大人の発達障害と向き合う静葉ちゃんの試験室

静葉ちゃんが、適当にいろんなことを書いてますよ。

ドウモ( ・∀・)っ旦
抗ADHD薬「コンサータ」って薬を常用している私。
この薬は、投薬して12時間以内に効果が切れてしまう、ちと特殊な性質を持っている薬でして、この薬との付き合い方は非常に大変なんです。
と、いうのも、その12時間以内という制限時間のうちは精力的に活動できるんだけれど、効果が切れたら、反動で疲れがどっと出てしまい、鬱状態になってしまう。
しかも、12時間以内という時間設定が非常に曖昧で、私の体感で、10時間くらい経過すると、倦怠感がどっと出てきます。
なので、夕方以降は、気力が沸かず、やる気がでなくなってしまう、とまあ、こういうわけ。
このコンサータの効果時間中、いかに精力的に、生産的な行動を行うかを考えなければならないし、その日の予定に応じてコンサータを服用する時間をあえてずらす必要も出てきてしまいます。

前頭葉をコントロールする
その、コンサータという薬もそうですが、それ以外にも向精神薬も処方されもいることや、また、発達障害を理解するために、脳というものそのものを中心に、精神状態や思考能力を理解するようになっています。
そもそも、脳も、人間の臓器のひとつで、この脳で、人間は物事を考えています。
その考えるという作業を行っているのが前頭葉という部分でして、この前頭葉をいかにうまく操作するかが、今の私のテーマ。
発達障害者に限らず、脳の中でも特にその中身を意識して変えることができるのが前頭葉だそうでして。
つまり、考え方を変えるイコール前頭葉の改変、というわけ。
なので、考え方を変えていくことで、発達障害その他の対策をとっていこう、というわけです。
かなり大げさな書き方ではありますが、私が今勉強あるいは独自研究しているのが、こうしたことなんですね。

「自然の法則」というキーワードの元で様々な要素を統合する
そして、その考え方を変えていくことで大切になっていくのが、様々な知識。
もっとも、専門的な知識を学ぶことは避け、あくまでも自分自身が活用できる範囲でのみの学習となるんですけれど、以前も、「自然の法則」というキーワードのもとで、それぞれ違う分野の物事を統合して考えることができるようになった、って記事を書いた、んだっけか確か。
そうして統合して考えられるようになっているのが、
  • 7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー)
  • T.Q~タイムクエスト(ハイラム・W・スミス)
  • A4メモ術(赤羽雄二)
  • 認知行動療法
  • WRAP(元気回復行動プラン)
  • ストレスコーピング
  • マインドフルネス
などなど、といったもの。
これらは、それぞれ「自己啓発」「時間管理」「ロジカル心キング(論理思考)」「脳医学」「精神学」など、という感じで、ふつうに考えると分野が違うものばかりではある。
だけれど、前頭葉にアプローチする、という点においては、これはら共通している、ってわけ。
そもそもは、T.Qという書籍を私の座右の書としていて、これは私が使用しているフランクリン・プランナーのマニュアルでもあるんだけれど、この書籍は、時間管理は「自然の法則」に従う必要がある、と説いている。しかも、人の考え方や捉え方も自然の法則に従うことを強く説いている。
そして7つの習慣も、そもそも7つの習慣は、今までも様々な形状の書籍が出版されているけれど。その中で「特別版」にて記載されている著者のインタビューにも、「自然の法則」という言葉が記載されていたことから、この「T.Q」と「7つの習慣」を、自然の法則というキーワードのもとに、同一のものとして考えるようにできた。
もっとも、7つの習慣は、他者とのかかわり合いについても色々と触れられているんだけれど、こちらはまだ自分自身では理解ができていない。私の発達障害の特性も影響があると思う。
そしてこれら自然の法則というキーワードを元に、そもそも人体も自然の法則に従って動いていること、脳も人間の臓器の一つであること、そして、その脳も、自然の法則に従って利用すればうまく活用することができる、という感じで、考え方を切り替えていったんだ。
そうすることで、少なくとも私はだけれど、そうした学習の効率が大幅に向上したってわけ。
もっとも、こうした考え方をしているよ、ってだけで、他の人が同じように考えられるかどうかはまた別の話ではあるんだけどね。

