルのことを知っている視聴者からアドバイスをもらったりして、今後も気が向いたときにちらっと書いてみようかな、とまあ、そんなことを考えていたりします。
イラストの書き方くらい勉強してみてもいいのかしら…?


 



と、いうわけで、久々にブログで投稿した動画の紹介と補足説明を…
とうもろこしは、早朝に収穫し、できるだけ早く、なるべくその日のうちに調理して食べてしまうのが一番おいしい、のですが、撮影当日は、収穫して2日目のものだったりします。
それでも、おいしくいただくことができました。
とうもろこしは、一般的に、塩ゆでして食べますけれど、 今回は、電子レンジを使用しています。

1)とうもろこしのへたを、実のある部分ぎりぎりのところで切り落とす。
2)皮やひげがついている状態で、そのまま電子レンジへ。
3)500wの場合で、だいたい5~6分加熱
4)取り出して、皮を剥いて食べる

先に加熱している為、皮やひげが取りやすくなっておりますので、そのままかぶりついてしまいましょう♪
もちろん、加熱したあとで、塩やバターを使ったり、また、焼きトウモロコシにしたりして楽しむこともできますよ。

塩ゆでしないため、 栄養素が逃げる事もあまりないと考えられますし、何より、お手軽です♪
ぜひお試しあれ。
 

さきに、ちと、のろけをさせていただく。
昨年6月3日に初めで出会い、現在ではよき伴侶として、事実上の通い妻となっているが、そばにいてくれる婚約者。普段は「嫁さん」と表現してはいるが、まだ入籍には至っていない。このあたりは、お互いの事情があり、もちろん将来は入籍し、一緒に暮らしていくことを目的としてはいるが、実際に入籍できるようになるまでは、まだ時間がかかりそうだ。
その婚約者が、私の抱える「発達障害」に対し理解をし、支えていてくれるのは、もともと彼女が、発達障害を持つ友人を持っており、そのため、発達障害に関する知識を有していたこともある。
つきあい始めた頃は、私の言動や思考で、婚約者を悩ませていた。何度か泣かれたこともある。その際の、私の取った行動に、彼女は疑問を持ったそうだ。曰く、他の男性とは違った行動を見せた、と。
具体的に、どのような行動を取ったのかは、記事上では伏せさせていただくが、そうして泣かれたある日、私が彼女に伝えたことがある。
私は、人の感情を理解することができない。
そうした物事が積み重なり、彼女は、私が発達障害なのではないかと疑い、私にテストを行い、そして確信したそうだ。

私の価値観のひとつに「沈着冷静であり、感情的にならない」という項目がある。この項目を記載し、常に守ろうとしている理由として、喜怒哀楽といった人の感情により心が支配されてしまった場合、物事を公平かつ公正に監察することができなくなり、そうした元で行った判断は、かならず間違った結果を生み出す、という、これは確かダイアー博士かウォーリー博士か忘れたが、著作の中でそのような一節があったと記憶している。
そのため、どのような状況下においても、何をどうすれば物事を潤滑に動かすことができるのかを、冷静に、淡々と判断するよう心がけている。
だが、これは、どうも、発達障害ならではの思考らしい。
一般的に、人間は、感情を持って物事を決める傾向がある。嫁さんを見てると、そういう点がよくあるわけだが、そこには、複雑な心理が働いているのは理解してはいる。
ところが、私の場合、物事はきわめて単純化した上で考え、一連の物事をうまく進められるよう考える。 そこに人間の感情は一切ない。ただ淡々と物事を進めることだけを考えている。
立場上、いろいろな方から相談を受けることがあるのだが、その相談内容の大半は、感情に支配されてしまい、道筋を見失ってしまっているケースが多い。そうした相談を受けた際、何故そのような判断をしてしまったのか、何故悩んでしまうのかと、たまに思う事もあるのだが、それは人間としての感情を持ち合わせているからに他ならないのだろう。あまり深く考えず、同じ過ちを繰り返してしまうのも、やはり感情があるからではないだろうか。

ところで。
その、嫁さんなのだが、私の事を「優しい」と言ってくれる。
私としては、私自身が優しい人間なのかどうかは解らない。
彼女が付き合ってきた男性が彼女にどのような対応や態度をとっていたのか、彼女から直接何度も話を聞いたことがある。が、私は、彼らが、なぜ彼女にそのような事を求めようとしていたのか、理解に苦しむ。自分の理想の女性になることを強要しているとしか思えないのだ。
私は、嫁さんに対しては、自宅から私の家に、遠方であるにも関わらず通ってくれていることや、もちろん交通費だけでなく肉体的、精神的な負担も大きいこともあり、ともかく私と一緒に過ごしている時は、安心していてもらうことを一番に考えている。
その結果なのかどうかは解らないが、ほとんどの時間を一緒に過ごしており、なおかつ、事実上大半の時間、くっついている。寝るときも、腕枕をしたりして密着していたり、また、普段からも、身体の一部が何らかの形で触れあっていたりもする。
実はこの記事を執筆しているあいだも、何度も寝ている布団から呼び出しを受け、その都度抱きしめたり腕枕をしたり。
それが嫌ではなく、むしろ私もそうして抱き合ったりするのが好きなのだから、まあいいか。

