大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。

どうも(*・ω・)ノ
前回は、発達障害者の「障害者」としての考え方(1)身体障害の共通項というタイトルで、まず、身体障害者に共通する事項について書いてみたわけだけれど、これは、こののちに続く事柄を説明するために、まずその例を挙げることで理解しやすくしたかったからなんだわ。
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もっとも、私の説明って、いろいろと回りくどいとか言われることもあるけど、んでも、これは、特定のだれかではなく、不特定多数に対して理解して欲しいからだったりします。
もっとも、発達障害者としての傾向もあるみたいだけどね。発達障害の症状の一つとして、「多弁」ってのもあるから。
んで、前回は、身体障害者にのみ焦点をあてたわけだけれど、今回は、身体障害者以外について、その共通項を掘り下げてみます。

身体障害者以外の障害者とは?
さて、障害者といっても、障害にはさまざまなものがある。
ここで、日本の法律のひとつである、障害者基本法から、障害者とはどのような者を指すのか、その文章を抜粋してみると。
 (定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
 一 障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
 二 社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。
とまあ、このようになってる。この法律が施行されたのは昭和45年、以降現在でも改定されているけれど、文面に、たとえば「っ」ではなく「つ」が使われていたりするところは、おそらく今後改訂されるんじゃないかな、とまあ、それはともかく。
この法律では、日本の法律の上での障害者とはどういうものなのかを指し示しているわけだけれど。
その、法律上で、障害者についてあ、大きく4つに分けられていることがわかる。
その4つというのは、
  • 身体障害
  • 知的障害
  • 精神障害(発達障害を含む。)
  • その他の心身の機能の障害
と、このようになってる。
最後の、心身の機能の障害というものについては、これは、上記3つに当てはまらないものであっても、その症状によっては疾病ではなく障害として認定する、という意味だととらえていいと思う。その上で、今回のこの話題では、「その他の心身の機能の障害」については取り上げないのでご容赦を。

精神障害と発達障害は同じもの?
で、ここで注意しなければならないのは、法律では、「精神障害(発達障害を含む。)」という表記がなされていることについて
このように表記されていることから、日本は、法律上、精神障害と発達障害は同一のものだととらえているのかと思われてしまうかもだけれど、実際にはそうじゃない。
発達障害者のための法律として、発達障害者支援法という、専用の法律がちゃんとあるんだ。
このあたりの話は、このブログでも一応書いたことがある。
ではなぜ、わざわざ「精神障害(発達障害を含む。)」なんて感じで法律上で書かれているかというと、その最大の要因ってのは、これは私の勝手な想像なんだけれど、精神障害者に対して適用できる法律は、そのまま発達障害者にも適用できるため、できるだけ早く発達障害者への支援を行うために、大幅に法律を改訂しなくていいようにするため、なんじゃないかなと思ってる。
なので、法律の上で、精神障害に発達障害を含むとして、発達障害者が円滑に支援を受けられるようにしている、これは法改訂の手続き上での問題で、いずれかの時代に、全体的な法改訂がなされたときに、精神障害者と発達障害者を別個に記載することになるのかもしれない。
ただ、発達障害者は、二次障害として精神障害を併発する可能性が非常に高く、この私自身もそうだった。なので、さまざまな制度を円滑に受けられるようにするためにも、法律上の文言については、このまま運用されていくことになるのかもしれない。

知的障害とは何か
そして、私が伝えたいことにつなげるために、知的障害についても触れておかなければならない。
知的障害と発達障害には、ある一定の関連もある、という表現をすると誤解があるだろうね。
実際に知的障害と発達障害を併発している方もいらっしゃるんだけれど、実はこの知的障害という定義については、なんかいろいろとややこしいみたい。
こちらは、Wikipediaの「知的障害」の項目から抜粋してみると、
知的障害(ちてきしょうがい、英語: Intellectual Disability)とは、
 1.知的機能に制約があること
 2.適応行動に制約を伴う状態であること
 3.発達期に生じる障害であること
の3点で定義されるが、一般的には金銭管理・読み書き・計算など、日常生活や学校生活の上で頭脳を使う知的行動に支障があることを指す。
と、このように記されている。
この文章を見るだけで、ぴんときた人もいるかもしれないけれど、要するに知的障害と発達障害の定義ってのは、けっこう似ているところがあるんだわ
とはいえ、私自身は、知的障害については勉強を進めていないこともあり、詳しく述べるのは避けるね。