私の学習における欠点
ただ、私の場合、そもそも物事の覚え方がふつうとは違うと指摘されている。
書籍を読むことで理解を進めようとするのがそもそも苦手らしく、映像などで学習するほうがいい、ということなんだそうだ。
実際に書籍の内容についても、一連の流れ(ストーリー)として覚えていってるような感じで、細かな部分までフォローできていないってのは実感してる。
お世話になったサビ管によると、「何かを覚える行程が、階段で言うと段をとばして一気に登っていっているようで、抜けているところが非常に多い」のだそうだ。いやもう指摘されたまんまですね。
また、要点をまとめることも苦手で、書籍の内容をノートにまとめていったり、またアンダーラインを引いたりすることもできない。
なので、そうした書籍は、何度も反復して読むことで記憶に定着させる、という方法を取るようになってしまい、また、そうして覚えたことを実際に実践できるかどうかについても怪しいと思っていたりする。
さらに、落ち着いてゆっくりと時間をかけて理解をすることもかなり苦手だと思う。
んでもまあ、色々な、全く違う事柄について、その共通点を見いだして、その共通点を元に理解していく、って方法なども用いて、物事を置き換えて理解するようにはしているんだけどね。

今重点的にやっていること
さて。
今私が重点的に行っている勉強ってのは、その発達障害、自閉症スペクトラム障害とADHDの2つを持っていて、しかもその症状はかなり深刻らしいんだけれど、ともあれ、その症状をうまく活かせないかな、ってところ。
ADHDに間しては、投薬で症状をある程度緩和することはできてはいる。でも完璧ではないし、薬にはもちろん副作用もある。薬が効いている時と切れているときとでは、脳の状態が全く違うんだ。
さらに自閉症スペクトラム障害に間しても、実際に障害と認定されているように、人並みの生活ができるような状態ではないそうだ。
んでもまあ、何もできないわけじゃなし、ある一定の工夫と、考え方を変えていくことで、ある程度ましになるとは思っている。
幸いにも、発達障害に対応するための研究もかなり進んでいるし、そうした情報も取り入れつつ、では私ならどうすればうまくいくのか、なんてのを色々と勉強し工夫してる。
ただ、その対策というのが、非常に項目が細かい。とあるテスト結果から、工夫するべき要素が圧倒的に多いことが解っている。それこそ、他者の介助が必要な項目ばかりだ、とのこと。
この点は、「身体障害」「知的障害」「精神障害」「発達障害」その他、障害と名の付く症状の共通点を見いだして考えるようにできるようになった、んだけれど、このあたりの話は、いずれまた別の機会があればブログなどで話してみようと思ってたりします、はい。


赤羽雄二さんが考案した、この書籍で紹介されているA4メモ術は、心理学系統で言うところの「自動思考」を鍛える為のものではあるけれど、それ以外にも色々と面白い効果があるよ。

ドウモ( ・∀・)っ旦
ってなわけで、久しぶりに試食レビュー動画を撮影してみました。
今回試食したのは、徳島製粉 金ちゃんヌードル 辛味(からあじ)。
ただし、試食といっても、実際には、食べるのは2回目なんです。このあたりの事情も、動画内で説明しておりますです、はい。