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タイトル通り、まあ、単純に、それだけなんですけれど…ちと、状況を整理するためにも、この記事を書いていく。
ちなみに、ブログのタイトルも少しばかり変更している。

さて。
今までお世話になっていた精神科が、医師の高齢や体調不良に伴い、閉院するとの話があったのが今年2月。
その精神科医には、私が記憶を失った23歳の時に初めて受診し、原因不明の健忘症であるとの診断を受けた。
その際に、他に何か心配事があるならまた来るように、との事だったのだが、当時はお金もほとんどなく、そもそもその精神科に通院することそのものも考えが及ばなかった為、その精神科への通院は、その一度きりとなる、はずだった。なお、記憶については、一般的な知識は残ったものの、自分自身の名前についても、また、思い出に当たる部分も当時はほぼ消失してしまってはいるが、現在では、当たり障りのない記憶について、ほんのわずかではあるが思い出すようになっている。
31歳のときに精神に異常が発覚、再びその精神科に赴くことになった。診断結果は、うつ病及びパニック障害となり、当時働いていた仕事もできなくなり、結果的に、生活保護を受給するようになった。
おの際、私が考えていたのは、35歳までにうつ病が治れば、今後の生活を立て直すことができるはず、という期待ではあったのだが、まずその35歳に、あっという間になってしまった。
その35歳当時でも、精神状態の改善には至らず、自宅での療養をずっと続けていたわけだが、その誕生日には、40歳までに改善すれば、まだ何とかなると考えていた。
その40歳という根拠についてなのだが、特にハローワークでの求人票を調べる際、2つの年齢の壁があるのに気がつく。
まず、30歳の壁。これは、その仕事に関して、何の知識もない場合でも採用が期待できると考えられるもの。つまり、初心者であったとしても、その業務に関する技術を習得できるから、という理由がある。その壁については、35歳くらいでも、ある程度の求人があるようで、そのため、35歳までに緩解すれば…と考えていた。
そして、その35歳の誕生日の際に、40歳までに…と考えたわけだが、これも、40歳までであれば、年齢を理由とした採用の可否が別れるようで、40歳以降の求人が、ぐっと減るようなのだ。
なので、35歳から、同じく自宅での療養を行いながら、精神病を緩和するための様々なアプローチを取りつつ、なおかつ、病状の悪化に伴い、行動できなくなったとしても、ある程度の収入を望める形を模索しようとしていた。これは最近になって、ささやかではあるが実を結ぶようになってきている。
そうして、迎えた40歳の誕生日。すべてをあきらめた。
その年齢までに、うつ病などの病状が緩和し、社会復帰できれば、まだ人生はやり直せる。社会的自立も、また、家庭を持つこともまだ可能なのではないか。そう考えていたものが、すべて崩れ去ってしまった。おそらく、これから病状が改善しても、そうした悩みを持っていない人達からすると、かなりみじめな人生になるのだろう。それでも、ともかく精一杯生きることだけを考えよう。また、私の持つ知識や経験が何かの役に立つのなら、それがお金に替わることがなくても提供することができれば、すくなくともその受けた相手は幸せになれるのではないか。ならばそのような人達の為に、ささやかでも何らかの力添えができればいいのではないだろうか。そうして、他の人が幸せになったならば、私も幸せな気分になれるのではないだろうか…。
つまり、自分自身が幸せになることをあきらめた。
それが、昨年の6月3日。私の元に、突然、ひとりの女性が訪れた。その女性は、こんな私を好きになってくれ、私の為に尽くしてくれようとし、そして私を愛してくれている。また、私もその女性を愛している。その女性も、過去、様々な経験をしており、そんな話を私にも教えてくれたのだが、それでも私は彼女に嫌悪感を一切抱くことなく、むしろ、だからこそ今の彼女があるのだと思い、また、彼女に対して、一体自分に何ができるのだろうと考えるようにもなった。
彼女が、私に、幸せとはこういうことなんだと教えてくれている。
出会った当初は、私自身、戸惑ってばかりではあったのだが、私自身彼女に惹かれてしまい、出会って1ヶ月後には婚約、そして現在に至る、のだが、もちろんトラブルも多々あり、彼女の心労は、私が、現在でも理解できないはず。それでも、今は、一緒にいるときは、少なくとも安心して一緒にいてもらえるよう心がけようとしている。
その彼女が、私に、ひとつの疑いを持った。私が、一般的な人達と、考え方が違う。彼女は、私に、ひとつのテストを行った。私は、そのテストがどのようなものか知らされていない状態ではあったが、彼女を信じているため、疑うことなく、その彼女のテストを素直に受けた。そして、彼女は、そのテスト結果から、ひとつの確信を得ることになった。
そのテストを受けた時が、ちょうど、前述の、精神科の閉院に伴い、転院しようとしていた時期と繋がる。
旧の精神科から、現在の精神科へ転院することになったわけだが、その最初の面談で、ひとつのテストを受けるようになった。その次には、私が幼い頃の記憶が無いことから、母親を伴い、再び面談。そして3度目の通院で、より詳細なテストを受けることになり(このテストに午前中すべての時間を費やすほど)、そして、ひとつの診断が下った。
それが、発達障害という診断。
41歳になって、はじめて、私が発達障害であるとの診断が下った。
そして、その診断結果が出たときに、私が苦労してきた様々な事例に対し、すべて説明がつくことがわかった。
現在抱えているうつ病やパニック障害についても、そもそもはその発達障害に原因があり、私自身が発達障害であることを知らなかったこと、また、周囲も同じく私が発達しょうがであることに気がつかなかった為、私への違和感や不信感が募り、私に強く当たるようになっている、とのこと。それは私の家族からも同様のことが言える。現在でも、私の家族とは、近くに住んでいるとはいえ、密であるとは言いがたく、むしろ、かなり距離を取っている。彼女が橋渡し役になってくれているおかげで、少しは距離は近づいたのかも知れないのだが、私自身、いまだに実の家族とはあまり関わりたくないとも思っている。
もし、自分自身が発達障害であると、幼い頃に解っていさえすれば、今までの人生、そう苦しまずに済んでいたのかもしれない。だが、家族はもちろんのこと、以前お世話になっていた精神科医も、誰も私が発達障害であることに気がつかなかった。それを彼女がまず気づき、そして現在お世話になっている精神科医が、様々なテスト結果を元にそう診断を下している。
そもそも、発達障害というものが一体どのようなものなのか、私自身、まだ掌握してはいない。むしろ、最近になって、このように診断を受けたことに、現在でも戸惑っているのが正直な感想だ。
正直言って、運が悪かったと思う。41年ものあいだ、理由も分からずずっと苦しんでいたのだから。
そして、運が良かったとも思う。40歳で自分の人生をあきらめたにも関わらず、愛することができる女性と出会うことができ、そして幸せとはこういう気分なのかというのが経験でき、そして。発達障害という、そもそもの原因が分かったのだから。