精神障害、発達障害、知的障害の共通項
さて、と。
ここからは、精神障害と発達障害を分けて表記していくとして。そもそも発達障害の話をしているわけだし。
精神障害、発達障害、知的障害、この3つには、大きな共通点があるってのは、たぶんぴんとくるんじゃないかな。
つまり。
精神障害、発達障害、知的障害、この3つの障害は、いずれも、脳の機能に関する障害である、ということなんだわ
精神障害に関して言えば、こちらは先天性と後天性の、大きく二つに分けることもでき、かつ、回復する、あるいは「寛解」することはある。

寛解って?
寛解ってのは、聞きなれない言葉なので、ここで少し触れると。
寛解ってのは、完璧には治っていないけれど、完全に回復しているのに近い状態にまで回復している、って意味になる。
100%回復したことを全快、と表現するのに対して、たとえ1%でもまだ回復していない可能性がある場合に対して使われる言葉だ。
要するに、再発する可能性がある場合、この言葉が使われている、と思ってくれていいよ。

身体障害と、精神障害、発達障害、知的障害の共通項
そして、ここからが一番重要なこと。
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精神障害、発達障害、知的障害は、いずれも、脳の機能の障害である、ということは前述の通り。
そして、脳というのは、人間の体を構成する臓器のひとつでもあるんだ。
と、いうことは、だ。
身体障害と、精神障害、発達障害、知的障害は、それぞれ、人間が本来持ちえている機能が欠損しているという意味では共通している、と言える
そして。
前回の記事で、身体障害者の共通項として、次のことを挙げた。
健常者と同じことができない
特定の動作に関して、健常者では当たり前でも身体障害者には難しいものが多い
特定の動作に対して、道具あるいは人の手を借りる必要がある(あるいは、あきらめる)
そのため、実生活あるいは社会生活において様々な制限を受ける。
その制限のため、時間と手間が健常者に比べ余計にかかる。
その上で、今回の記事で一番言いたいことは、この、身体障害者の共通項ってのは、精神障害者、発達障害者、知的障害者にも同じことがいえる、ってことなんだ。
そもそも、この3つの障害は、状態はそれぞれ違えど、脳の機能不全によるもの。脳は臓器の一部であることから、この3つの障害は、脳の身体障害と言い換えることができる、といえる。

これからが本題、なんだけれど
普段、私たちは、常に何かを考えている。だけれど、その考えるという機能をつかさどる「脳」という臓器のことについては、さほど意識せず考えることができているよね。
実際にはそれだけじゃなく、なぜ人間は歩けるのか、手を動かすことができるのかとか、そんなことを常に考えながら動いている人なんて、ひとりもいないはずだ。
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車に例えて言い換えるならば。エンジンをかけてアクセルを踏めば車は動く。でも、アクセルを踏むと燃料がエンジンに送り込まれて空気と混合してプラグで点火されて云々…なんて考えながら車を運転している人なんて、一人もいないはずだ。
要するに、アクセルを踏めば車が動く、車が動くのは当たり前なんだけれど、それと同じように、自分たちが考えたり動いたりすることは、その人それぞれにとっては、もちろん当たり前のことではあるんだ。
そして、当たり前だからこそ、その当たり前なことに対して考えようとはしていない
だけれど、ひとくちに車といってもいろいろある。自家用車もあれば、特定の業務を行うための専用の車もあるし、それを運転あるいは操作する感覚も違っている。中には、初期不良あるいは故障している状態であっても、それでも動かしているものもあるだろう。
同じように、人間の体についても、それぞれ個体差はあれど、動くということそのものに変わりはない。んでもそれぞれ個体差があるわけだが…この、個体差という部分を取り上げて、発達障害者の中には、「障害」と言ってほしくない、という考え方を持っている人がいる、ってことになる、わけだけれど。

と、まあ、今回の記事は、とりあえずここまででおいておいて、次回は、この話題の締めくくりとして、私が伝えたかったことを書くつもりです。
その、伝えたいことってのは、場合によっては、誰かを苦しめかねない表現にもなると思う。それを理解しているうえで、あえて書いてみたかったもんだから。
と、いうことで、今回はここまで。



スマホの充電用に使用してます。まっすぐじゃなくL型になっていることで、断線しにくくなってるんじゃないかなと思って。
こういう小さな工夫みたいなものってのも、ものを大切にしにくい私のような者には有効だったりします、はい。