徳島製粉 金ちゃんヌードル 辛味(からあじ)試食レビュー

https://youtu.be/47gudGRrIYQ

撮影秘話っぽいもの
ってことで、久しぶりに、こうして動画を作ったわけですが…前説を何度も取り直し、食べるときは、ぶっつけ本番というのは、いつも通り。
動画の編集も、相変わらず適当にやってのけてるだけで…もっと、効果音とかテロップとかを入れたほうがいいのだろうけれど…今のところそうした技術を持っているわけでもなく。んでも簡単なテロップだけは入れてはみたんですけどね。
で、このカップ麺だけれど、ともかく辛い!
そもそも、「辛味(からあじ)」っていう名前が付いているから、勝手ながら、「ただの辛口のカップ麺だろう」と思って購入した、のはいいんだけれど、でも油断してた。その名称から受けた印象とは全く違う、とんでもない辛さです!
今回は、レビューといっても、食べるのが2回目なので、あらかじめ強烈な辛さだというのを知っているため、心構えができてはいたのですが…それでも、むせてしまって、鼻に麺が入ってしまうというトラブルが(´・ω・`)
このブログを書いているのは、ちょうど動画を投稿し終わったあとなんだけれど、まだお腹の中が熱いのなんの!
こういう、激辛系統のものを食べるのが久しぶりなもんだから、おなかがびっくりしちゃってます。

徳島製粉に言いたいこと
とまあ、そんな感じで、動画の冒頭に、徳島製粉に文句を言いたいとかいう、物騒なことを言っておりますけれど…
これ、なんで「辛味」なんて名称にしたの?「激辛」でいいじゃね~か、って、本気で思っております。だって、「辛味」って名称、なんかインパクトに欠けると思うし、それに製品のその辛さも強烈だったもんだから、その名称が、なんか残念に思うんですよね。
ただ、徳島製粉が、ここまで辛いものを商品化するのって、今回が初めてなんじゃないかなあ。
辛さのきつさはともかくとして、でもおいしいカップ麺ではあるんですよほんと。










ドウモ( ・∀・)っ旦
ブログ記事は、メインPCだけでなく、タブレットPCでも執筆してたりします。
タブレットPCは、8インチのAndroid端末。こちらにATOKもインストールしているから、日本語入力環境はほぼ同じ。そのタブレットPCにキーボードとマウスを接続して使用している、とまあ、こういうわけ。
もっとも、メインPCと全く同じ環境でブログを執筆できるわけではなく、微妙に不便さはあるんだけれど、それでも、ただ単に文章を書くだけだったら、特に不便はなかったりします。
最近では、このタブレットPCをどのように使うかについて、色々と悩んでいたりもしますけれど、まあそれはさておき。

生放送中で受けた相談
さて、ニコ生で生放送をしていると、いろんな方から相談を受けることがある。その相談内容も様々なんだけれど、そんな中、とある会社のお偉いさんから、とある相談を受けたんだ。
採用した従業員は、診断を受けたわけではないんだけれど、発達障害の可能性があり、うまく業務をこなすことができない。どのようにすればいいのだろうか。
この相談を受けたときは、実のところ、現在のように発達障害と、それに関連するであろう様々な情報を掴んでいる状態ではなかった。その上で、次の事を伝えている。
  • 発達障害の診断を受けるよう会社から促すのは、会社とその従業員との信頼関係を構築してからのほうがいい
  • その従業員が、どのようにすればうまく業務をこなせるようになるのか、一緒に考えること
  • 実際に発達障害と診断された場合は、様々な福祉サービスを利用することができるので、会社としても積極的に取り入れるよう
現在の私が同じ相談を受けたら、当時よりさらに知識を得ている私であっても、同じ回答をしている。ただ、もっと細かいところを伝えていたのかもしれないけれどね。
また、それでもうまくいかない場合は、最悪、その従業員を切り捨てることも考えなければならない、というところまで伝えてある。これは会社としての利益を守るためでもあるし、また、その従業員にとっても、残酷な表現ではあるけれど有効だからなんだわ。
その後、どのようになったのかについては、私は知らないし、知る必要もないと思う。でも、双方にとっていい方向に進んでいるんじゃないかなと思っていたりもします。