今後についてだが、精神科医や国の機関などと連携し、私が今後どのように生きていくのかを考えていくことになる。それまで一人ですべて行わなければならなかったことが、行政機関を含め、数多くの人達の支援を受けることが出来るようになる。そのため、私自身の負担が大幅に軽減されることになる。
また、自分が発達障害ということが分かり、そもそも発達障害とは何か、そして発達障害である自分がどのように生きていけばいいのかを明確に考えることができるようになった。
もちろん、彼女の支えが、私にとって、とてつもなく大きなものとなっていることは言うまでもない。

なお、幼い頃に発達障害が解った場合、専門のトレーニングを受けることができるそうなのだが、しかし成人して以降の発達障害については、トレーニングを含め、はっきりとした対策が皆無のようだ。そのため、周囲の人達が、その人の為の接し方を学ぶ必要があるらしい。
しかしながら、実社会に再び出る為には、自分自身が、どのように人と接していくべきかを学んでいかなければならないはず、なのだが、そうした情報が、ことインターネット上では一切流れておらず、またお世話になっている医師の元にも、その参考となる資料は少ないような話をされている。
そこで、このブログでは、発達障害に関する私の実体験も同時に綴っていこうと考えている。ブログタイトルの変更も、それが理由だ。
もっとも、このところ、ブログの更新も滞っているわけだが…
それに、こうして記事を執筆することで、自分自身の考えを明確にすることも可能だし、同じ発達障害で苦しむ人達への情報提供にもなるだろうし、また自分の為にもなるだろう。

ちなみに、私自身の実体験が何らかの情報として役立つのならば、その情報発信はインターネットだけにとどめるつもりはないので、気軽にお問い合わせいただければと考えている。
 

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