どうも(*・ω・)ノ
発達障害と診断されて以降、発達障害を中核とした様々な医学的あるいは精神医学的な学習を行っている私ではありますが、その学習範囲ってのは、とんでもなく広くなっていたりします。
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特に精神医学系統からのアプローチを、自分が活用できる範囲で手広く行おうとしているんだけれど、これがいろいろとやっかいでして。
と、いうのも、自分自身の(脳の)特性を知ったうえで、どのようにすればうまくいくのか、ってのを検討しているんだけれど、その方法というのも三者三様。
それも、私の場合、自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)とADHDの2つの特性を併発しているもんだから、この両方の学習を進める必要があるんだわ。
しかもこのふたつの障害は、その特性が相反するものが含まれていて、時には自閉症の傾向が、時にはADHDの特性が強く出る、という感じになってる。
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何がどのように相反するか、ってのは、またいずれの話にするとして。
自分自身の特性について、これからも勉強を進めていくつもりだけれど、その勉強を進めていると、自分で自分が面倒くさいと思ったりもする。まあ、しょうがないんだけどね。

発達障害は「障害」じゃない?

さてさて。
この、発達障害についてだけれど、この、発達障害の、「障害」という言葉について、イメージが悪いので使うべきではない、また別の言葉を使うべきなんじゃないか、って話がちらほら聞こえてきているんだ
だって、その、発達障害と診断された当の本人からすると、他人から見て障害があると言われても、自分にとっては、その障害があることが当たり前だし、そもそも脳の異常による障害であることから、一目でわかるような特徴みたいなのはほとんどない。
そのほかいろんな理由から、発達障害を、障害ではなく個性としてみてほしい、という感じで考えているみたい。
私も、発達障害と診断されるまで、私が発達障害者である、なんてわからなかったし、それに、私ではなく周囲の人たちのほうがおかしいとも考えていたからね(これは、私が、論理的思考に特化しているからで、かつ、冷静さを欠いて感情的になった上で物事を判断すると、必ず間違った結果になると若いころ勉強したから、ってのもある)。
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もっとも、発達障害についての理解を深めるにつれ、私と健常者とでは、ここまで差があるのかと、今でも愕然としてたり、悩んでたりはするんだけれど。誰が好き好んで発達障害者になりたいと思うか、って感じで、今でも自分自身に対していろいろと憤りを覚えてたりもするよ。
その上で、私なりの考えについて、あえてブログで書いてみよう、とまあ、こういうわけ。
もちろん、これは私自身の考え方だし、その考え方を押し付けるつもりはないんだけれど、それを踏まえ、他の発達障害者に対して、かなりきつい言い方をさせてもらおうとも思ってる
ただ、その意見を伝えるために、いろいろと話をしていかなければならないので、シリーズ化して話をしていくことにします。

そもそも、「障害者」って何?
さて。
発達障害ってのは、「障害」として区分けされていることはご存知のとおりだけれど、そもそも「障害」って何なのかについて、考えたことがある人って、どれだけいるのだろうかと思う。
ひとくちに「障害」、この場合は「障害者」と表記するほうがいいと思うけれど、ともあれちとこのあたりをまず整理してみたい。
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障害者の定義については、Wikipediaの、「障害者」の記事に、次のように書かれている。
障害者(しょうがいしゃ、英: disability, handicapped)は、何らかの原因によって日常生活または社会生活に影響の出るような制限を受けている人物のこと。 児童福祉法の規定の関係上、18歳未満の場合は障害児という場合がある。
この記事からわかるように、健常者と比べて、「何らかの原因によって日常生活または社会生活に影響の出るような制限を受けている」ことが、障害者の定義となっているね。
この、「何らかの原因」って部分に対しては、基本的に疾病や疾患はあまり含まれていないわけだけれど(重度疾患についても障害として認定されているものもいろいろとあるけれど、そのあたりの細かいことは今回の話には蛇足となるので割愛)、ともあれ、健常者と比較して、生活にいろいろと不便があるのは、これは「障害者」に共通していることだと言える。
また、Wikipediaの、「障害者」の記事には、WHOの定義の日本語訳が書かれている。こちらのほうが、ちと言葉は難しいけど、具体的で理解しやすいかも。
障害とは、身体の損傷、活動の制約、参加の制限が含まれる包括的な用語である。損傷は身体における機能もしくは構造に対するものを指し、活動の制約は個人が仕事や行動を行う際に直面する困難を指し、参加の制限は個人が生活する中で体験する問題である。したがって、障害は複雑な現象であり、ある個人の肉体が持つ特徴と、その人が生きる社会の特徴とがもたらす相互作用の反映である。
さて、ここで私が一番に伝えたいのが、上記用語における「身体の欠損」という部分についてなんだわ。