アスペルガー者への仕事の指示の方法
さてさて。
自閉症スペクトラム障害、つまり自閉症やアスペルガー症候群の人へ、何らかの仕事を行わせる場合、これは健常者よりも、伝え方を工夫しなければならない。
これは、仕事のみならず、私生活についても同じ事が言えるわけだけれど、ともあれ、健常者側が、アスペルガー者に対して指示を行う場合、次のことを心がけて欲しい。
  1. あいまいな表現を避ける
  2. 指示は細かく行う
  3. 業務は細分化させひとつの業務だけに集中させる
  4. その仕事は何のためにあるのか理解させる
とりあえずは、この4点だ。
もちろん、個人差もあるんだけれど、大ざっぱに、この4つを心がけてくれるといいと思う。

あいまいな表現を避ける
自閉症スペクトラム障害の特性を持つものは、あいまいな表現、あやふやな表現を理解しづらい傾向がある。もちろん私もだよ。
たとえば、「適当にやっておけばいいから」という表現。この「適当」というのが、どのような状態なのか、自分たちは理解しづらいんだわ。
それよりも、コンピュータプログラムのように、きっちりと事細かく指示を出したほうがいい。
また、「適当」という表現をできるだけ用いず、「誤差」という表現が使える場合であれば誤差がどれくらいまでという感じで伝えると解りやすい。
その他、「もう少ししたらできる」という表現の、「もう少し」という表現も、その「もう少し」が、どれくらいの時間なのか判断がつかないんだ。なので、「あと5分くらいかなあ」って感じに、おおまかな目安を伝えてくれると安心できるし理解もできる、とまあ、こういうわけ。

指示は細かく行う
次に、指示の出し方についてだけれど、これも工夫が必要になってくるんだ。
「この仕事やっといてね」という感じで、普段なら指示を出して特に問題はないと思いがち。
でも、ただ単に「この仕事やっといてね」だけだと、その作業を終了させた後どのようにすればいいのかが伝わっていないので、その仕事が終わったあと、その指示を受けた者は事実上手持ちぶさたになってしまう可能性があるし、その他、色々と戸惑うことにもつながりかねないんだ。
なので、「この仕事を、○時までに仕上げて、仕上がったら一緒に確認するから声をかけて。解らないことがあったら○○さんに聞いてみてね。何かあったら私に相談しにきてもいいからね。」とかいう感じで、できるだけ細かく指示を出してあげたほうがいいんだ。
これは私自身の体験談になるんだけれど、とあるIT関係の訓練を受けていたことがあったんだ。
その訓練の場で、私は、全部、独学でやってのけた。資料も潤沢にあるし、自力で覚えることができるから。
ところが、だ。
私の隣に指導員がいて、その指導員に色々と相談しながら学習を進めるべきだった、でも何も相談しないから指導員が手持ちぶさたになってしまっていた、というのを聞かされた。そのときになってはじめて、「この人に聞いてよかったんだ」ということを理解した。つまり、誰かに聞いてもいい、ということを私は知らなかったし、気がつかなかった、ということになる。
そもそも、そうして「質問していい」という事を知らされていなかったものだから、質問するという手段があること自体気がつかなかったってわけ。
ただ、この場合、私自身が独学で学習できるだけの理解力があったのも原因ではあるんだけれど、その上で、そうして、「○○してもいい」ということを伝えておかなければ、そうした選択肢を思いつくことすらない、ってわけ。