身体障害者は、ある意味見た目で判りやすい

まず、ここで、身体障害者に対しての上記説明を当てはめてみる。とはいえ、身体障害にも様々あって、目で見えるような状態の身体障害と、内臓疾患などの、見た目ではわからない身体障害の二通りある。
今回は、見た目でわかりやすい身体障害者を例に挙げさせてもらう。
なお、誤解のないように伝えておくけれど、身体障害者を例に出すのは、身体障害者を侮辱する等といった、社会的見地からする悪意は一切なく、あくまでも説明しやすい対象として選んでいるだけであることを理解していただきたく思う
さて。
身体の欠損として、見た目でわかりやすい例としてあげると、「手が欠損している」「足が不自由」というのは典型的な例だと思う。
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特に、車椅子を使用されている方に対しては、見た目で、「足が不自由なんだな」とすぐ判るはずだ。
この、足が不自由なことに対しては、どのように「活動の制約」があるのかはわかりやすい。要するに、「両足で歩くことが困難」なんだから。
ちなみに、足が不自由ということと、歩行が不可能というのは同じ意味じゃないよ。たとえば、洋式トイレに移動するくらいはなんとかなる、という方でも、車椅子の使用が必須であるのは、容易に想像できると思う。
ただ、残念なことに、上記のように、少しだけでも歩くことができれば、その場面だけを指差して、それなら車椅子なんていらないじゃないか、と言う人も、けっこういるんだわ。
この、上記のような、悪意の有無にかかわらず、その場面だけを見てそのように考える方は非常に多く、発達障害者も、そうした他者からの、「その場面しか見ていないだけで完璧にできていると考える」という行為には、非常にうんざりしているわけだけれど、それはさておき。
このように、身体障害者は、見た目で判断できる場合が多いだけでなく、その身体の欠損に対して、どのような不便があるかを、健常者は容易に想像ができるんだわ
もっとも、上記の表現は、正確ではない。健常者が容易に想像できる身体障害ってのは、たとえば、手足の欠損、視覚障害、聴覚障害の、この4つに限られているんじゃないかな。

足が不自由な方に共通していること

さてさて。
この、足が不自由な方に限定して、考えを掘り下げていくよ。
足が不自由な方といっても、どのように不自由なのかは人それぞれ
足がなんらかの理由で欠損している場合は、そもそも足がないのだから歩行できないというのは判るよね。
んでも、両足ともにそろっていても、脳や神経などの異状により、足が動かない場合と、わずかに力は入るものの、自分の身体を支えるだけの力が入らない場合、ほんのわずかであれば何とか歩ける場合などなど、いろいろある。
そんな方々が、移動をスムーズに行うためにはどうすればいいか。誰かにおぶってもらうこともあるだろうけれど、自力で移動する場合は、車椅子を利用することで、ある程度解決できる(杖を使用するなどの例もあるけれど、今回はその事例には触れません)
だけれど、あくまでも「ある程度」であって、二足歩行できる自分たちと同じように移動できるわけではないよね。
特に階段などの段差がある場合は、自力でその段差を乗り越えることはほぼ不可能となってしまう。なので、エレベーターなどが利用できない場合、誰かに手伝ってもらったり、あるいは手ではいずってでも、って感じにするしかない。
最近では、バリアフリーも、施設に関しては進んできてはいる。だけれど、一般道に関して言うと、たとえば交差点で横断歩道を渡ろうとした場合、横断歩道に一度降りて、歩道に移動するために、歩道にあるその段差を乗り越えなければならない。つまり、道路のバリアフリーに関しては、いまだに進んでいない、ということが言える。
それに、あくまでも座った状態での移動になるため、たとえばスーパーに行ったときは、高い位置にある商品を取ることが難しかったりもする。そのため、店員さんや、場合によっては近くのお客さんにとってもらうようお願いしなきゃいけない。
このように、普通に二足歩行ができる、(一応)私を含む健常者からすると、ごく当たり前のことが、足が不自由な方には難しい。そのため、車椅子などの道具を利用すること、そして誰かの手を借りることが必要となってくる。これは、健常者には、その必要がないことばかりだ
言い方をかえると、足の不自由な方は、足が不自由な分だけ、健常者よりも、実生活において、いろいろと不便がある、と言えるよね。

身体障害者に共通して言えること

さて、上記のように、足に障害を抱えている人を例としてあげたわけだけれど、これは身体障害者すべてに対して、同じことが言える。
手が不自由な方は、何かを持つことが難しい。
中には、先天性の障害により両手がない方もいるんだけれど。
とある方に関しては、映画化もされているので、ご存知の人もいらっしゃるのかも知れないんじゃないかな。
典子は、今
紀伊國屋書店



この、両手がない状態に関しても、どのように不便なのかは、容易に想像できるんじゃないかな。
同様に、目が不自由な場合、耳が不自由な場合に関しても、だ。
もっとも。
容易に想像できはするけれど、実際の大変さについては、その当事者でなければわからない
んでも、そうして想像できるから、その大変さを少しでも手伝えるよう、その時に応じて配慮あるいは手伝いをすることはできるよね。そのときだけ、であったとしても、ね。

余談・白い杖を使用されている方の場合
上記は、あくまでも、第三者からみても判りやすい障害だった。
同じ身体障害者でも、中には心臓や腎臓などの内臓器官に異常があるために身体障害者として認定されている方もいらっしゃり、そうした方は見た目では判らない。
また、これは私も最近知って驚いたことだけれど、白い杖をついている方は視覚に障害があるわけだが、だからといって完全に盲目というわけではないそうだ。はっきりとものが見えているわけでないけれど、ある程度の障害物の見分けはできるらしい。
要するに、白い杖は、それだけ目が不自由であるとアピールするツールでもあるわけだが、一方で、白い杖を使用しているイコール完全に盲目ではない、でも盲目じゃないから白い杖を使用してはいけない、なんてことはなく、むしろ使用すべきなんだそうだ。

ここまでのまとめ
ってなわけで。
いろいろと書いてきたけれど、身体障害者の特徴として、私は次の共通項があると考える。完全にまとめきっているわけじゃないけど。
  • 健常者と同じことができない
  • 特定の動作に関して、健常者では当たり前でも身体障害者には難しいものが多い
  • 特定の動作に対して、道具あるいは人の手を借りる必要がある(あるいは、あきらめる)
  • そのため、実生活あるいは社会生活において様々な制限を受ける。
  • その制限のため、時間と手間が健常者に比べ余計にかかる。
そして、こうして、健常者から見て不自由な生活を送ることは、その障害を負っている方にとっては、それは当たり前のことなんだ
この、「障害者にとっては当たり前」というのが、非常に大きなポイントだと私は思ってる
そして、このことが、私が、すべての発達障害者に対して伝えたいことにつながるんだけれど、その話は、次回ということで。





本題とは関係ないけど、このコミック、いろいろと面白かったもんで紹介しますね~




どうも(*・ω・)ノ
なぜか始めたかぎ針編み。はじめてから、ずいぶん時間が経ったけれど、私としては、そこまで上達していないな~と思っていたりする。
そもそも、身につけるものとして、帽子やマフラーなんてのは作ったけれど、セーターに挑戦しようかな、と思ってみても、特に袖や首を通すところの、そのサイズ調整をどうすればいいのか、わからないもんだから、まだセーターを編み始めることそのものに抵抗があるんだわ
そりゃあ、まだまだ初心者なんだし、失敗して当たり前、ともかくやってみりゃええやん、って思うんだけれど、どうも、ね。
その代わり、身につけるものよりも、小物や鞄を作ることのほうが多い。と、いうのも、上記のような、サイズをいろいろと考える必要があまりないもんだから。