業務は細分化させひとつの業務だけに集中させる
この項目は、「そんなもの当たり前でしょ」なんて思われるかもしれないけれど、これがけこう難しいんだわ。
たとえば、「これ、○○まで持って行って」という指示を出したとする。その上で、「あ、ついでにこれも」と指示を出した瞬間、混乱してしまうんだわ
上記の例は、きわめて単純な仕事だし、ついでの仕事を頼むってのも、特に珍しくはないはずだ。でも、こうした単純なことを追加するだけでも、非常に混乱してしまうってわけ。
なので、ひとつの業務を行わせているあいだは、できるだけその業務にだけ集中させ、追加で業務を与えないようにし向けたほうがいい。
あるいは、細かくミーティングを行い、作業の進展具合を確認しながら、どのようにすればいいのかを伝えていく、というのも有効な手段でもある。
さらに、行わせたい業務は、できればポストイットメモで書いて、それを渡すようにしておく、なんて手もある。
その他、様々な細かな工夫が必要になってくるんだけれど、ともあれ、そうして、今行っている、あるいは行わせようとしていること以外のことは伝えないこと、もし伝えなければならない場合は、メモあるいはメールなどの、文章で指示を出すようにすれば理解しやすくなる。

その仕事は何のためにあるのか理解させる
自分が行っている仕事は、いったい何の為のものなのか。それを理解できているかどうかで、生産性は格段に向上するんじゃないかな。
特に、アスペルガー者は、今行っている仕事が何の為のものなのか、それを理解できなければ、うまく動くことができない場合もあるんだわ。
これは、「あいまいな指示を避ける」という話にも関連していることで、その「目的」が何なのか理解できていない場合、なぜこの仕事を行う必要があるのかが解らい、これはモチベーションの低下にもつながってしまうことでもあるんだ。
要するに、その仕事の意義や意味を理解させる必要がある、ってわけ。
「とりあえずこれやっとけばいい」という感じで仕事をする、という感覚にはなかなかならないんだわ。

さらに大切なこと
とまあ、このように、4つの項目をざっと挙げてみたけれど、もちろん他にも様々な要素がある。
そして、もっとも大切なこと。
よく、仕事においては、「ホウレンソウ」が大切だと言われているよね。この場合の「ホウレンソウ」とは、「報告」「連絡」「相談」の、この3つのことなんだけれど、実はこのホウレンソウ、けっこう勘違いしている人が多い
このホウレンソウ、「部下は上司に対してホウレンソウを行うよう」なんてニュアンスで捉えているんじゃないかな。
ところが。これ、大きな間違いなんだ。
そもそも、「ホウレンソウ」を提唱した人は、「部下が上司にホウレンソウをしやすいよう環境を整えよう」としている。つまり、そうして、「報告」「連絡」「相談」をしやすくできるよう、上司は部下に配慮する責務がある、というわけだ。
そもそも、上司は部下を育てる責務があるわけだけれど、部下が発達障害者であるならなおさら、うまく業務を進行できるようにするために、その部下にある一定の配慮ができるよう取りはからう必要がある。
こうした配慮は、部下が発達障害者だからとかそういう感じではなく、部下ひとりひとりに、それぞれ違う配慮が必要になってくる。そしてそれは、「7つの習慣」でいうところの「信頼貯金」につながっていくんだ。
また、その上司本人がそれがうまくてきなくとも、ジョブコーチという制度があるので、そちらを頼ってみるのもいいんじゃないかな。

ところで。
ここまで、アスペルガー者に対しての、業務に関する伝え方について書いてきたけれど、これら項目を見て、違和感を感じた人もいるんじゃないかな。
と、いうのも、これらは、別に発達障害者相手ではなくとも、当たり前のことばかりだから
ところが、健常者の場合、細かく指示を出さなくとも、いわゆる「察する」ことで業務を遂行することができる。でも、アスペルガー者は、自分で判断できる要素が少ない場合、何をどうすればいいのか戸惑ってしまうし、あるいは、これまでの経験から、実際に業務で望むこと以外のことをやってしまう可能性もある。
それを避けるためにも、指示は細かくしたほうがいい。
中には、「それくらい自分で考えてやれ」なんて言う人もいるんだけれど、個人的には、そういう伝え方しかできない人は、部下が健常者だろうと発達障害者だろうと、人に指示する立場についてはいけないと思っているんだけどね。それは人に何かを伝える方法としては、やってはいけないことだと思うんだ。それよりも、一緒に考えよう、という感じで親身になってやれる人は、それだけ信頼関係も厚くなるんじゃないかな。







ドウモ( ・∀・)っ旦
発達障害と診断されて、ようやく3年が過ぎようとしている私ではあります。
診断されてしばらくは、「発達障害?何それおいしい?」って感じで、特に何も考えなかったんだけれど、数多くの医療関係者や福祉関係者さん達と関わっていくことで、それがいかに厳しい状況なのかを自覚していった次第。
今でも、発達障害に関する資料を読み解いていくと、絶望感しか出てこない、ってのが正直な感想ではあるんだけれど、それでも、自分自身のことだし、それに、私以外にも発達障害で悩んでいる方も多くいらっしゃるのだから、そうした方々への助力にもなれれば、なんて思っていたりもします。
特に私の場合、自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)及びADHD、さらに思考特性も変わっているとのこと。さらにIQが平均値以上だとのことなんだけれど、このIQの高さが、かえって生きづらくなっているそうだ。
そんなこと言われてもなあ。

基本的に標準語を話してます
さてさて。
私の普段の話し言葉は、生まれも育ちも徳島であるにも関わらず標準語です。
これは、私が記憶を失った23歳の頃に、「これから色々な人と話す機会が多くなるのだから、阿波弁だと、徳島県人以外には通じない、なら、いろんな人とふつうに会話できるようになるためにも標準語を話そう」と決め、独学で話し言葉を練習していった、って経緯があるからだったりします。
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当時は、車で移動中はラジオを聴いていたり、また、実際に標準語でしゃべる練習を単独で行っていたりしました。
発音に間してはまだ微妙なところはあるみたいだけれど、んでも、徳島県人に、「あなたいったいどこの生まれですか」と聞かれることも多々あり、私が徳島生まれの徳島育ちだと伝えると、かなりびっくりされていたりもします。
一方、うちの家族とは、阿波弁で話すことのほうが多い。つまり、私の阿波弁は、私の家族以外には使うことがない、ということになるんです。

悦子と話すのも標準語!
そして、婚約者の悦子に対しても同じく。
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彼女と出会った当初から、現在でも、私は悦子には標準語で話しかけていて、よく悦子は、「阿波弁が私にうつらない」とかぼやいていたりもします。
もっとも、私の母親の阿波弁が少しうつっているようですが。たまに「いけるいける(大丈夫、おいしいの意味)」が飛び出していたり。
また、私自身も、まれに悦子の広島弁が意識せず出てくることがありますが、私がそうして無意識に使う広島弁は、ごくわずかです。
だいたい、広島弁、よくわからん(´・ω・`)
「たいぎー」とか「たわん」とか、いまでも言われても意味を思い出すまでタイムラグがあったりします、はい。

阿波弁はむしろは話せない?
そんな悦子との会話だけれど、悦子は、私に、よく阿波弁を使うよう伝えてくるんだけれど、実はこれがかなり難しい。
と、いうのも、確かに私の家族とは、自然に阿波弁で喋ることはあります(もっとも、そもそも家族と会う機会そのものが少ないのだけど)。
だけど、そう言われて、いざ阿波弁を話そうとしても、標準語を阿波弁に変換する作業みたいなのを頭の中でやってしまって、うまく話すことができないんですね。なんか、阿波弁で話すのが抵抗があるというかなんというか。
思考力が低下している時には、ふと阿波弁で話をしていることはあるものの、普段は、阿波弁を話すのに、強烈な抵抗があったりするわけです。

アスペルガー者は標準語で喋る特徴が?!
ってことで、ここで1冊の本を紹介。
僕がこの病気を乗りこえてきてわかったこと ~コミックエッセイ アスペルガー症候群との上手なつきあい方入門
西脇 俊二
宝島社
2015-03-20