毛糸で小物入れを作ってみた
ってなわけで。
先日、日曜市で、たまたま毛糸の投げ売りをしているお店があったもんだから、ある程度の毛糸を仕入れてみた。
ただ、仕入れた毛糸が、それぞれ色違いで、1玉あるいは2玉くらいしか量がなかったんだ。こうなると、小物くらいしか作れるものがない。
ってことで、
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こんな入れ物を作ってみたりする。
ちと写真写りのせいで、色合いがおかしいことになっているけれど、実際の色は、上の写真から、もっと色が暗くなっている感じだと思って欲しい。
また、糸は、同じ太さの違う色を2本取りしていて、1本の場合だと、かぎ針5号推薦なんだけれど、2本取りで、あえて5号針で編むようにしてある。こうすると、編み目が詰まって、しっかりするからね。
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また、側面は、このように、外側へ厚みのあるふちをつけるようにしてある。
このふちは、細編みをおなじ目に3度編み込むことで、内側にまず厚みがでるようになるんだけれど、それをひっくり返したら、こうなる。
このふちをつけることで、入れ物として、しっかり安定するようにしてある、とまあ、こういうわけ。
編み方としては、全部細編みで作っているようなもんだし、そんな難しいものじゃない。
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底は、こんな感じ。色合いは、この写真のほうが近いかも。
輪編み8目で開始し、増やし目を行う位置を段によって変えることで、こうして丸っこく仕上がるという方法があるから、常にこの方法で編むようにしてる。
最後の目ばかりで増やし目を行うと、こういう風にはならないんだわ。
また、個人的には、糸1本で編むよりも、2本取りのほうが、色合いがいろいろと出て、おもしろいと思うんだよね。
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小物入れの内側から、縁の様子を撮すと、こんな感じです。

実はもうひとつ作りました
もともと適当に作り始めた小物入れだけれど、この縁の作り方については、個人的には、かなり気に入ってる♪
表裏をひっくり返したことにより、見た目も良くなっているんじゃないかな、と自画自賛してたりします。
なので。
DSC_0320
色違いの、一回り違う大きさのものをもう一つ作ってみたりする(゚∀゚)
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こちらは内側の様子を撮影したものだけれど、同じように二本取りで編んでいる、わけだけれど、途中で同じ糸の色を二本取りで編んで、ラインを作っているのが解ると思う。
これが二本取りの、単色・同じ編み方で配色を変えることができる大きなメリットだと思ってたりします。
要するに、編み方を変えることで模様によるデザインを決めるのが一般的なんだけれど、それだと模様だけしか特徴がなくなってしまう。
それよりも、配色を変えてしまうことでデザイン性を向上させよう、と、まあ、こういわけ。
DSC_0323
こちらが側面の縁の様子。
同じように、縁の厚みをつけていることと、それと配色の違いについても、少しは解ってくれるんじゃないかな、と思ってたり。
DSC_0327
とまあ、こんな感じで、だいたい完成まで1時間ちょいくらいかかるけれど、小物入れ、完成でございます(`・ω・´)ゞ

編むための糸について
ってなわけで。
DSC_0333
こんな感じで小物入れが作れるわけだけれど。
こうした小物入れを作る場合、ふつうの毛糸でも、もちろん作ることができる。そもそも、今回作ったこの小物入れで使用している毛糸の素材、よくわからないんだわ(´・ω・`)
ただ、これまでも、同じく二本取りで小物や鞄を作ったことがあるんだけれど、その場合は、かぎ針5号推薦のモヘアあるいはそれに準じたふとさの、少し細目の糸を使うようにしてる。
その糸を2本取りして、また途中で糸を1本変更してストライプを入れたりすることで、かなり感じのいい小物を作ることができるってわけ。

2本取りの配色についての考え方
ちなみに。
2本取りで編む場合の、糸の色との組み合わせなんだけれど。
途中で糸を変更すると考える場合は、たとえば、
・緑+黄緑、ストライプは黄緑+クリーム色
・暗色同士の近い色、途中同じ糸の色一色
とかいう感じで組み合わせるとわかりやすいと思う。
ただ、場合によっては、せっかく2本取りで、二色で編んでいたのに、なぜか色が混ざってしまって1色にしか見えなくなってしまった、なんてこともあるんだわ。
実際にそうした事例のものがあるんで、それも近いうちにブログで紹介することにします。

ちなみに、こうした小物とか手芸品を、実際に販売してみようかと考え中。
ある程度作り貯めたものもあるし、デザイン性はともかく、丈夫さについては自信がある、ってのも、まあまあの数を作っているんだわ。
もっとも、実際に販売するかどうか、その時期については、まだ先かな。それに売れるかどうかもわからないからね。

どうも(*・ω・)ノ
映画公開当初、何かと話題になっていた、映画「デッドプール」。
U-NEXTでレンタル視聴が可能、とのことでしたので、ようやく今になって視聴しました。
※原作と映画は設定が色々と違っています。Wikipediaは見ないほうがいいかも?

U-NEXTは、動画サイトとしては、ちと割高なイメージがありますが、1つのアカウントで4つのIDを登録できること(私のアカウントで悦子も視聴しています)や、スマホオリジナルの音楽配信サービスを受けることができたりするので、そういう点では私は割安だと思ってたりします。
デッドプールは、この記事を書いている2017年10月12日現在、ポイントを使用して視聴するようになっていますが、毎月ボーナスポイントが入るようになっていて、そのポイントを使用して視聴しました。

 

どんな映画?
まず注意。この映画は、グロテスクな表現が多々あり、R-15指定されてもいます
依頼を受け、街のチンピラからごろつきから住民を守る生活をしていた元軍人。
ある日、とある女性と出会い、付き合い、婚約したのはいいが、体内に複数ガンが見つかり、手遅れ状態になっていたことが解る。
そんな彼に、ガンを直すと謎の人物に声をかけられ、その人物を頼り彼女に黙って家を去り、そして連れて行かれた場所で(だまされて)ミュータント手術を受けさせられ、不老不死になった一方、顔を含め全身が醜くなってしまう。
この顔では彼女に会うことができない、そう考えた彼は、唯一、顔の治療ができると言っていたその手術を行った者を探し出そうとするのだが…
(公式サイトに書かれているあらすじは以下の通り)
かつて特殊部隊の有能な傭兵だったウェイドは、ある日、末期ガンと宣告される。謎の男にガンを治せると聞かされ、彼は連れていかれた施設で治療に臨むが、そこでは余命わずかな者たちが人体実験を施され、戦闘マシンとして売られるという恐ろしいプロジェクトが進んでいた。ウェイドも実験によって改造され、どんな攻撃を受けても回復できる肉体を手にするが、醜い姿になり施設から脱走。元の自分に戻り、愛する女性と再会するため、自作のコスチュームで「デッドプール」となった彼の戦いが始まる!

見所は…?
この主人公は、アメコミヒーローの中でも、異色の存在だと思う。
そもそも、彼自身「ヒーロー」になることを望んでおらず、X-MENに加入しろとするその誘いも劇中断っている。
そして、彼の目的は、純粋に、彼女と再び元の生活を送ること。そのために醜くなってしまった顔を直したい、ただそれだけなんですね。
また、米国のヒーロー映画は、そのヒーローを続けることに対する葛藤などが描かれることも多いと思うんだけれど、そんなヒーロー映画の中でも、彼の行動原理が「自分のため」だけなんだわ。誰かの為ではなく、自分の為だけに戦う…。
そして、そのために、努力を惜しまない。知人の協力を得つつ、コスチュームも試行錯誤をしながら自作する(自分でミシン使って作ってる!)様子なんてのは、これまでのヒーローの中でも独特なんじゃなかろうか。
そしてアクションシーンについても、とてつもなくアクロバティックな様子を見せながらも、しかし戦い方は徒手空拳及び剣と銃! 不老不死でとてつもない回復力を持ちつつも、超人的な身体能力を活かした(パルクールの動きのように見える)戦闘シーンは圧巻!
その上で…色々とナンセンスなことをやってたりする。映画視聴者に向けてコメントをしたり、発言が下品(下ネタ満載)だったり…
中でも、主演男優自ら、主演男優に「演技が下手」とか言ってみたり、同じ主演映画のキャラクターがどうこうと言ってみたり、登場人物が少ないのは予算のせいだとか言ったりなどなど…と、セルフコメディーみたいなことも色々やってたりする。
それでも、純粋に、一人の女性と長く一緒に居たいという純粋なその思いだけで動く彼の一途な姿と、飽きさせない映画構成で、一気に映画を見ることができました。
登場人物も少なく、そして物語もシンプルであることから、私でも素直に楽しむことができています。

静葉ちゃんのお勧め度
★★★★★/5点満点中
この映画は、U-NEXTでは、字幕版と吹き替え版があり、先に字幕版を、後に吹き替え版を視聴しているんだけれど、もちろん先に字幕版の視聴をお勧め。
その上で、吹き替え版も、字幕版とはまた違った楽しさがあります。
前述のように、アクションシーンも圧巻!
そして、たったひとつの、シンプルな目的の為に動く彼の姿に見惚れてしまう…のは、いいんだけれど…あんたそのシーンでそのハンドサインするかとか、米国流のジョークがふんだんにちりばめられていたり突っ込みどころ満載でもあったり。
映画の展開そのものも、スピード感あふれていて、最後まで飽きることのない内容でした。