この書籍では、アスペルガー症候群を抱えている方の思考傾向や、実際にアスペルガー者の方に、どのような工夫や訓練があるかなどが優しく解説されているのですが。
この書籍にも、しっかりと、「生まれ育った家族以外には標準語で話す」ことが書かれていたりします。
この書籍に書かれている部分を見て、「いや私成人してから自分で標準語を話す訓練したんだけれど」なんて思ったんだけれど、特に自閉症系統の障害を抱えている人は、標準語を話す傾向があるんだとか。
それも、恋人、あるいは結婚したあとも、そうして標準語を話す傾向があるようでして。
おもいっきり私のことやんけ(´・ω・`)
悦子とは、いまだに、標準語で話をしていますし、付き合いだした当初は他人行儀だとかなんとか、そんなこと言われたような記憶もあるんだけれど、ともかく、現在でも、相変わらず、悦子に対しても、ほぼ標準語(たまに広島弁)で話すようになっております、はい。

悦子に対してだけのしゃべり方がある?
ただ、前述のように、悦子と話をしているときだけは、ごくまれに、悦子が使っていた広島弁が出ることがあります。
もちろん、広島弁を使うことそのものは意識していないですし、それに、悦子とは、今でも阿波弁で話すことができない。
んでも、こうして、悦子と話をしているときだけ、たまに広島弁が出るってことは、悦子に対してだけの話し方を私が無意識のうちに行っているんじゃないかな、と思うわけ。

付き合いだした当初から色々あったし、それに私が発達障害だと解ったのは、悦子と出会って1年が過ぎたころ。
今でも、悦子がわざわざ私のところまで来てくれていたり、それにほぼ毎日、何らかの形で連絡を取り合っていたりして、いい付き合いをしてくれていると思う。
love_couple_good
悦子が私と別れると決めたらそれまでだと私は思っているんだけど、その上で、今でも私と付き合ってくれているんだから、すごいもんだよ。
もっとも、悦子の気苦労ってのは、計り知れないとも思う。
発達障害の夫を持つ妻の立場から、いろんな苦労話を聞いているし、(医学的にはそのような症例は無いとされているけれど)カサンドラ症候群になる可能性だってあり得る。
現在でも発達障害の勉強を続けているのは、可能な限り、付き合う上での悦子の負担を減らしたいからなんだけれど、うまくいっていないところも多いと正直思っていたりもするんだわ。
それに、私だって何もできないわけじゃない。悦子にできるだけ配慮するよう心がけているつもりだけれど、それでもうまくいっているとは言い難いと思う。
私と悦子、違うところだらけで、同じところがこれっぽっちもない。んでも、うまく付き合い続けられるのも悦子のおかげです、はい。

今後も、悦子に、阿波弁で話しかけることは、かなり難しいと思う。んでもまあ、悦子に対してだけの話し方がある、ってのに気がついたってのは、案外大きなポイントなのかもしれないね。



ドウモ( ・∀・)っ旦
発達障害関係の資料を読み進めるごとに、「ああ、やっぱり私は健常者ではないんだな」とかいう感じで絶望感に襲われてしまっております。
発達障害は、脳の先天性の障害なので、病気のように「回復する」という概念がなく、むしろ障害がある状態が、自分にとっては正常なものだから、その正常な状態が「改善する」なんてことは医学的にはあり得ない。
そこで、精神学的なアプローチ、つまり考え方を変える(実際には、脳の中の前頭葉の状態を変更してやる、ということになるかな?)ことで少しはマシになるよう仕向けているんだけれど、それでも、健常者と同じ状態になることはあり得ないってわけ。
なので、いわゆる人並みの生活を送る事は、もともとできないんだなあ、なんて思っていたりもします。
それでも、何も出来ないわけじゃないんだけどね。