デッドプール [DVD]
ライアン・レイノルズ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2017-06-09





まいど(*・ω・)ノ
発達障害と診断されて以降、心理学方面の勉強を、いろいろと行っております。
発達障害者はストレスに弱いことから、ストレス対策を中軸に捉え、認知行動療法はWRAP(元気回復行動プラン)、コーピングなどなど、様々な方法を、自分で活用できる範囲で覚え、少しずつ活用しています。
こうした、精神医学系統の知識ってのは、発達障害関係なく、誰にでも活用できるものです。なので、そうした書籍の中から、私がおすすめできる書籍を紹介してみよう、と、こういうわけです。
ってことで、今回は、認知行動療法の書籍の中から、こちらを紹介♪

マンガでやさしくわかる認知行動療法
玉井 仁
日本能率協会マネジメントセンター
2016-04-24


この書籍は、認知行動療法に関する、初心者向けの内容となっています。
私がはじめて認知行動療法という言葉と出会ったときは、「それって認知症の人の為のものなのかな」、というふうに思ったりもしたんだけれど、実際ににはぜんぜん違います。
認知行動療法ってのは、要するに、自分の今の考えを整理するための方法、って感じになるかな。
それも、今の自分の考え方を、自分自身で整理するためのツールとして、非常に有効だと思います。
私は、認知行動療法というのは、自分自身を見つめ直すツール、って位置づけですね。

書籍の内容は?
さて、肝心の書籍の内容についてだけれど。
書籍は、マンガ半分、活字半分、といったところ。
マンガでは、用例を説明するための手段として使用されていて、マンガだけを読むと、何をどうしていいのか、さっぱりわからないです。
そして活字で書かれている部分は、認知行動療法のごく初歩的な事を書いてくれています。
具体的な内容については割愛するとして。
そして、この書籍には、認知行動療法を実際に実践するためのフォーマットも含まれています。
ですが、個人的には、このフォーマットだけでは、ちと活用するのは難しいんじゃないかな、なんて思ってもいます。

併用してほしい本
そこで。
認知行動療法を実際に実践する本として、次の本を併用することを強くおすすめします。
正直言うと、この本だけでも充分のような気がしますが。
この書籍は、自分自身が、その物事についてどのように感じたのか、その感じ方や考え方は正しいのか、それがつらい出来事であれば、どのように考えるといいのか、というのを整理するための「みつめなおし日記」というフォーマットが書かれています。
このみつめなおし日記に似たものは、今回紹介した書籍にも一応ありはするものの、しかし活用するには、ちとわかりにくいかなあ、という印象があるんですね。

この2つの書籍をおすすめする理由
さてさて。
この2つの書籍を、なぜ私がおすすめするか、ですが。
要するに、自分の気持ちを整理すると、気持ちが楽になるから、なんですね。
その効果については、私自身強く実感していることでして、かつ、現在でも自分の考えを整理するためにも、この2つの書籍は大いに活用しています。
ネガティブ思考(マイナス思考)に陥るのは、それは誰にでもあることです。でも、その考え方は、本当に正しいのだろうか、自分には見えていないものが他にもあるんじゃないだろうか、なんて感じで、自分自身と対話してみるんです。
bunbougu_pentate
そのためには、書籍だけでなく、筆記具も必要ですよ♪
コピー用紙でも、チラシの裏でも、普通のノートでも何でもいいので、そうしたものも用意してくださいね。

実は脳を鍛える本でもある?
ってことで、認知行動療法に関する2つの書籍を紹介。
さて、こうした、精神学や心理学関係の書籍と、私が愛読している、いわゆるビジネス書とは、実は共通点があるんです。
と、いうのも、この手の書籍は、脳の中でも、前頭葉と呼ばれる、「思考」を司る部位を鍛える為のものでもあるんですよ。
つまり、いわゆる脳トレでもあるんですね。
とはいっても、一般的に知られる脳トレとは、また違うものです。
自分はこう思ったんだけれど、本当のところどうなんだろうか、という、様々な不安(ネガティブ思考)を整理したり、また、これからの行動計画を立案したりといった、そうした考える力を身につけるためのものでもあるんですね。
とはいえ、こういう私の書き込みってのは、実際に書籍を手に取っていただくには、ちと蛇足だとも思います(´・ω・`)






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