悦子が見る夢は…
ところで。
私の婚約者である悦子とは、遠距離恋愛中ではあるものの、インターネットなどの通信網が整備されているおかげで、毎日頻繁に連絡を取ることができている。
もっとも、私からは積極的には連絡をしていないところが、このあたりが自閉症スペクトラム障害の特性なのかな、などと思ってしまうんだけれど…。
そんな他愛のない話の中で、悦子は、時折、見た夢の内容を話すことがある。それも、私と仲違いしていたり、私が不倫していたり、私が悦子にとって嫌なことをやっていたりと、ともかく、私が、悦子が嫌がることをしている内容の夢が多いらしく、むしろいい内容の夢を見た、なんて話は、聴いた事がない。
もっとも、夢は夢だし、現実的なものではないんだけれどね。
まあ、中には、私との関係を続ける上で重要なのかも知れない不思議な夢を見た事もあったそうで、実際にその夢の内容に従って行動してみると、悦子が驚いたこがあったりする。このあたりの話も、機会があればいずれブログで紹介するとして。
その、夢の中で私が登場するだけでなく、すでに亡くなっている両親が登場したりと、ともかく、悦子にとって身近な人物が夢に出てくる、ということなのだそうだ。

私が見る夢は…?
一方、私は、夢を見る機会そのものがあまりない。気がついたら翌朝、目覚ましが鳴っている、という場合が多いね。
んでも、たま~に夢を見ることはある。
それも、実際には無いアニメや特撮ヒーローの番組を見ていたり、あるいはその主人公になっていたり。
また、車を運転している夢の場合は、その車の運転もかなりむちゃくちゃだったり。
まあ、夢は夢なのだから、その内容がいい加減であることは当然なんだけれど、そんな折。
とまあ、上記のツィート内容のような夢をふと見たりして、ここでふと思ったんだわ。
私の身内が夢に出てきたことって、ほとんどない。
むしろ、現実の生活の内容が夢に出てくることもほとんどないし、それに、悦子も夢に出てきたことは今まで一度もないんだわ。そのうち出てくるかもだけれど。

私の親の場合
ちなみに、私の母親の場合だと、母が幼い頃住んでいた家で、母の両親と、そして何故かその家があった時代には生まれてもいない、飼っていた2匹の犬のうちの1匹が登場して、「あんた死んだんじゃなかったの?」とか言ってた、とかいう話を、悦子と一緒にいた時にしていた。
うちの親は、そうして家族や親族の夢を見ることがあるようなんだが…
まあ、私も、一度だけ、その飼っていた犬達のうちもう1匹が出てきたことがあったと記憶しているんだけれど。
DSCF0023
↑こいつ。んでも、本当にうちの犬だったかどうかは、なんか自信がなかったりするんだけれどね。

自閉症の見る夢は…?
そんなこんなで、その天皇陛下が登場する夢を見たそのあと、ふと思ったんだわ。
もしかして、自閉症の特性を持つ者は、そうして家族や親族の夢を見ることは稀なんじゃないのかな、って。
自閉症、自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群と、名称は色々あるんだけれど、そもそもその特性を持つ者は、興味を持つ対象が非常に限定されている。
私の場合は、特に人間に対して興味を持つことが出来ず、その結果、現在でも、人の顔と名前を覚えるのが非常に苦手。しかも、家族の誕生日すら覚えることができない。悦子の誕生日も、誕生日とは違う簡単な数字でのみ記憶していて、誕生日がいつかは、その数字から割り出さないといけないんだわ。つまり、何年何月何日、という覚え方をしていない、ってわけ。
そうした、他者に対する関心の無さってのが、夢の内容にも反映されているのではないか、と、ふと思ったんだわ。
もちろん、自閉症系統の特性も人それぞれ色々あるわけで、すべての自閉症の人がそうだ、なんてことは言ってはいないよ。それに、これは自分自身の経験を話しているだけだから。
その上で、様々な書籍や資料、自分自身の経験を照らし合わせると、見る夢にも影響が出ているんじゃないのかな、と、まあ、そんなことを思っただけの話です、はい。


私が発達障害と診断されて直近に購入した書籍のひとつ。
この本を読んで、私がいかに普通じゃないのかを自覚させられたって感じです。









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